第52話 勝負の日

「『今度』と化け物には会ったことがない」


 というのは、あたしの母親がよく言う台詞だ。

 今度ね、って結構気軽に口にする言葉だけど、それは案外実現しないもんだからあてにすんな、みたいな。だから、約束するんだったら確実に日程まで詰めなくちゃいけないし、単なる社交辞令なら「今度」って言っときゃ良い。


「ちゃんと日程詰めときゃ良かったな」


 ぽつりとそう漏らす。


 慶次郎さんとアイスを食べながら夜の散歩をした、その翌々日のことである。本日をもって、あたし、蓬田葉月は二十歳。飲酒もたばこも許される年齢となった。それでいま、加賀見部長とリク先輩にお祝いしてもらうべく、待ち合わせ場所の駅前ベンチでぼけっと座っている、というわけだ。時刻は現在午後六時。


 昨日はみかどに顔を出していない。

 神社の方にも、だ。

 週二、三回って約束だったから、別に昨日行く必要はなかったっていうか。まぁ、ぶっちゃけちょっと気まずいってのはあったし。泣き顔見られちゃったからなぁ。


 だってあたしは彼の太陽なのだ。

 太陽が泣き顔見せるとかあって良いんかい、ってね。


 まぁよくよく考えたら。

 別にこっちをキャンセルしたって良かったのである。急に友達が祝ってくれることになっちゃって、って言うだけで良かったのだ。

 実際、あの式神達プラスわいせつ神主は祝おうとしてくれてた。慶次郎さんを取り囲んで、おパさんは「慶次郎の馬鹿ぁ! 何で早く教えてくれなかったんだよぉ」と泣き、麦さんは「もしや抜け駆けするつもりだったのでは?」と疑いの目を向け、純コさんに至っては「おい、そのブチョーだかっていうやつ、いまから襲撃してキャンセルさせようぜ!」と過激な発言をしていた。そんでその脇にいた歓太郎さんはというと、「はっはっは。お前達、こらこら」なんて笑っていたけど、純コさんのその発言にだけは「それ良いな」と真顔だったのが怖い。


 いや、そもそも何であたしの誕生日バレてんの? って話になるんだけど。もしや慶次郎さんがバラしたか? と思ったが、そうではない。そういやあの店には防犯カメラ――というか慶次郎さん観察用カメラだけど――があるのである。あたしが慶次郎さんのヘルプに駆け付けた後も、当然彼らはそれを見続けていたはずだ。つまり、あたしと部長の会話も全部聞かれていたというわけである。おいあの店とんでもねぇぞ。


「葉月葉月葉月! 当日じゃなくても良いからさ、ねぇ、次の日! 次の日なら良いでしょ!?」

「先約があるのなら仕方がないです。我々は翌日に祝わせてもらいましょうか」

「よっしゃ、決まりだな。そういうわけだから、慶次郎、その日は店貸し切りな!」

「えー、そんじゃ俺も神社アッチ臨時休業にして良いかな」


 そんなこんなであれよあれよと『あたしのお誕生会 at 珈琲処みかど』の開催が決まり、どさくさ紛れにふざけたことを抜かしていたわいせつ神主は「良いわけないだろ」と四人(ケモ耳ーズwithあたし)の声でしょんぼりと肩を落としていた。


 慶次郎さんだけは、ただ、困ったように笑っていただけだったけど。


 それで、そう、日程を詰めときゃ良かったっていうのは、あたしの誕生会ではない。『今度』で濁してしまった、ハンバーガーのことだ。たかがハンバーガーではない。されどハンバーガーなのだ。


 あの人に足りないのは、そういうところなんじゃないかって気がして。

 いや、ハンバーガー成分が足りないとか、血中ハンバーガー濃度がどうたらとかそういうんじゃなくてね。そういうアメリカンな話じゃなくて。

 

 気になるお店に冷やかし半分で入ってぷらぷらするとか、コンビニに寄って立ち読みするとか、ふらっと買い食いするとか、そういうやつだ。どれもこれも、たぶんほとんどの人が経験しているやつだと思う。その隣に友達がいるか、ってのはまぁオプションみたいなものだけど。あたしは一人でも全然やってたし。


 と、そこまで考えて「あ」と声が出た。

 慶次郎さんが頭を抱えていた、ケモ耳式神達の問題行動を思い出したのである。


 おパさんは確か、自由気ままに歩き回っちゃうんだっけ。

 そんで麦さんは、雑誌コーナーで立ち読みしちゃって。

 で、純コさんは買い食いをする。


 もしかしてそれは。

 慶次郎さんがいままでにしてこなかったことなのではないか。

 したくても出来なかった――かどうかまではわからないけど、だけど、きっと、学校が終わって寄り道もせずにまっすぐ帰宅していた慶次郎少年はきっと、どれもしてこなかったに違いない。

