第44話 そういうんじゃないですから

「ごめん、働いてる時に。ていうかまさか蓬田がここで働いてるなんてなぁ」


 よっこいしょ、と座敷に上がった部長は、あたしに座布団を勧めながらそう言った。


「いえ、ここはちょっと手伝ってるだけなので、別に働いてるとかじゃないんですよ」

「そうなんだ。手伝うって、何、知り合い?」


 彼と。


 とカウンターで作業中の慶次郎さんに視線をやる。つられてそちらを見ると、彼はてきぱきと閉店作業に入っていた。この店は五組目のお客さんが帰った時点で閉店だ。本日のスープは終了しました方式である。普通カフェはこんな風に閉めないはずだが。何、本日の豆がなくなりましたって?


「えー、まぁ、ちょっと」


 まさか彼の専属太陽を仰せつかりまして、なんて言えるわけもなく。


「ふうん。まぁ良いんだけどさ」


 そう言って、一緒に移動したコーヒーを一口飲む。どう考えても確実に冷めてる。このお店、コーヒーおかわり無料とかやってないもんなぁ。かといって慶次郎さんが気を利かせて声をかけることもないだろうし。何せ彼は閉店作業をして――、


 いや、違うな。コーヒー淹れてんな。そんで何、こっちに来たじゃん。何?


「はっちゃん、もし良かったら、どうぞ。手伝っていただいたお礼――と言っては何ですが。それと、はっちゃんのお知り合いだそうで。もし良ければ」


 おお、慶次郎さん。そういうことも出来るんじゃん。


「ああ、何か気を遣わせてしまったみたいで。いただきます」

「ありがと」

「僕はあっちで作業していますから、何かあれば声をかけてください。ごゆっくり」


 軽く会釈をして、その場を去る。

 おお、これは完全にちゃんとした大人の対応だよ。何だよ、全然やれるんじゃん。


「やっぱり気になるなぁ」


 淹れたてのコーヒーではなく、冷めきった方を、ぐい、と飲み干してから部長がぽつりと言う。


「何がですか?」

「あの店員さん。店員さん……店長さん?」

「あぁ、店長さんです、若いけど」

「蓬田とどういう接点があるのかな、って。蓬田、ここの常連なの?」

「えー、うん、まぁ、そんなとこですかね」


 あはは、と濁す。

 何だよもぉ、良いじゃんか。あたしがイケメンとお知り合いでもさ。


「いや、蓬田の交友関係に口を出すつもりはないんだけど、ほら、磯間の件」

「――んぐぅっ!」


 久しぶりに聞く名前に思わずむせる。げっほげっほオェッ、とおっさんみたいな咳をしながら、卓の端にあるペーパーナプキンを引っ掴んだ。カウンターから「はっちゃん?!」という声が聞こえる。それに「うっ……、げほっ、大丈夫」とちっとも大丈夫ではない声で返した。


「あの、部長。何か聞いて……?」

「まぁ、そこまで詳しくではないけどね。さらっと、っていうか」

「さらっと、です、か」


 何だよ、さらっとって! どこまでの話なんだよ、『さらっと』って!

 ていうか何、リク先輩、そういうの人に話しちゃうわけ? あーでもあの時三人で出掛けてたもんな。それが急にいなくなるんだもん、さらっと話すかぁ。ううん、だからその『さらっと』ってどこまでの話よ?!


「まぁ、その、なんていうかさ。駄目なら次、っていうのもある意味潔いとは思うんだけど」

「違います!」


 口の周りと卓をサッと拭いたペーパーナプキンをくしゃりと握りしめる。ちっくしょう、さらっとっていうか、これ全部聞いてるじゃん絶対!


「慶次郎さん……あの店長とはそういうんじゃないですから。あたしはまだリク先輩が」


 そうだ。

 あたしはリク先輩が好きなのだ。

 先輩だけだ。ほんとのほんとに。たぶん、絶対。

 だから慶次郎さんに協力して、先輩と縁を結べる絶好の機会を狙っているのである。


「そっか。いや、ごめん。俺の早とちりだよな」


 悪かった悪かった、と困ったように目尻と眉毛をふにゃりと下げて、とんとんと人差し指で卓を叩く。自分に注目してほしい時の部長の癖だ。卓だったり、持っているカメラだったり、とにかく身近にあるものをとんとんと叩くのである。軽く音を鳴らす程度の仕草だけれども、あたしとリク先輩なんかはそれにすぐ反応するようになった。とんとん、という音が聞こえる度に揃ってそちらを見るものだから、「君達、兄妹みたいだね」なんて部長からよく言われたものだ。


「いえ、良いんです。まぁ、そう思われても仕方ないとは思いますし」


 だってあれだけのイケメンだ。そんなイケメンとお近付きとなれば、そりゃ下心の一つや二つあるように見えるものだろう。


「ていうか、部長こそ」

「何? 俺?」

「さっきの方とどういうご関係なんですかぁ?」


 仕返しだ、という気持ちと、話題を変えたくてそんなことを振ってみる。もちろん彼女と部長がどんな間柄だろうと全然気にはならないんだけど、「気になりますねぇ」なんてリップサービスまでしてやる。いやぁ参ったなぁ、と言われ、形勢逆転と舌を出した。


「いやいや、彼女とはね、ほんと何でもないんだ。蓬田は知らないと思うけど、あの子もサークルのメンバーなんだよ」

「そうなんですか。えぇ、全然知らなかった」

「まぁ全然顔も出さないし、学部も学年も違うしねぇ。あの子四年生だからさ。もう就職先も決まって卒論も……たぶん終わったんじゃなかったかな?」

「へぇ」

「実はあの子さ、俺の写真のファンなんだよ」

「ファン! すごいですね、部長」


 確かに彼は『部長』の名に恥じぬ腕を持っているのである。とはいっても、何かとんでもない賞をとったり――とまではいかないものの、ちょっとしたコンクールで入選するくらいはしているらしい。本当は写真コレで飯を食いたいんだけどねぇ、と言いつつ、院に進学して何度聞いてもわからない分野の研究をしているのだそうだ。写真よりそっちの方が将来的に食えるのだろう。よくわからないけど。


「ふふふー、すごいだろう? だけど彼女もなかなかでね。それでたまにこうやって会って、お互いに撮った写真を交換したりしてるってわけ」

「へぇ。メールとかじゃ駄目なんですか?」

「それでも良いんだけど、なんていうかな、スマホで見るんじゃなくて、写真として残したい、っていうか」

「成る程、そういうのがあるんですね」

「あとはまぁ単純に、おっかないじゃん? ネットとか通すとさ。はっはっは」


 ウィルスとかさぁ、と言いながら、新しいコーヒーを飲む。それは確かに一理あるかもですね、と話を合わせたけど、心の中では「どんだけヤバい写真なんだよ」と突っ込まずにはいられなかった。

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