第5話 学校帰りと夏の暑さの話

 終業式の前日。

 サナは学校の昇降口までやってくると、大きなため息をついた。

 学校に置いていた荷物を持って帰らねばならない。

 左の肩に大きなショルダーバックを二つかけていて、どちらもパンパンに膨らんでいる。

 今日は放課後、委員会活動があった。

 友達のアカリとリンコは別の委員会だから、一人で帰ることになった。

 別に一緒に帰れば途中まで荷物を持ってもらえるなんて厚かましい期待はしてなかったけど。

 本当だからな。

 とにかく、サナは一人で持てる限界近い量の荷物を持っていた。

 しかも右手は絶賛骨折中。靴を履き替えるだけでも一苦労だ。

 一旦荷物を床に置いて、下駄箱からスニーカーを取り出し、履き替えてから上靴を袋に入れてショルダーバッグに入れる。

 その工程を片手だけを使い、ぎこちない動きで、時間をかけてこなした。

『なんで、もっと前からちょっとずつ持って帰らなかったの?』

 脳裏に響く自分の声に反論できない。

 やっと帰れると思ったそのとき、気が付いた。

 右の靴紐がほどけている。

 少し前に買ってもらったスニーカー。先代まではマジックテープだったが、もう子供じゃないから、と紐靴を選んだ。

 それが見事に裏目に出た。

 あまり気乗りはしないけど、式神を召喚して靴紐を結んでもらおうか。

 サナは見られていないか、周囲を見渡す。

 そして目が合った。

 一人の少年が、気まずそうに見ていた。

 サナには見覚えがあった。

 昨年の冬のはじめ、サナはラブレターとか、恋文とか、つまりそう呼ばれているそれを貰った。

 そしてサナは “想い”を受け止めきれないと言って、手紙を差出人に返した。

 二つ年上の八年生(中学二年生)。

 名前は、確か徳田ショウタ。

 ショウタは少しためらう様子をみせながらも、サナに近付いてくる。

「あの、サナちゃん、大丈夫?」

「えっと、靴紐、ほどけちゃって」

 どうもお互いに気まずい。

「あ、あの、よかったら、俺がくくろうか?」

 しばしの、沈黙。

「……じゃあ、お願いします」

 ショウタはゆっくりとサナの足元にひざまずくと、靴紐を結び、仕上げにキュってやった。

「大丈夫? きつくない?」

 サナはうなずく。

「はい、大丈夫です。ありがと」

 靴紐は綺麗な蝶々結びになっていた。

「これから帰るとこ? 荷物、家まで持つよ」

 ショウタは立ち上がり、手を差し出す。

「へ、でも……」

「怪我、大変でしょ? よかったら、荷物持たせて」

「だって、先輩、部活が……」

「大丈夫。ちょっとくらい遅れていっても平気だから」

 ショウタは「ねっ」と付け足す。

「じゃあ……」

 サナはためらいがちに片方のショルダーバッグを渡した。

「うわっ、重っ! サナちゃんこんなの持ってたの?」

 ショウタはバッグを落としそうになり、慌てて抱え込む。

「あ、あの、やっぱり私が……」

 サナは慌てて手を出そうとするが、

「大丈夫。このくらい持てるよ」

 ショウタはバッグを肩からかけ、笑顔を浮かべた。


 若桜の町中。

 町内で一番交通量の多い道路をサナとショウタは並んで歩く。ショウタが車道側。

「サナちゃん、もう一つも持つよ」

 ショウタは言った。

「いえ、大丈夫です。その鞄持ってもらえただけで、十分です」

 サナは首を横に振る。

 日差しに熱せられたアスファルト。

「あの、前の手紙のことだけど……」

 ショウタが口を開いた。

 手紙とは、ショウタがサナに送ったラブレターのことだ。

「あ、あの、ごめんなさい」

 サナはショウタの声を遮るように言った。

「あのときは……ううん。今でも、自分の気持ちがよくわからないんです」

 サナはショウタから目をそらす。

「いいよ。でもオレ……今でもやっぱりサナちゃんのこと、好きなんだ」

 踏みしめる二人分のスニーカー。揺れる靴紐の蝶々結び。お互いに、合わせられない視線。

 沈黙のまま、八東川にかかる橋に差し掛かる。

「腕、痛くない?」

 沈黙を破ったのは、ショウタだった。

「うん。大丈夫です」

 サナは短くこたえた。

「親父もさ、昔、腕を怪我したことあるらしいんだ。すっげー痛かったって言ってた」

 ショウタは自分の腕を指差す。ここに傷がある、ということらしい。

「あの、先輩。一つ訊いてもいいですか?」

 サナは迷うように視線をキョロキョロと動かしながら尋ねる。

「どうして、その……ラブレター、くれたんですか?」

 それを聞いたショウタは赤面し、しばらく口をモゴモゴと動かす。

「そりゃ……サナちゃんのこと……好きになっちゃったから。他にないだろ」

