第4話 君の声の話 後編

 薄暗い和食店の店内。

 サナはそのカウンター席に座る。横の席には、同い年くらいの女の子。

 説明を聞き終えた女の子は数回うなずく。

「なるほど。つまりここは死んじゃったヒトの魂がやってくるお店で、そこの釜戸の火でつくったお料理を食べると、あの世に逝けるんだね」

 女の子は今しがたサナが行った説明をそっくりそのまま復唱した。

「じゃあ、私は死んだんだね」

 女の子は随分あっさりとした口調だった。そして、その声はとても澄んでいた。

「もしも、何かまだやり残した“想い”があるなら、私がお手伝いするぞ」

 女の子は少し考えると、おもむろに口ずさみはじめた。


 はなの にお垣根かきね

 時鳥ほととぎす はやもきなきて

 忍音しのびねもらす なつ


 女の子の歌は見事なものだった。

 楽譜通りなのだが、機械的かと問われればそうではない。ところどころ抑揚をつけ、感情を込め、聞いていて景色が浮かぶような歌だ。

 そして何より、女の子はとても美しい澄んだ声は高級な楽器を思わせた。

「サナちゃん、少し散歩に出ない?」

 歌い終えた女の子は、まっすぐな眼差しで言った後にこう付け足す。

「私、平塚カオル。だけど、アヒルって呼んでほしいな」


 若桜の町中。

 サナと女の子――アヒルは並んで歩く。

「サナちゃんってさ、テレビとか、ユーチューブとか、あんまり見ない子?」

 アヒルが尋ねる。

「うん。ほとんど見ないな」

「じゃあ、普段なにしてるの?」

「私、マンガ描くのが好きなんだ。まあ、手が治るまでは描けないけど」

「腕、ちゃんと治るといいね」

 アヒルの言い方には、どこか含みがあった。

 二人は横断歩道で足を止める。一台のトラックが通過していき、撒き起こされた風でサナの前髪が揺れる。

「あのね、ユーチューブで『アヒルチャンネル』ってあるんだ」

 アヒルは空を見上げる。

「私のチャンネルだった」

「それで、なにやってたんだ?」

 サナは尋ねた。

 二人は再び歩き出す。

「歌ってた。私ね、幼稚園の頃にお遊戯会で歌ったときに声が綺麗って誉めてもらって、それからね、歌が大好きになった」

「さっきの歌も、上手だったぞ」

 サナが言うと、アヒルは心の底から嬉しそうな表情を浮かべた。

 そして、語りだす。

「ありがとう。お父さんがユーチューブに歌ってる動画を投稿してくれたの。人気者になりたいわけじゃなかった。そんなの本当にどうでもよくて、ただ純粋に私の歌を沢山のヒトに聞いてもらえるのが嬉しかった」


 アヒルは次々と歌を覚えては動画に撮ってもらい、動画をアップロードした。

 本名は隠して『アヒル』の名前で活動した。チャンネル名も『アヒルチャンネル』にした。当時、幼稚園でアヒルを飼っていてそのお世話係だったのが由来だ。

 小学校に上がってからも、歌っては動画を投稿した。

 歌うのは童謡から流行歌まで多種多様。

 二年生の誕生日にはエレクトーンを買ってもらい、弾き方と楽譜の読み方を覚えた。歌に伴奏がつくようになった。

 再生数はどんどん伸びていき、比例してチャンネル登録者数も伸びていった。

 動画内の広告でお金をもらえるようになった。両親は「これはアヒルが稼いだお金だから」と一円も手をつけることなく、全額を貯金してくれている。アヒルが自分で管理できるようになったら渡してくれるそうだ。

