第51話 僕が、助けに行きますから

「何すんの」

「すみません」

「すみませんじゃなくて」

「はい」

「いや、そこで『はい』とか冷静に返されたらこっちもどうして良いかわかんないから」

「すみません」

「だからすみませんじゃなくて」

「ごめんなさい」

「謝罪バリエーションの問題じゃなくてな?」


 とにかくまずは離れろぉ! と腕に力を込めると、彼はあっさりと引いた。あたしが掴んでしまったせいでちょっとシワになってしまっている口八丁手八丁豆腐八丁部分に関しては、ちょっと申し訳ない気持ちになるけど。


「あの、本当にすみません。何か身体が勝手に動いてしまってというか」


 まぁ真実なんだろう、この人の場合。

 こういう時の女の黙らせ方はこうだ、なんて How to とは無縁の人間だろうし。いや、あの馬鹿兄貴わいせつ神主が吹き込んでる可能性がなきにしもあらず――ってまぁそこは良いや。


「良いよ、別に。あたしも胸倉掴んじゃったし。それはごめん」

「いえ、それくらいは、本当に、全然」


 ぽつん、ぽつん、と点在する街灯の下、あたし達は、お互いに気まずい気持ちで向かい合っている。とりあえず歩きながら話そうか、と提案すると、慶次郎さんもそれを快諾した。そうだ、立ち止まって向かい合ってるからそんな変なことが起こったりするわけよ。歩きながらならそんなこと起こりっこないから。


「なんていうかさ、ちゃんと言わなかったあたしが悪かったよ。ごめん」

「ちゃんと言わなかった、というのは?」

「うん? いや、ほら、『深い仲』って。ちょっと恥ずかしくて変に濁したのが悪かったな、って。だけどさ、そんなのってなくない? そりゃ確かに深い仲だよ。だけどさ、それってあたし、ただの浮気相手ってことじゃん。そんでリク先輩は彼女がいるってのに別の女に手を出す二股野郎じゃん」


 思わず荒らげそうになる声をぐっと抑える。落ち着けあたし、どうどう。


「何度も言うように、好機は必ず巡ってきます。ただ、それを知ることが出来るか否か、というだけです。先輩と深い仲になる、という『好機』は、いま確実に巡って来ているんです。これを掴めばはっちゃんは絶対に先輩と深い仲になれます。だけど。ですけど」

「わかってる。だけど、それは……違うよね」

「です、よね。すみません」

「いや、慶次郎さんが謝るこっちゃないよ。確かにベストタイミングではあるんだろうしさ。でもさ、これでわかった」


 ごそごそ、と服の下からお守りを取り出す。なんだかんだ言って、あれからずっと首から下げていたのだ。


「返す」

「返すって……、何で」

「これが『好機』なんだったら、これ以上はない気がする」

「ないとは、言いきれませんけど」

「あるとしても、もう良い。ねぇ、『好機』ってさ、知っちゃってても無視は出来るわけでしょ? あたしが何もしなければ、リク先輩はきっとそんな最低野郎にはならないよね?」

「恐らく」

「だったらそっちの方が良いや」

「わかりました。でも、『機』そのものは巡ってきます。明後日会うわけですし、はっちゃんが特別動かずとも先輩の方から何かしらのきっかけはあるかもしれません。もちろん、はっちゃんが応じなければ済む話なんですけど」


 差し出したお守りが再び戻される。


「もし、はっちゃんの気が変わることがあれば別ですが、そうでない場合は、これが必要です。だから、持っていてください」

「ていうか、気が変わったりなんてしないって。あたしはさ、そりゃあ先輩のことが好きなんだけど、だけど、何ていうかな、先輩はヒーローみたいな感じだったっていうか」

「ヒーローですか」

「そ。前にね、あたしがすっごいピンチの時に助けてくれたのよ。ヒーローってそういうもんじゃん? ヒロインがほんとのほんとのピンチの時に助けに来るっていうか」


 ま、あたしがヒロインなんておこがましいんだけど、と笑い飛ばす。誰だよ自分は自分の人生の主役とか言ったやつ。あたし、全然ヒロイン枠じゃないじゃん。


「だからさ、ヒーローはヒーローのままでいてほしいじゃん。彼女とうまくいってないからって、手頃な後輩で欲を満たすとかさ、そういうやつになってほしくないっていうか」


 そう、あたしの中でリク先輩はヒーローなのだ。そりゃあヒーローったって中身は人間なんだし(異星人とかが変身しているパターンは除く)、プライベートは案外だらしないところもあったりするかもだけど。そんな舞台裏を知ることが出来るのは、やはり彼の身近な人物だけなのだ。例えば――、彼女とか。


 何だろう。

 振られたのは一回なのに、二回失恋した気分だ。


「はっちゃん」

「何よ」 

「ひぃ! すみません」

「いや、ごめん。睨むつもりはなかったんだけど。それで、何?」


 よほどあたしの睨みが怖かったのだろう、胸に手を当てて、ふぅふぅと呼吸を整えている。ごめんな、もしかして君、心臓弱い人だった?


「あの、僕が助けに行きますから」

「はい?」

「これからは、はっちゃんが本当の本当のピンチの時は、僕が助けに行きます」

「はぁ? 慶次郎さんがぁ?」


 いや、言っちゃあ悪いけど、あたしの方が強そうなんだが?

 君、虫も殺せないタイプでしょ? いやあたしだって好き好んで殺さないけど。いや、蚊とかね? Gとかはね? まぁ積極的に頑張るっていうか。いや、そうじゃなくて。


「良いって良いって。あたしはさ、もうそんなピンチになることもないから。ていうかね、二度も三度も同じことが起こるわけないんだし。あの時はたまたまっていうか。いやー、あたしも若かったっていうかさー」

「はっちゃん」


 ぺらぺらと調子よくしゃべっていたあたしは、その声で黙った。

 別に怒鳴られたわけじゃない。

 特別低い声を出されたわけでもない。

 ただなんか、ひたすら悲しそうな声色だった。


「僕が、助けに行きますから」

「……おう、そん時はな」


 何でかわかんないけど、涙が出た。

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