第50話 そういうんじゃないじゃん

「あたしと先輩の星が重なる……」


 って、どれとどれの星? と夜空を指差すが、慶次郎さんはふるふると首を振った。


「そっちの星もそうなんですけど、厳密にはそれだけではないというか……。なのでたぶんわからないと思います」

「マジか。やっぱ慶次郎さんしかわからないもんなの? そういうのって」

「僕だけ――というわけではないですけどね。ただ、恐らくはっちゃんには難しいかも、と」


 どうしてもというなら腰を据えてお話しますが、と真面目腐った顔で返すのを、「それは良いや」と返す。


「とにかくアレね、あたしとリク先輩がラブラブになる絶好のタイミングが来た、ってことね?」


 思ったよりも早かったな、というのが正直なところだ。何せ加賀見部長から先輩の彼女の話を聞いたばかりである。そして、彼の話を信じるならば、二人はまだ別れていないのだ。


「ラブラブかどうかは……、はっちゃん次第というか。でも、縁は、その、確実に、というか」


 おや、と思った。


 何か随分と煮え切らない。何よ。この分野については自信があるんじゃなかったの?


「まぁ、でもほら、なんつーの? 縁さえどうにかなりゃあね、うん。そりゃあもうラブラブになってみせるって。大丈夫」

「そ……、そう、ですよね」


 そんな相槌を打つが、視線はきょろきょろと忙しない。ああこれはきっと何か隠してるんだ。本当にこの人は隠し事が下手だなぁ。


「でさ」

「はい」


 おいちょっと目ェ逸らしてんじゃねぇぞ、と睨みつけて、こほん、と咳払いを一つ。


「何か隠してんでしょ」

「か、隠してるわけでは」

「じゃあ全部言いなさいよね」

「ですが、その。別に、言わなくても支障はないというか」

「支障はないって何よ。それは慶次郎さんが判断することじゃないでしょ」

「ですが!」


 彼にしては珍しく、大きな声を上げたものの、再び、しゅんと肩を丸めて俯く。


「……縁は結ばれます。はっちゃんは先輩と深い仲になれます」


 肩に『しょぼん』なんて言葉を背負って、ぽつりと言う。


「……先輩に彼女がいても?」

「――なっ! 何でそれを!」

「やっぱりそれか。隠してたのは」

「いえ、その、隠してた、というわけでは」

「じゃあ、何なの。ていうかね、そこいっちばん大事なところだから。彼女がいる状態なのに深い仲ってどういうことよ。縁って、どんな縁よ」


 いや、別にね、慶次郎さんを責めたいわけじゃない。

 先輩に彼女がいるのは慶次郎さんのせいじゃないし、よくわからんけど、そのあたしと先輩の星? ってやつが重なる云々にしたって、彼がどうこうしたわけではないだろうし。いくら陰陽師ったってその辺は操作出来ないわけでしょ?


 しばらくの間、慶次郎さんは俯いたまま黙っていたが、やがて観念したように顔を上げると、きゅ、と眉を寄せて一際悲しそうな顔をした。ああ嫌だ。これだからイケメンは困るのだ。そんな表情も絵になることなること。何だか胸が苦しい。


「人間は……その、動物ではありますが、ええと、発情期、というのはないと言われています」

「は? いきなり何の話?」


 おい、何だいきなり発情期とか。何言いだすんだ、このイケメンは。


「ですが、その、様々な条件によって、それが訪れることもあり――つまり、その、何としても、相手を欲するようになる、と言いますか」

「だーかーら、さぁ。何の話よ。いまそんな話だった? あたしと先輩の縁のはな――、ちょ、っと待ってよ。え、もしかして、何、え?」


 深い仲って、そういうこと?