 徐々に他のユーチューバーからコラボの依頼も来るようになり、色々なヒトと知り合えた。

 そして三年生のとき、テレビで紹介された。

 ワイドショーで『最近話題の歌うま小学生』として取材をうけたのだ。

 番組内の一コーナー、ほんの短い時間の登場だったが、これまでとは比べ物にならないくらい再生数が伸びた。

 気が付けばチャンネル登録者数は百万人を突破した。

 学校でもユーチューバーとしてのアヒルを知っているヒトが増えていった。

 中には茶化したり、意地悪な物言いをするヒトもいたが、そんなことが気にならないくらいファンが多かった。


 しかし五年生になった春、大きな転機が訪れる。

 喉に違和感を覚えた。

 声が出にくく、食べ物が飲み込みにくくなったのだ。

 しかし、深く考えずいつも通り歌い続け、やがて声が出なくなった。

 病院で診察を受け、手術を受けないといけないことを知った。元の声には戻らないだろうということも。

 奇跡を願った。

 きっと、元のように歌えるはずだと。自分は幸運な人間だと。

 手術は成功した。

 抜糸の頃には、喉の違和感はなくなっていた。

 しかし、声はガラガラの濁った声になっていた。

 それでもアヒルは歌い、動画を投稿し続けた。

 コメント欄にはアヒルを応援する声が寄せられるが、再生数もチャンネル登録者数もどんどん減っていった。

 学校でも今まで通りを装ったが、みんな隠れてアヒルの声の話しをしているのも気付いていた。

 そしてある日、学校である男子に言われた。


「アヒル、アヒルの声になったんだな」


 今まで、もっと酷いこと言われたことだって、沢山あった。

 だけど、その一言はアヒルの頭の中で何度も繰り返し響いた。

 アヒルはたまらずトイレに駆け込み、泣き崩れた。

 その日からだった。

 アヒルは声が出なくなった。

 歌うことも、話すこともできなくなった。

 声の出し方を忘れてしまったようだった。

 どれだけ声を出そうとしても、口がパクパクと動くばかりでなんの音も出ない。


「それから学校にも行けなくなって少し休憩する為に、って夏休みの間、お爺ちゃんの家で過ごすことになった。私はこの町に来たんだ」

 アヒルは足を止める。

「ねえ、サナちゃん。私は――『歌うま小学生ユーチューバーのアヒル』は死んでしまったけど、かつてアヒルと呼ばれた女の子――カオルはまだ生きてる。だから、どうか今の私と仲良くしてくれないかな? 出来るだけでいいから。それが、私の“想い”」

 まっすぐなアヒルの眼差し。

 サナははっきりとうなずいた。

「うん。わかった」


 サナとアヒルが『和食処 若櫻』に戻ってくると、コンは帰っていた。

「おかえり、サナちゃん。いらっしゃいませ、お客様」

 コンはカウンターの内側の厨房から笑顔をむける。

 サナとアヒルは並んでカウンター席に座った。

「あの、何注文してもいいんですか?」

 アヒルが尋ねると、コンはうなずく。

「私に出来るもんやったら、なんでもつくるで。食べたいもん言ってみて」

 すると、アヒルは意を決したような顔になる。

「じゃあ、とっても辛い料理つくってください!」

 コンはちょっとビックリしたようだ。

「辛いの?」

「はい。喉を痛めちゃうから、食べないようにしていたんですけど、最期に食べてみたいです」

 コンはうなずく。

「はい。かしこまりました」


 コンは手際よく調理し、程なく完成した。

 真っ赤なスープに浮かぶひき肉と、白い麺。

「坦々冷やしうどんです」

 アヒルは箸を手に取ると、食べ始める。

 コンは大ジョッキに水を注ぐと、そっとアヒルの前に置いた。

「辛い!」

 アヒルは涙目でジョッキを手に取った。


 公園に、一人の女の子がいた。

 女の子はベンチに座ると、ぼんやりと周囲の風景を見る。彼女の手にはスケッチブックが握られている。

 彼女の名前はカオル。かつてアヒルと呼ばれていた。


「アヒル、アヒルの声になったんだな」


 頭の中にあの男の子の声が響き、胸が締め付けられるような感覚がする。

 カオルはスケッチブックを握りしめた。

「よっ、また会ったな」

 声がした。

 昼前、スケッチブックを落としたときに出会った少女――サナだった。

 サナはショルダーバッグを斜めにかけている。

「隣、いいか?」

 サナは返事を聞かずに座る。

「絵、描かないって言ったよな。スケッチブック、なにに使ってるんだ?」

 サナが尋ねると、カオルはペラペラとスケッチブックををめくり、ある一頁をサナに見せる。

『私は声が出せません』

 そこにはそう書いてあった。

「そっか。そのスケッチブックで喋ってるんだな」

 カオルはうなずく。

「私はさ、漫画描くの好きだったんだけど、右手骨折しちゃったんだ」

 サナは喋りながらショルダーバックからスケッチブックと筆箱を取り出す。左手しか使えないのでぎこちない。

「だから、左手で描いてみることにした」

 膝の上にスケッチブックを広げ、描きはじめる。

 カオルは当初、戸惑うようにその様子を見ていたが、やがて思い付いたように自分のスケッチブックの白いページになにかを書き込む。


『がんばれ』


 描いた文字をサナに見せるが、サナは絵を描くことに必死で、それに気付かない。

 それでも、カオルの表情は穏やかなものだった。

 ふと気が付くと、少し離れた場所からカオルとサナを見つめる者がいた。

 それは、かつて歌えた頃、アヒルと呼ばれた頃のカオルだった。

 アヒルは一度大きく息を吸うと、歌いはじめる。

 それは、大量に覚えた歌の中で最も好きだった歌。

 アヒルの澄んだ声に、カオルは自分の濁った声を重ねる。

 やはり声は出ず、口をパクパクと動かすだけになってしまう。

 しかし、カオルの脳裏では、声が響いていた。

 アヒルの澄んだ声と、カオルの濁った声が重なる。


 はなの にお垣根かきね

 時鳥ほととぎす はやもきなきて

 忍音しのびねもらす なつ


 五月雨さみだれの そそぐ山田やまだ

 早乙女さおとめが 裳裾もすそぬらして

 玉苗たまなえううる なつ


 たちばなの かおるまきばの

 まどちかく ほたるとびかい

 おこたりいさむる なつ


 おうちちる 川辺かわべ宿やど

 かどとおく 水鶏くいなこえして

 夕月ゆうづきすずしき なつ


 五月闇さつきやみ ほたるとびかい

 水鶏くいなき はなさきて

 早苗さなえうえわたす なつ


 アヒルの姿は、空気に溶けるように消えていった。

 さようなら、私の声。




参考文献及び引用

「思い出の童謡・唱歌200」

編集:成美堂出版編集部 

成美堂出版 2015年6月20日初版発行


作中歌

「夏は来ぬ」

作詞:佐々木信綱

作曲:小山作之助

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る