 それを聞いてしまうと、サナも無性に恥ずかしくなってくる。

 暑い夏の日。顔の赤い二人は並んで歩く。

「そうじゃなくって……私のどこを好きになってくれたのかなって、思ったんです。可愛くないし、勉強も苦手だし、性格だってよくないし……」

「そんなことない!」

 ショウタは食い気味にサナの言葉をさえぎった。

「サナちゃん、可愛いよ! とってもとっても可愛いよ! 口調とか、声とか、顔とか、口調とか、とってもとっても可愛いよ!」

 ショウタは頭から湯気が出そうな勢いだ。

「あ、ありがと……ございマス」

 サナは左手で自分の前髪を撫でる。

 そして、ショウタは勢いのままにしゃべり続ける。

「俺のこと、好きになってくれなんてワガママ言わない、俺、サナちゃんに気に入ってもらえるように頑張るから、だから、一つだけ、お願い! 俺と話すとき、敬語じゃなくて普通に友達と話すみたいに話してくれないかな?」

 二人は足を止める。

 そこは、サナの家の前だった。

 玄関のドアが開く。

「おかえり、サナちゃん」

 出てきたのはサナの叔母、サクだった。

「じゃあ、学校戻るから」

 ショウタはサナにバッグを渡すと、背をむけ歩き出す。

 陽炎。

 離れていく背中。

 サナは大きく息を吸って、叫ぶ。

「ありがと、ショウタ。またな!」

 ショウタは駆け出す。サナはその姿が見えなくなるまで見つめていた。

「サナちゃん、彼氏いるの?」

 サクが近寄ってきて尋ねる。

「ううん。彼氏じゃないです。まだ」

 サナは照れたような、にやけ顔を浮かべていた。

 サクは「なるほどね」と数回首を縦に振る。

 二人は玄関へむかう。

 いつも停まっているジムニーがない。

「お母さん、出かけてるんですか?」

「うん。お買い物だって」

「ところでサク叔母さん」

「なに?」

「なんで家にいるの?」


 その日の夜。

 サナの家のリビング。

 お父さんミウお母さんノノお姉ちゃんテナお兄ちゃんフウコウ。それからサナとコン。

 一家全員がそろっていた。

「――と、いうわけで、事故に遭って十一年眠っていましたが、この度、無事退院しました。しばらくこの家でお世話になります。秦守サクです。よろしくね」

 サクは深々と頭を下げた。

 リビングに拍手の音が響く。

「叔母さん、久しぶり」

 元気よくそう言ったのはお姉ちゃん。

「テナちゃん、覚えててくれたの?」

「はい。小っちゃい頃、遊んでもらったの覚えてます。ね、フウ」

 お姉ちゃんが話しを振ると、お兄ちゃんはうなずく。

「はい。お久しぶりです。退院、おめでとうございます」

「二人共、美人さんとイケメンさんになったね」

 サクはそう言ってから、視線を弟にむける。

「コウ君ははじめてだね。お父さんの妹のサクです」

「あ、えっと、よろしくお願いします」

「うん。よろしくね」

 そして最後に、お父さんを見る。

「ただいま。お兄ちゃん」

「うん。お帰り。サク」

 その日の夕食は、とても賑やかだった。


 次の日の朝。

 みんなでそろって朝ごはん。

 お父さんはパジャマ姿で、あくびをしながら新聞を広げる。

「お兄ちゃん、のんびりしてるけど仕事大丈夫?」

 サクは尋ねると、みそ汁を一口飲み「美味しい」とつぶやいた。

「今日は年次有給休暇だ。サナとコウの三者面談があるからな。ノノ一人で行ってもらうのは大変だし」

 サクは納得したようにうなずく。

 そのとき、リビングの電話が鳴った。

「はいはいはい」

 真っ先に反応したお母さんが電話に出る。

「はい、長尾です。あ、セリカちゃん。おはよう」

 セリカ。それはこの町で暮らすサナの幼なじみだ。

「ど、どうしたの、落ち着いて」

 お母さんの表情から、和やかな雰囲気が消えた。



 おまけ


 夜。

 徳田ショウタは部屋の中をグルグルと回っていた。

 何度も何度も今日の出来事が頭の中でリピートされる。

 サナの靴紐を結んだあの瞬間。

 サナの体が、スベスベの脚が、すぐ目の前に会あった。

 フワッといい香りが漂ってきた。

 それから一緒に歩いて、 お喋りして、別れ際に「ショウタ」って名前で呼んでもらえた。

 なんど思い返しても、幸せな気持ちがあふれてくる。

「お兄ぃ、ご飯だって」

 妹が部屋のドアを開けても全く気が付かない。ただ幸せな記憶に浸りながら、部屋の中を落ち着きなくグルグル。

「お母さーん、キモいお兄ぃがキモい!」

 妹の声が家の中に響いた。

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