「はっちゃんのおっしゃる通り、先輩には、長年交際されている恋人がいます。ただ、いまは離れています。その、物理的な距離、という意味ですが」

「それも知ってる。さっき部長から聞いた。ていうか何で慶次郎さんも知ってんの。陰陽師ってそういうところまで読み取れるわけ?」


 ちょっと怖いんだけど、と無理やり笑ってみたけど、正直なところ頬は引き攣ってた。だってそこまでわかるとか、普通に怖いじゃん。


「さすがに詳細まではわかりませんでしたが。ただ、先輩はもう一つの星とずっと重なっていたんです。それが離れぬままはっちゃんとも重なろうとしていたので、それで、ちょっと気になって」

「気になって?」

「式神で」

「……成る程」


 覗き見とか、ストーカーとか、そんなような言葉は正直よぎった。だけど、例えばこれが探偵だったとしたら、別におかしな行動でもないわけで。そりゃあ証拠を押さえるだろう。ただ、そのやり方が陰陽師ならでは、というだけの話だ。


「つまり、あれ? その彼女さんと別れそうとか、もう別れる寸前だったりとかで、それで、あたし、ってこと?」

 

 ここまで来たらもうそれに賭けるしかない。もう都合が良すぎる話だけど、たまたま彼女と別れそうで、何ならまさにいま別れ話をしてて、それで、そういやあいつに告られたなぁ――って、いや、正直それはそれでやっぱりちょっと嫌だけどさ。しかもさっき慶次郎さん発情期云々とか言ってたじゃん。てことは、よ。いまの想像が正解だったとしたら、そこにプラス『ヤりたい』ってのが加わるわけじゃん? 結局身体目当てって話になるじゃん? まぁ確かに深い仲ではございますけど!?


「別れそうとか、別れる寸前とか、その辺りのところまでは正直。何やら喧嘩はしていたようですが。でも、お付き合いはまだ継続しているものと思われます」

「なのに、いまがベストタイミングなの?」

「そうです」

「おかしいじゃん。だってさ、あたしあれからずっと会ってないし、電話もメッセージのやり取りもしてないんだよ。それに、彼女がいることも、その彼女とあんまりうまくいってないかもっていうのも知らないことになってるんだから。こんなの普通に考えたら」


 熱くなっているあたしに、「そうです」というやけに冷静な声が返って来る。


 そうだ。

 普通に考えたら、だ。


 告白して振られた相手とずっと会っていなかったら。

 電話もメッセージのやり取りすらもしていなかったら。

 長年付き合ってる彼女と喧嘩してるなんて知らなかったら。


 スルーして、その未練がましい心ごと自然消滅させるところなのだ。

 普通は、どんな人にでも好機は必ず巡ってくるだなんて知らないし、ましてやそれが巡ってきたことを知る手立てもない。


 身近に、でもいなければ。


「だからみんな、逃すんです。そうやって機を逃してしまうんです」


 さすがは陰陽師、御見それしました。


 そうなるところなんだろう。

 いまの台詞だって、もっと胸を張って、「どうです。すごいでしょう」って感じで言えたはずなのだ。

 慶次郎さんだって、あたしと約束した時は、そうなると思っていたはずだ。


「いま先輩は、はっちゃんを……求めているんです。ですが、それは時間が経つにつれて薄れていきます。はっちゃんがこのタイミングで彼の前に現れなければ、また彼女と仲直りをするでしょう。ですから、いまが好機なんです。明後日、会う約束をしていませんでしたか?」

「し……たけどさ。でも、二人きりじゃないし」

「そのようですね。だから、はっちゃんも動かなくてはなりません。どうにか二人きりになって、それで……」

「それで? 迫れって? 彼女のこととか何にも知らないふりして、やっぱり好きです、抱いてくださいとでも言えって?」


 思わず胸倉を掴んでしまう。口八丁手八丁豆腐八丁がくしゃりと歪んだ。


「確かに深い仲になれるかもだけどさぁ」


 そういうんじゃ、ないじゃん。

 

 そうぽつりと言う。

 視界には、真っ白いTシャツと、ちょっと歪んだヘタウマとも評しがたい豆腐の絵。


 そのへったくそな豆腐の絵が眼前に迫ってくる。あたしの鼻が柔らかく温かなものに触れ、おや、と思う。


 ひょろいひょろいとばかり思っていた慶次郎さんの胸は意外とがっしりしていて広かった。


 苦しくない程度に抱き締められたあたしは、何だ、案外着やせするタイプなんじゃん、とかそんなことを考えていた。

 

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