 

 彼らはもしかして、慶次郎さんの代わりにそれをしているのではあるまいか。

 だとしても、だ。

 仮に、式神達が慶次郎さんの代わりにそれらをしていたとしても、だからといってそれが彼に何かしらの影響を及ぼしたりするだろうか。むしろ、その辺りを「全然僕の言うことを聞いてくれないんです」と喚いていたくらいである。たぶん何の影響もないだろう。


 かといって、単なる偶然にしては出来過ぎているような……とぶつぶつ呟いていると。


「蓬田」


 後ろからそう声をかけられた。

 振り向くと、そこにいたのは加賀見部長一人である。


「ああ、どうも。あの、リク先輩は?」

「磯間は後から来る。色々準備があるみたいでさ」

「そうなんですか」

「ふっふっふ、なーにかサプライズでも考えてるのかねぇ」

「それ言っちゃったらサプライズじゃないですよ」

「ははは。大丈夫、俺、その辺のことは何も聞いてないし。とりあえず行こっか」

「そうですね」


 腰を上げ、部長の斜め後ろにつく。店は部長が決めたから、あたしはどこかわからない。とりあえず、地酒と焼き鳥が美味しいところらしい。二十歳のJD女子大生のバースデー会場としてそのチョイスはどうなの、という気持ちも正直あったが、かといって男二人に女一人の組み合わせでシャレオツなイタリアンとかっていうのも恥ずかしかったのかもしれない。というか、加賀見部長だしな。まぁ多少はマシになったけど、今日もシャツをズボンにインしてるし。


 服の上からお守りを撫でる。

 リク先輩に会うのはもう随分久しぶりだ。

 振られた翌日にホームセンターで偶然会ったきり。

 また連絡しますとか言った癖に、結局何もしていない。だって何て送りゃ良いのよ。何事もなかった振りして、『やっほー、どうもですー』って? 出来るか、そんなの。


 だけど、もしかしたら、ってほんのり期待はしてた。

 もしかしたら先輩の方から何かしら送って来てくれるんじゃないか、って。その時はまだ彼女がいるなんて知らなかったし。


 もし彼女のことを知らなかったら、あたしはきっと、かなり浮かれていたはずだ。誕生日をリク先輩に祝ってもらえる(加賀見部長もいるけど)ということもそうだし、何より、『機』とやらが巡って来たのだから。それで、例えば先輩が襲い掛かって来たとしても――そりゃあ初めてだから正直ちょっと怖いけど――何だかんだ応じるんだろう。


 そしてそれは、彼女のことを知ってしまったいまでも起こり得るかもしれない未来だったりするのである。いや、それは断固としてNOの構えで臨まなければならない。


 念には念を、と露出はかなり抑えめの恰好にした。

 さすがに男物のTシャツにジーンズというのも失礼だろうと、それなりに『女っぽい』恰好ではあるけれども、こないだみたいなスケスケふりふりではないし、絶対にそういうことに持ち込まれない、持ち込まれたとしても流されずに逃げられるよう、下着も年季の入ったくたくたのやつだ。これなら決意が揺らいで「浮気相手でも良いかな」なんて思っても、絶対に見せるわけにはいかないということで、多少の抑止力になるのでは、という、まぁぶっちゃけただの気休めなんだけど。


 ただ、年季自体は入ってるけど、案外高かったんだよなぁ。これを買った頃はまだ安い下着屋さんの存在を知らなくてさぁ。


 などと途中からおかしな方向へ取っ散らかってしまった思考に、何考えてんだ、とセルフツッコミをしてくすりと笑う。


 そしてふと、顔を上げて気付くのだ。

 こっちは飲み屋街がある方ではない、ということに。

 そもそも待ち合わせ場所が西口なのがおかしいのだ。居酒屋に限らず、飲食店が密集しているのは北口の方なのだから。

 考え事をしながらただ黙ってついて来たけど、こっちの方にも居酒屋とかあるんだろうか。


 隠れ家的なアレかな?

 

「あの、部長」


 ひっそりとした住宅街に足を踏み入れたところで、きょろきょろと辺りを見回す。「こんなところにお店があるんですか?」と問い掛けると、少し前を歩いていた部長はぴたりと立ち止まって振り向いた。


「ないよ」


 あの人懐こい笑みでそう告げられ、じゃあどこに、と尋ねようとしたところで、バチッ、という殺虫灯のような音が聞こえた。同時に、いままでに体験したこともないような痛みが襲ってきたが、果たして自分は悲鳴を上げられただろうか。


 具体的にどこが痛いのかもわからぬまま、自分の声も一切聞こえぬまま、あたしの意識は途切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る