第21話 憧れのリク先輩

 さて、その翌日。


 結局あの後は、マジで歩くことに限界を感じ、タクシーも止む無しか、と思っていたところへ、なかなかに味のあるボロい軽自動車に乗った歓太郎さんが颯爽と現れたのだった。


「話まとまった? そんで? 明日から来る感じ?」


 窓を開けて爽やかにそう言う彼の顔には「計画通り」的な言葉がしっかりと書かれていて、成る程、それでこいつは追ってこなかったのか、と膝を打つ。


 今日出会った男に家を知られるのは、と警戒する気持ちも0ではなかったが、まぁさすがに神職者は大丈夫だろうという、正直いま思えば何の根拠もないんだけど、とにかくあっさりと後部座席に乗り込んで、送ってもらったのである。


「念には念を」


 と言って、慶次郎さんは例のお相撲さん型式神をもしもの時のボディガードとしてつけてくれた。今回の命令は「相手が誰であろうともはっちゃんにいかがわしいことをしようとしたら、首根っこを捕まえて最寄りの交番にぶん投げること」らしい。いやそれ逆に大丈夫なの? ぶん投げて怪我でもさせたら逆に訴えられないかな?


「大丈夫です。彼らは紙で作りましたから。最後は消えてなくなります」

「いや、だとしてもさ。慶次郎さんが製造責任とか問われないの?」

「大丈夫です。証拠は残りません。僕には辿り着けません」

「いや、どう考えたってこんなこと出来るの、日本全国でアンタだけやで……」


 さらりと出てきたエセ関西弁でそう言うと、「はっ、そうか」ってびっくりしてたけど、むしろ何でそこに気付かないんだこの人は。


「大丈夫だって、俺がついてるんだからさ~」


 ハンドルを握る歓太郎さんはへらへら笑っていたけど、むしろこの子はお前からあたしを守ってるんだからな。相手が誰であろうとも、って貴様の弟が言ってたの聞いてたか!? 交番にぶち込まれないように大人しくハンドル握ってろ!


 とりあえず、何事も起こらずに車は我が家に着いた。共働きの両親がまだ帰ってきていなくて良かった。芯のあるビーズクッションみたいな感触のお相撲さん型式神と歓太郎さんにお礼をして別れる。


 そして、風呂場に駆けこんでぐいぐいとメイクを落とし、ざばざばとシャワーを浴びた。

 ファンデーションやらワックスやら、今日のあたしはとにかく自分由来じゃない油分が多かった。それがべりべりと剥がれていくような感覚が心地よい。


 あれだけしっかりヒレカツ定食を食べた上に、コーヒーも何杯かいただいたためにお腹はパンパンである。もしかしたらおかしな時間にお腹が空いてしまうかもしれないが、冷蔵庫の中のものを勝手に食べれば怒られる。許されるのは父さんのおつまみ用の魚肉ソーセージかな。まぁ、どうしてもという時はそれを齧る、ということで。


「にしても」


 たった数時間なのに、あの時間は随分と濃かった。

 式神だ陰陽師だなどと、はっきり言って、漫画や小説でもあるまいし、という話である。正直なところ、まるっと全部夢でした、ってオチだとしても納得である。


 まぁ、夢であってほしいのはそれだけではない。


 枕元にぶん投げられているスマホを手に取る。ホーム画面を表示させるが、ずらりと並ぶアイコンには新着を知らせる赤い丸はない。


 画面上に表示されている時刻は十九時。いつもならこの時間なのである。


 ぴこん、とメッセージアプリのアイコンの右上に、赤い丸がつく。それと同時に小さなウィンドウが開いて、差出人とメッセージの最初の行だけが表示されるのだ。


 それはほとんどの場合、同じ人物。同じ大学の一つ上の先輩だった。


 磯間いそま大陸ひろむという名の彼は、『大陸たいりく』と書くことから、『リク先輩』と呼んでいる。


 リク先輩は、恐らく誰が見ても『男らしい』と評されるような外見をしている。背も高く、身体の厚みもすごい。髪はさっぱりと刈り上げられていて、肌は健康的な小麦色。太い眉、ぱっちりとした二重。白い歯。これで『ヤリサー』と悪名名高いテニスサークルにでも所属していれば、あたしは絶対に近付かなかっただろう。


