スべて夢であってと願うのは自分の狂気から逃げる為

「服を脱がせたらさ、学生証があったんだ。死体の名前は兎田谷祐樹(とたたにゆうき)。随分と変わった苗字だとは思わないかな?」

「はあ……あの、何が聞きたいのか知りませんが、わたしは高校生ですけど定時制高校の人間なので、もしもクラスメイトだとしても認知出来てませんよ。全日制と違って登校時間がまばらなので、知らない顔の方が多いです」

「学校たのしい?」

「……楽しかったら、死のうとはしないはずだと思いません?」

苛立ちながら答えると、彼はそれでも笑顔を絶やさずにわたしを見ていた。

わたしは隣の席に置いていた私物のボストンバッグから、ミネラルウォーターを取り出して飲む。


今、わたしと彼はダイニングテーブルを挟んで向き合っている。

四つあるダイニングチェアのうち、彼とわたしとわたしのボストンバッグで三つの席を埋めていた。

「あなたは、どうしてわたしを食べようと思ったんですか?」

「人間が好きなんだ。食べちゃいたいほどに」

「……そういうものですか?」

「あとは、そうだな。僕は誰よりも長生きしたいんだ。死にたくない。中国には身体の悪い部分と同じ部分を食べると病が良くなるって同物同治なんて文化もあるくらいだし、若い娘の生き血を啜ると永遠の美しさを保てるなんて信じて残虐行為に耽った公爵夫人の話とかさ。このまま俺が大好きな人間を食べ続けたら、老いて身体を悪くして死ぬことも無く、永遠の時間を生きれるじゃない」


彼は随分とおかしな宗教を信仰しているようだった。

無神論者であるわたしにはよく分からない。

「信じてない?……僕はこんな見てくれだけど、本当はキミのおじいちゃんと同じくらいの年齢かもよ」

「……えっ」

「冗談だよ」

彼はテーブルに両肘をついて、筋張った白い指をポキポキと鳴らしている。

わたしはダイニングチェアの上に体育座りをして、膝に顎を乗せて窓の外を見つめた。

暑い夜は星が降るようだ。

木々がザワザワいって、暗闇に星が沢山光っている。


「……わたしを食べることで、あなたが警察に追われないと良いのですが」

わたしは彼の未来を憂いて視線を自分のつま先に落とした。

僅かな不安から足の指をぎゅっと丸めてみる。

「ああ、それは、心配しなくていいよ。おねえちゃんが全部なんとかしてくれるから」

しかし、彼はなんでもないようにわたしの不安を打ち壊した。

わたしは膝から顎を浮かせて、彼をじっと見つめる。

目鼻立ちの整ったうつくしい顔立ちだが目つきにどことなく退廃的な翳りがあって、それが一層彼を魅力的に見せている感じがした。

銀色に輝く長髪は光の帯を纏っている。


「きょうだいがいるんですか?少し意外です」

「……ん、んん?いや、どうだろう、そういうわけじゃ……」

困ったように目を泳がせる彼に、これ以上立ち入った質問をしようとは思わなかった。

とりわけ興味を引く事柄でも無かったのだ。

家族仲が良好なのは良いことだろう。

羨ましいを通り越して、殺意が湧くほど妬ましい。

この人が居たら自分は大丈夫という信頼を寄せられる肉親、それはわたしが喉から手が出るほど欲しかったモノだ。

わたしが十八年間生きてどんなに頑張っても手に入れられなかったモノでもある。


話を聞いたら、きっとわたしは彼を憎んでしまう。それは嫌だ。

「キミは、友達とかいるの?学校って友達を作る場所なんでしょ?」

「……友達、ですか……いないです。欲しいと思ったこともないです」

「どうして?」

彼は黒玉のような瞳をぱちくりする。

テーブルに両肘をついて顎を支えている姿は華やかで、耽美な名画のようだ。

「どうして、って……どうしてでしょうね……強いて言うならわたしがオカシイからじゃないですかね……それに、人間って平気で裏切ったりするじゃないですか。行為も好意も嘘ばっかりだし、結局みんな自分のことしか考えてないじゃないですか。そんな相手と友達になんか……わたしはなれませんよ」


「でも、キミにも欲とかあるでしょう。食欲睡眠欲性欲、動物に必要なのはこれだけだ。でも、人間には権力欲物欲支配欲その他諸々といった様々な欲望の中を生きている。欲は他人との関わりの中で生まれるし、人間が生き延びる為に一番必要なことだよ。いや……そうなると、今のキミには無いのかな?」

「何が言いたいんですか?……わたしは、他人に何かを求めたことも頼ったことも無いですよ」

「そうかな。残念ながら人間は一人では生きてはいけないよ。生きていけると思ってるなら、それはソイツが無知なのさ。他力だよ、他力。他人が建てた家に住んで他人が作った電気を使って他人が収穫した食物を調理して食べている。そんな人間がほとんどなのに、よくもまあ他人に頼らずに生きていけるなんて言えるよね」


「……何の話ですか?もしかして、わたしのこと馬鹿にしてるんですか?」

わたしは言ったきり黙り込んで顔を歪めてしまう。

耐えられない。

いくら年上とはいえ、見下されるなんて。

羞恥で鳥肌が立って身体中が燃え上がりそうになる。

彼は何かを言いたげに唇の開閉を数回繰り返したけど、言葉になることはなかった。

わたしが糾弾する前に、彼はダイニングチェアから立ち上がってキッチンに向かう。

木製の戸棚からコーヒーの袋を取り出すと、電気ケトルに水を足してスイッチを入れる。


紺色のマグカップを二つ用意して、スプーン山盛りの茶色の粉をそれぞれのマグカップに落とす。

一分も経たずにお湯が沸いて、マグカップにお湯を注ぎ、スプーンでクルクルと円を描くようによくかき混ぜていた。

キッチンから入れたばかりほろ苦い香りが漂ってくる。

この時、不思議とわたしの目にはキッチンに佇む彼の姿が不幸を背負った少年のように悲しげに見えた。

彼はわたしの前と自分の前にマグカップを置くとダイニングチェアに座り、右足を折り曲げて膝の上に顎を載せる。


夜闇を填めたような双眸がこちらの反応を窺っていた。

「飲まないの?飲みたくない?」

「いえ……」

彼のマイペースな行動に、わたしは少し気を落ち着かせる。

白い湯気の立つマグカップに口をつけて、コーヒーを飲み込む。

コーヒーが不得意なわたしでも、じんわりと心身に染み入ってくるような自然な味わいだった。

「ごめんね。いつも死体ばかり相手してるからさ。他人と話す機会なんてあんまり無くて、喋るのは苦手なんだ。変なこと言ったかな。悪気はないんだよ」

「べつに……まあ、大丈夫です」

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