第43話 頑張れそう?

「それじゃ、少々お待ちください」


 メニューを見ることもなくホットコーヒーを、と注文をいただき、カウンターに戻る。


「慶次郎さん、ホットコーヒーお願い」

「はい。かしこまりました」


 升で淹れんなよ、と軽口をたたくと、「大丈夫です」という笑みが返ってきた。おお、なんかちょっと余裕? 何だよちゃんとやれてるんじゃん。


 この『一日十組』って縛りをどうにかしないとなぁ、などと思いつつ、シンクに溜まっているカップを洗う。まぁ今後一人で回すって考えたらそれくらいの制限はあった方が良いのかも、って気もするけど。でも、「スープがなくなり次第終了」みたいな人気ラーメン店でもあるまいし、そんな営業スタイルで大丈夫なのか、という心配もある。


 あ、でもこの店は慶次郎さんのリハビリ施設みたいなものだから良いのかな? いや、そんな心構えで経営するカフェもどうなの、って気もするけど。


 と。


「はっちゃん、すみません」

「んお? どした?」

「いえ、あの手伝ってもらって、オーダーとか。カップまで洗っていただいて」

「あー、良いよ良いよ。あたしコーヒーも淹れらんないし、おっしゃれーなフードメニューも作れないけど、これくらいならさ」


 いや、親子丼とかならね? めんつゆ使って良いってんなら全然作れるんだけど、と言うと、加賀見部長のコーヒーをトレイに乗せた慶次郎さんは、


「食べてみたいです、はっちゃんの親子丼」


 とほほ笑む。うん、やっぱりこの人はイケメンだ。イケメンっつーか美男子だ。全然好みのタイプじゃないはずなのにドキッとするから扱いに困る。


「いやいや、毎日おパさんの激ウマ料理食べてる人には食わせらんないでしょ」


 じわ、と胸が熱くなるのを隠すように笑い飛ばすと、彼はトレイを持ち上げつつ、そんなことは、と首を振る。


「いつか、ぜひ」


 そう言って、加賀見部長の卓へと向かった和服姿の、しゃんと伸びた背中が美しい。


 いつか彼が、歓太郎さんみたいな神主姿であの神社に立つ日が来るんだろう、なんてことを考える。確実にここでカフェの店長をやってるより様になる。そんであの白い紙がわさわさついた棒を振ってさ、ウニャウニャってなんかお祓いとかするんでしょ? ううん、まぁ、あんまり大きな声でウニャウニャしてんのはイメージ湧かないし、腹から声出して悪霊退散! とか、もっと想像出来ないけど。ああ、悪霊とかはないんだっけか。ないのかな、ほんとに。知らんけど。


 などと馬鹿なことを考えているうちにカップやらお皿やらを洗い終える。戻ってきた慶次郎さんにそれらを拭かせ、ひそひそと今日のお客さんについて尋ねる。


 本日のお客さんは、午前中はちょっと常連になりつつあるおばあちゃんと、ベビーカーを押したママさんズ、若いカップルが二組と年配のご夫婦。そして午後がノートパソコンを持ち込んだリーマン風の男性と、可愛らしいカバーをつけた本を黙々と読む若い女性、それから三人組の女子高生に、買い物帰りと思しき主婦っぽい人、そしていま店内に残っている大学生か社会人かわからない女性。と、彼女が呼んだ加賀見部長である。


 主婦の人を除いて、割と皆さん長居するタイプだったようで、店内にお客が0という時間もなかったとのこと。うん、まぁまぁなんじゃないかな?


「そんで、だいぶ慣れた? 一人で頑張れそう?」

「ううん、どうでしょう。ちょっとまだ自信がないです」


 一度にフードメニューが入るとどうしても、と俯きかけるが、「だったらさ」と言えば、ぱぁっと表情を明るくさせて「もしかしてはっちゃんが手伝ってくれるんですか?」などと宣う。いやいや、何でよ。


式神あの子達呼んだら、って」

「ですけど、僕は一人でも」

「いや、なんていうかさぁ。そういうことじゃないと思うんだよねぇ」

「どういうことですか?」

「普通に考えてさ。いずれ人数制限を撤廃して、ほんとのほんとに通常営業すると考えたらよ? どう考えても慶次郎さん一人では無理なのよ。現にいま、シンクに洗い物溜まってたしね? お冷巡回も出来てなかったでしょ?」

「それはまぁ」

「だから普通のお店はバイトを雇うわけ。でもそれは、そこの店長が能力不足だから、ってわけじゃないじゃん。慶次郎さんに求められてるのはさ、店の経営もそうだけど、人とのコミュニケーションの部分なんだし、裏方仕事をしてもらう人がいたって良いじゃん」

「良い……んでしょうか」

「そりゃそうよ。問題は、そいつらがしゃしゃり出て、慶次郎さんが前に出るべきところも全部持ってっちゃうことよ。外から雇えばその辺の心配があるかもだけど、あの子達ならちょっとはわきまえてくれるんじゃない?」


 まぁ、最初にあたしがここに来た時は大層しゃしゃり出てくれたけどな。


「検討します」

「おう、検討しろ検討しろ。ただし、日本人特有の『検討という名の後回し』は禁止ね。ちゃんと考えて結論出しな。店長なんだから」


 そんな会話をしていると、「すみません」という声が聞こえて来た。現在この店にお客は一組しかいない。加賀見部長の卓だ。そしてそれは部長の声だった。


「いま行きます」


 布巾をかけた慶次郎さんが言うと、部長はこちらを見ながら「いや」と言う。


「ご注文ですか?」


 ひょこ、と首を伸ばしてあたしが尋ねると、彼は苦笑混じりに「いや、そうじゃなくて」と首を振る。卓に着いた慶次郎さんが「お冷ですか」と聞くが、やはり「いや」の返事である。

 それじゃ何だ、クレームか? とそわそわしていると、「蓬田」と呼ばれた。


「あたし? 何でしょうか」

「ごめん、ちょっと蓬田に話があって。あっち良いかな」


 と奥の座敷を指差す。

 まぁ、他にお客さんいないしね? 別に良いんだけど。


「お連れ様がいるのに、よろしいんですか?」


 そう尋ねたのは慶次郎さんだ。おお、そういうの聞けるようになったんか、君。


「良いの良いの」


 慶次郎さんの方も、また、目の前の彼女さんの方を見ることもなく、そう返す。この感じからしてもしかして彼女ではないのかな? まぁ良いけど。


 そして部長の言った通り、女性は卓に伏せられている伝票の下に千円札を挟んで、彼に「それじゃお先に」と言い、あたし達には「ご馳走様でした」と言って店を出て行った。何だか随分とあっさりしている。この感じからしてやっぱり彼女ではないのかもしれない。彼女だとしたらかなり長く付き合っている熟年夫婦みたいな――って、いや、別にどうでも良いんだけど。


 ていうか、お連れさんが帰ったんならこの席でも良くない?

 

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