第37話 ひとりで行けるもん(ほんとかよ)
「でもさ」
と、あたしの肩に頭を乗せて、おパさんが言う。どう考えても彼の方が身長があるわけなので、絶対に歩きにくいだろうに、彼は断固としてあたしから離れる気はないらしい。とんだ甘えん坊キャラである。そんで何よりも、この状態に最早慣れてしまっているあたしが怖い。ただ、ひたすら暑苦しい。いくらイケメンでもくっつかれたら暑いものは暑いのだ。ましてや七月末である。
あと、耳が擽ったい。
ちょうどね、首に触れるわけ。そのふさふさの垂れ耳が。もうね、ふわっふわだから。さては君、毎日ブラッシングしてるな?!
ちょっと擽ったいんだけど、と言うと、え~? 良いじゃ~ん、と返されて終いだったけど。
「さっきの人が葉月の好きな人だと仮定してもだよ」
「おう、『好きな人
「待って。そこ『仮定』じゃないから。
「まぁまぁ葉月。良いじゃないですか」
「良くない! 大事なところだから!」
ちょっと慶次郎さんも何か言ってよ! と数歩後ろを歩いていた慶次郎さんの方を向くと、あたしが渡したお買い物メモをじぃと見つめていた彼は、この世の終わりみたいな顔をして「はっちゃん……」と声を震わせた。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ。お腹でも痛い?」
「痛くありません。それは大丈夫なんですけど」
「じゃあどうしたの?」
それが……、と言ったきり声を詰まらせ、俯いてしまう。何だ何だどうしたとさすがのケモ耳ーズ(反抗期)も心配そうに彼を取り囲む。すると、顔を隠すようにして上げられたのは――、
お買い物メモである。
お世辞にもきれいな字とは言い難い、あたしの手書きのやつだ。しかも財布に挟まっていたレシートの裏を使ったやつである。
「これがどうしたのよ。……あっ」
トイレットペーパー、食品用ラップ、と箇条書きされたメモを心の中で読み上げて気付いた。
「ボールペン、忘れてた」
ここまで消沈する理由がまさかたかだかボールペンの買い忘れということはないだろうと思いつつも、それは自分だったら、という話である。この人の場合、再起不能になるくらいショックを受けている可能性もある。可能性もある、というか、もう既に再起不能レベルに陥っている。
案の定、独り言のようなあたしの言葉に、力なくこくりと頷いた彼は、「やっぱり僕って何をやっても駄目なんですぅ」とまーた面倒くさい。
それじゃもっかい行こうか、と言いかけてやめた。まだリク先輩がいるかもしれないからだ。まぁボールペンくらいその辺のコンビニで買ったって良いんじゃないかな。ていうか絶対に必要なものでもないし。これはほら、練習用だから。
だから、そう伝えた。
そんじゃ、帰りにちょっとコンビニ寄ろうよ、って。
けれど慶次郎さんは、納得しない。
さすがに彼もコンビニくらいは行ったことがあるのだという(ただし、ケモ耳ーズの補足によると、歓太郎さんと一緒に、というか彼について行っただけらしい)。だから、あの大型ホームセンターで、あの魑魅魍魎のような商品達の中から目当てのものを探し出したいのだそうだ。
気持ちはわからんでもない。
せっかく(少々)自信をつけたのだ。最後まできっちりとやり遂げたいのだろう。
えぇ、でもなぁ、リク先輩まだいるかなぁ。いないとしても、引き返した道中でまた出会っちゃったりしたら――それはそれで運命を感じちゃったりするけどさ。
ううんううん、と考えていると、慶次郎さんは、きゅ、と眉を寄せ、下唇を噛んで小さく手を挙げた。
「どした? 慶次郎さん」
「……僕、一人で行って来ます」
「うっそ、マジで?」
「マジです。行って来ます」
「えー、ちょっと大丈夫? せめてほら、ケモ耳達も連れて行くとかさ。え? アンタ達、主が心配でしょ?! ね? ね?」
少なくともあたしは心配だよ。だってこの人、数十分前まで売り場がわかりません~、って半べそかいてたからね?
だけどケモ耳達はそろってふるふると首を振る。ちょ、おパさんその位置では止めて。マジで擽ったいから。
「慶次郎なら出来るよ、頑張って!」
「私は慶次郎を信じています!」
「男として一皮剥けてこい!」
何かもう良い感じの言葉で送り出そうとしてやがる。
そんで慶次郎さんはそんなケモ耳エールにちょっと感動してるし。どうなってんだこのピュアネス二十三歳。少しは疑えよ。悪い大人に騙されんぞ。もう騙されてんのか。
ていうかたかだかボールペンのおつかいで皮は剥けねぇだろ。
「みんなありがとう! 行ってきます!」
うん、まぁ、やる気は大事だから。
「あー、それじゃあさ。あたし待ってるよ。えっと、あぁ、駅前の広場。わかる? 通って来たでしょ、あのしょっぼい噴水があるところ。そこのベンチで待ってる」
さすがにボールペン一本だ。二時間も三時間も待たされるなんてことは――、
あるな。
あるわ、この人の場合。
「あのさ、わからない場合は店員さんに聞くんだよ? 相手が大人でもちゃんと案内してくれるから」
店員さんに聞く、と言った瞬間に眉を下げたのは、恐らく「子どもじゃあるまいし」などと考えたからだろう。慌てて「大人でも」と付け加えてやると、やっと安心したような顔になった。
そして彼は、お金の入ったジッパーロックを握り締め、戦地に赴く兵士のように勇ましく、
「では、行って来ます!」
と顔を上げた。
彼に釣られてか、ケモ耳達も何やら精悍な顔つきで口々に「頑張って」だの「ご武運を」だのと言っている。
いや、ボールペン買いに行くだけだからな? 頑張ってはわかるけど、武運って何だよ。
行きよりも大きくなったように見える(見えるだけだ)背中を見送ると、「さて」と仕切り直しのような声が聞こえる。麦さんである。
「我々も移動しましょうか。その、しょぼい噴水がある広場に」
「あぁ、そうだね」
行こ行こ、と、イケメンを引き連れての大移動である。ああ、道行く人々(主に女)の目が痛い。いや、わかるよ。わかりますよ。何でお前が、って言いたいんでしょ。いや、良いんだよ? 全然勇気出してもらって逆ナンしてくれてもさ。何人か(この場合『人』のカウントで良いよね?)引き取ってもらっても、っていうか、いっそ全員でも良いくらい。
でもね、来ないんだ。
あのネイルギラッギラのギャルギャルしい子も、夢カワきゅるるんのガーリーな子も、明らかにこっち指差して「ヤバくなーい?」って笑ってる女子高生達も。女子高生なんかは集団でワーワーって来てくれたりしないかな? って密かに期待してたんだけど、ヤバいヤバい言うだけで来やしねぇ。
頼む、誰か! 主にこのあたしの腕から離れないゆるふわ君を引き取ってくれ!
などという願いは誰にも届かなかった。
気付けばそこは目的地である、駅前広場、しょっぼい噴水の前である。
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