第52.5話 珈琲処みかどの四人

「ねぇ慶次郎」

「慶次郎」

「おい、無視すんなよな」


 ここ数日、人数制限をすることでどうにか一人でも回せていた『珈琲処みかど』だったが、その日――葉月の誕生日はまるで駄目だった。


 慶次郎の動きが悪いのである。とはいえ、普段もそうテキパキしているわけではないのだが。

 心ここにあらず、といった風に、常にぼうっとしている。それでも一応接客は出来る。客が入れば「いらっしゃいませ」と言うし、呼ばれりゃオーダーも取る。ただ、コーヒーは湯呑から溢れさせるし、お冷もだらだらと零す、ケーキもいくつ落としたか。レジは自動で釣り銭を出してくれるタイプなので何とかなったが、そうでなければさらにとんでもないことになっていただろう。


 それでもどうにか午前最後の客の配膳を済ませたのが十二時半のことだった。午後の客も混ざるため、最も忙しい時間である。そこで見るに見かねた式神達が応援に駆けつけたというわけだった。


「無視してないよ」

 

 やっと返ってきた言葉に三人揃ってため息をつく。


「してたよ」

「無反応だったじゃないですか」

「寂しいじゃねぇかよぅ」


 かちゃかちゃと麦が食器を洗い、おパがランチメニューのサンドイッチ用のパンを準備しているその間に挟まれて、慶次郎はゴリゴリと豆を挽いている。三人が仲良くカウンターに並んでいるのを覗き込むようにしてお冷のピッチャーを持った純コが立っているという構図である。


「いまちょっと集中してるから」

「集中?」

「豆を挽くのにですか?」

「いっつもそんなことねぇじゃん」


 ぶぅぶぅと口を尖らせる純コが、ピクリと頭上の三角耳を震わせる。卓に置かれたグラスの中の氷が、カラン、と音を立てたのだ。


 空だな。


 そう気付いて、「お冷巡回してくっかぁ」と回れ右をした。


 呼ぶ前にやって来たイケメン店員に女性客が「まだ呼んでないんですけどぉ」と鼻にかかった声を出す。


「おぁ? いらなかったか?」


 とグラスに伸ばした手を引っ込めれば、「いりますいります!」と慌てた声を上げた。


 だったら大人しくもらっとけよなぁ、と接客業にあるまじきことをつぶやく彼のエプロンのポケットには、女性客から渡されたメモが詰まっている。そのどれもが、名前と、メッセージアプリのIDが記されたもので、スマートフォンなど当然のように持っていない純コにしてみれば、卓に残された使用済みペーパーナプキンと同じだ。くしゃりと丸めてゴミ箱行きである。


 そしてそれは純コだけではなく、おパや麦もそうだし、慶次郎のポケットにも当然のように入っている。慶次郎はまだしも麦とおパはホールに出ないにも拘らず、会計前にカウンターに寄る女性客が意味ありげな視線と共に渡していくのだ。


 最初こそ「これ何?」と慶次郎に尋ねていたものの、その慶次郎自身もさっぱりわからないとくれば、やはり末路は同じだ。

 慶次郎はスマートフォンを持ってはいるが、そのメッセージアプリを利用していない――というか、もう純粋に電話の機能しか使用していない。だったらガラケーで良いじゃないかと思うのだが、新しもの好きの歓太郎に唆され(二台購入で何かしらのキャンペーンがあったか、接客してくれた店員さんが彼の好みだったか)、持つに至った、という経緯である。


