第42話 久しぶりの人

「おぉ、慶次郎が接客してる! 歓太郎、これもっと声おっきく出来ないの?!」

「出来る出来る。ちょっと待ってろ……。ほい、どうだ」


『三百二十円のお返しです。ありがとうございました』


「オッケーオッケー、良く聞こえるよ」

「いやぁ、こうしてみると、まともな社会人みたいだなぁ。あとはお客さん一人だけだし、何とかなるね」

「そうですねぇ。ああ、でもシンクにカップが溜まっているではありませんか。ほら、ちゃっちゃと洗ってしまいなさい、もう!」

「麦はいちいち細かいんだって。……あっ、慶次郎、お冷が空だぞ? 手が空いたんならお冷巡回しろよなぁ」

 

 テーブルの上に置いたタブレット端末を覗き込むケモ耳達である。

 いや、あたしもね? 見たいのよ? ちゃんと働いてるのかな、って。だけどね、三人の頭が圧倒的に邪魔なのよね。頭っていうか、ケモ耳が? いや、正直なところね、そこに頭を突っ込みたい欲求はなきにしもあらずなのよ。あのね、彼らのケモ耳、想像以上にもっふもふだからね。そんなもふもふ空間に頭というか、いや、頭じゃなくてもせめて手くらいは突っ込みたいって、誰もが思うやつよ。だけどね、残念ながら、彼ら、大型犬ではないのよ。その耳の下には麗しすぎるご尊顔があるわけ。そう考えるとよ。出来るかっつーの。出来るかっつーの。大事なことだから二回言ったっつーの。


 でもまぁ、ケモ耳達の反応からして、まぁまぁちゃんとやれてるみたいだし、見なくても良いかな、とも思うわけで。


 と。


「あっ、ヤバい」


 そう叫んだのは歓太郎さんだ。

 彼は果敢にもそのケモ耳の中に頭を突っ込んでいるのである。


「どうしたのよ」


 そう言いながらも、どうせ大したことないんだろうな、と思う。釣銭が切れたとか、コーヒー豆を派手に散らかしたとか、そんなものだろう。いやいや、それくらいのトラブルを乗り越えてこそでしょ。


「中にいるお客さんが友達を呼んだみたい。入れないって店の外から電話かけてきてる。あっはっは」

「あっはっは、じゃないでしょ。ちょっと慶次郎さんに言って開けてやるしかないんじゃない? ていうか、聞こえてるでしょ絶対。開けてやれば良いのに」

「そう思うじゃん?」


 そう言って、四分割されたタブレットの画面を指差す。ほいほい、ちょっとお前達どいたどいた、と言いながら。


「はっちゃん、カウンターの黒板見て。端っこに『正』の字。ね? 既に五組入ってるわけよ。だから慶次郎は『本日の営業はこれにて終了』って思ってるはずだよ。そんでほら、卓に伝票置いてあるじゃん? てことはオーダー分はすべて配膳してるわけ。だから、あのドアの外の人はあくまでも新規客扱いになってるんだと思う」


 あいつ融通利かないからなぁ、などと言って、さぁどうする、と腕を組む。カウンターの中にいる慶次郎さんがチラチラとドアの方を見ながらそわそわしているのがわかる。たぶん、開けないと、と思っているはずだ。だけど、五組と決めてしまったし、と思っているのではないだろうか。歓太郎さんの言う通り、彼は融通が利かない。別に午前に五組、午後に五組と決めたからって、絶対というわけじゃない。五組に満たないこともあるだろうし(幸いなことにいまのところはないみたいだけど)、一組が団体客の可能性だってある。そしたら五組のところを三組にしないとパンクするかもしれないし。それくらいのこと、何でわからないんだろう。


「あー、もう。ちょっと行って来るわ」


 ピンチの時はわかる、と言いながらもちっとも動こうとしないケモ耳達を押しのけて、さっさと社務所を飛び出した。どう見たってピンチじゃん。


 あのね、客商売なんだから、多少は融通利かせなくちゃ駄目なんだって。こんなんで客足が途絶えたらどうすんのよ。あんたのその顔でお客さんがいつまでも釣れると思ったら大間違いなんだから!


 だだだだだ、と石段を駆け下りる。あの時の靴擦れはとっくに完治した。履き慣れたスニーカーのあたしに死角なし! ただただ上下左右に荒ぶる乳がもげそうってだけ。クーパー靭帯がやべぇ。


「ヘイ、慶次郎さん!」


 勝手口からまさに『勝手に』入ると、彼はかなり驚いたような顔をして振り向いた。


「とっとと開けてやんなよ」

「え? あの……」

「あのお客さんが呼んだんでしょ?」

「どうしてそれを?」

「あー、細かいのは後々、まずはお客さん。ほら、笑顔でお出迎えしなって」

「いや、でも午後の分は」

「つべこべ言わずに開けろっつってんの! それともあたしが開ける?」

「いや、僕じゃないと」

「おう。そんならとっとと行け。店回すの自信ないならあたしが手伝ってやるし、もしもの時は応援も呼ぶから」


 ほら、と膝で尻を蹴ると、あわわ、と言って彼は動き出した。全く世話の焼ける店長である。店長っつぅのは、不測の事態にも対応出来てこそでしょうよ、などとぶつぶつ文句を言いながら、お冷の準備をする。さーて何人来たのかな?


 か細い「いらっしゃいませ」の後に聞こえてきたのは、「やっと開いたか」という声である。声と足音からすると一人だ。なぁんだ。いやー、お待たせしちゃってすんませんねぇ、と心の中で思いつつ、トレイの上にお冷のグラスを一つ乗せる。


「あ、来た来た」


 店内の女性客が、腰を浮かせて手を上げた。


「ごめん、何かドア開かなくてさ」


 いやぁ、それについてはほんとすんません。ウチの店長ちょぉーっとばかり融通が利きませんで、ええ。


 さて、運んでやるか、とメニューを脇に挟んで顔を上げる。


「あ」


 カウンターに戻ってきた慶次郎さんが、あたしの顔を見て「お知り合いですか?」と問い掛けて来る。それにこくりと頷いて「大学のね、所属してるサークルの部長さん」と答えた。


 ひと頃よりはちょっと身だしなみに気を遣うようになった加賀見部長である。といっても、眼鏡を変えて定期的に髪を切るようになったってだけで、相変わらずチェックのシャツをズボンにインしてたけど。


 へぇ、彼女とかいるんだなぁ。ちょっと意外、なんて言ったら失礼か。


「いらっしゃいませ、部長」


 そう言うと、ちょっとこじゃれた眼鏡の奥の目を一度大きく見開いてから、きゅ、と細め、「あれ、蓬田よもぎだじゃん」と笑う。見た目は『THEオタク』って感じの加賀見部長は、案外人懐こく笑うのだ。


 そのこじゃれた眼鏡は、リク先輩と三人で出掛けた時に、部長は見た目で損してるんですよ、とあたしが言ったのをきっかけにリク先輩と二人で選んだものである。彼は最初「こんな陽キャっぽい眼鏡はちょっと」などと言っていたが、かけてみると案外悪くなかったらしい。それから男性にも行きやすい美容室を紹介したのもあたしである。毎月とまではいかなくても、せめて三ヶ月に一回くらいは行った方が良いですよ、って。

 もしこの向かいに座る女性が彼の恋人なのだとしたら、ぜひともあたしに感謝してほしい――っていうかむしろ、そういうのはあなたがやってくれよ。


 いや、それとも、そのお陰で出来たとか?

 だとしたら、うん、やっぱあたしに感謝して?

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