「それで? 何に集中していると?」


 きゅ、と皿を拭き上げた麦が眼鏡の奥の瞳を細める。

 いつもなら「何何?」と割り込んできそうなおパは珍しく黙って視線だけを寄越していた。


 けれど慶次郎は答えない。

 代わりに麦が「あの男でしょう?」と言う。

 その言葉に慶次郎は、こく、と軽く頭を下げた。ただ、それは下がったまま、上がることはない。俯いたままである。


「それで、飛ばしているのです」


 何十体、って、とおパが眉を顰める。


「ちょっと、慶次郎。そんなにぽんぽん出すくらいならさぁ、ぼくらに言えば良かったじゃん」

「そうですよ、水臭い。いまからでも遅くありませんよ」


 二人からぐちぐちと責められると、慶次郎はふるふるとかぶりを振って「だってさ」と下唇を突き出す。


「君達は僕の命令を聞かないじゃないか」


 拗ねたような物言いに、麦とおパはやれやれと視線をかわした。そこへお冷巡回から戻った純コも加わり、「あのなぁ」と呆れた声を出す。


「もうめんどくせぇから言っちゃうけどよぉ。お前、そもそもおれ達を何の目的で呼び出したんだよ。おれらの役割は何だ? お前の奴隷か? 召使か?」

「我が主、何なりと御命令を、と膝をつけば気が済みますか?」

「それでこうべを垂れろって? ぼく達、そういうんじゃないじゃん!」


 そう言うと、おパはカウンターを出、すたすたと店の外に出ると、ものの数秒で再び戻ってきた。


「もう今日はいまいるお客さんで終わりね。CLOSEのプレート出しちゃったから。良いよね?」

「そうですね。異論ないかと」

「問題ねぇな。いまの客がはけたら今日は店じまいだ。そうだろ、慶次郎」

「だけど」


 そう言ったきり黙ったから、これはYESと同義だ。はい、決定、そうと決まったらいまのうちに腹ごしらえだよ、と差し出されたのはランチメニューのホットサンドとコンソメスープである。渡されたサンドイッチを大人しく受け取って、一口齧り、慶次郎はぴくりと眉を上げた。


「……ピーマン」

「あ、気付いた? 今日のホットサンドはピザ風にしてみたんだ~。トマトソースにソーセージと玉ねぎ、ピーマン、たっぷりチーズ~」

「もうピーマンも食べられますよね? 慶次郎?」

「もともと食べられたってば」

「文句たらたらだったし、こっそり純コに食べてもらってたじゃん」


 ぎろり、と慶次郎ではなく純コを睨みながらそう言うと、「うっ」と声を詰まらせたのは焦げ茶耳の式神の方である。「だってあまりに可哀相でよぅ」ともごもごと言い訳を並べて視線を泳がせた。


「いままでありがとう純コ。でももう大丈夫だよ。もう僕はピーマンさんを一人になんかしない」

「おやまぁ」

「あの絵本、そんなに気に入ったの?」

「葉月サマサマだな」


 ぎゅっと目を瞑って黙々とサンドイッチを完食し、スープを飲む。


「友達のいない寂しさを、僕は良く知ってる」


 と、独り言のように言って――、は、と顔を上げる。


「そうか、君達は、僕のなんだった」


 憑き物が落ちたような顔で三人を見つめると、彼らは三色のケモ耳をぴくぴくと動かして、同時に大きく息を吐いた。


「んもー、思い出すのっそぉ」

「友達なんですから、主従関係なんてあるわけないでしょう」

「昔はさんざん遊んでやったってのに、ちょぉーっと大きくなったら忘れやがって。可愛くねぇなぁ」

 

 何だよ、この姿だからか? 前の方が良かったか? ともふもふの尻尾を撫でる。果たしてその姿は、尻尾それの見えぬ客にはどう映っているのだろうか。


 もふもふと毛の流れに沿って撫でる手を止め、「それで?」と、純コが片頬を緩める。


「友達のおれらに、どうしてほしいんだ」


 その言葉に麦とおパも続く。


「友達には何て言うんだっけぇ?」

「まさか、『お前達に命ずる』なんて言いませんよねぇ?」


 ニヤニヤと半眼でそう言われてはばつが悪い。何せ、ずっとそう言い続けてきたのだ。そしてそれはことごとく無視されて終いだったが。


「お願いだ。力を貸してほしい」


 ぺこりと頭を下げる。

 かの晴明殿はこうやって式神に頭を垂れたことがあっただろうか、と正直思わないでもない。だけれども、これはこれで良いのだ。自分は晴明殿ではない。誰が何と言おうとも、彼ほどの陰陽師であるとは、到底思えない。


「仕方ないなぁ」


 と、右肩におパの手が乗る。


「友の頼みとあらば」


 と、左肩に麦の手が乗る。


「一肌でも二肌でも脱ぐっきゃねぇなぁ」


 と手の置きどころがなくなってしまった純コが、ぽむ、とそれを慶次郎の頭に乗せた。


しからば、慶次郎」


 と、麦がその顔を覗き込む。


「我らに力を。真名まことなで呼んでいただけますか」

「いままで頑なに拒否してたのに。呼んでも良いの?」

「もちろん」


 わかった、と顔を上げた慶次郎が大きく息を吸ったところで――、


「ちょっと待った!」


 と、おパのストップがかかった。


「何かお客さん達ずっとこっち見てるからさ。あの、お客さんみんな帰ってからにしない?」


 よりにもよってその時の客は全員が女性。

 何の偶然か、に造詣の深い方々ばかりだったのである。

 イケメン四人が固まって何やらキャッキャとしている(ように見える)のを、「コーヒー以外のものもご馳走さまです!」という思いで見守っていたのであった。

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