 けれど彼はそういった浮ついた(とあたしは思っている)サークルではなく、どういうわけか、写真サークルに所属しており、その中でも野鳥ばかりを撮っているのだ。


 大学のサークル活動というのは、よほどの強豪でもなければほとんどが出会いや飲み会が目的のお遊びだ(とあたしは思っている)。かくいうあたしもその写真サークルに所属しているわけだが、その理由は、飲み会が少なそうだということと、いかにもチャラそうな女子や先輩がいなかったから、だったりする。


 女子の輪に入るのは、正直怖い。

 いや、入れば入ったでそれなりにうまくやれる自信はあるのだ。けれども――、この胸である。信じられないかもしれないが、胸が大きいというだけで謎のやっかみの対象となったり、余計なトラブルに巻き込まれたりするのである。


 また胸の話かよ! と思われたかもしれないが、気にせず続けさせてもらおう。


 これはまだあたしがどのサークルに入ろうかと悩んでいた時のことだ。

 その時のあたしはまだテニスサークルというものが、そういう男女の肉体的な出会いの最短コース(※あくまでもウチの大学の話である)だというのを知らなかった。そこへ、入る入らないは置いといて、飲み会だけでも参加してみない? と声をかけられたのである。


 その結果。


 速攻でお持ち帰りされ、襲われかけた。

 理由は一つ。


 胸がデカかったから、だそうだ。死ね。


 しかもそいつがサークル内でまぁまぁそこそこの地位のやつだったらしく、


「〇〇先輩に色目を使いやがって」やら、

「〇〇先輩の誘いを断るとか有り得ない」やら、

「被害者ぶってるけど、そんな胸をしている方が悪い」やら、と陰口というか割と真正面から言われたのである。


 いや、そんな胸って言われましてもね? 何、晒しでも巻けってか? 汗疹あせもが出来るんだよ! 出来たんだよ! もう既に試してんだよ! こっちはよぉ! 


 その〇〇先輩(名前も覚えていない)の方でも、『胸が大きい=遊んでいる』説を信奉しているタイプの人間だったらしく、『一緒に酒を飲んだ(あたしは烏龍茶だったけど)=持ち帰りOK』という何度聞いても理解出来ない謎理論を展開させてあたしに襲い掛かって来たのである。


 まぁ、口車に乗せられてほいほいとついて行ったあたしもあたしなんだけどさ。


 で、だ。

 抱きつかれて、胸を鷲掴みされた。


 それを助けてくれたのがリク先輩だったのである。連れ込まれたその〇〇先輩と同じアパートに住んでいて、顔見知り程度の間柄だったらしいのだが、あたしの叫び声を聞いて何事だとすっ飛んできてくれたのだ。もう恋に落ちるには十分すぎるでしょ、こんなの。どこぞのヘタレ陰陽師よりも全然ヒーローっぽい。いやごめんな、慶次郎さん、比べちゃって。だけどさ、やっぱりいまの時代はまじない云々よりも物理的なパワーなのよ。


 とまぁそんなこんなで助けてもらったわけだけど、もちろんそれっきりで終わると思っていた。

 メッセージアプリのIDを交換したわけでもないし、何なら名前も知らなかったからである。とにかく腰が疲労骨折しそうなほどお礼をして、逃げるように――実際逃げる感じで――その場を去ったのだ。一分一秒でもそこにいたくなかった。

 この手の事件の話を聞くと、とっとと警察に行って相手を捕まえてもらえ、なんて思ってたんだけど、自分の身に起こるとわかる。なかなか言えるもんじゃない。抱きつかれて胸を掴まれただけだし、そもそもついて行ったあたしも悪いと言われたらそれまでだ。


 だからいまだに両親にだって言ってない。


 リク先輩のことは、せめて名前くらい聞いておけば良かったと後悔したけど、まさか同じ大学だとも思わなかったし、仮に同じ大学だったとしても、広いキャンバスの中で見つけられるとも思えなかった。そのアパートにはタクシーで行ったから、どこにあるかもわからない。


 再び出会ったのは、それから数ヶ月後のこと。

 学内に掲示されていた写真サークルの作品パネルをぼぅっと見ていた時のことである。


「それ、良いでしょ」


 知らない人からそう声をかけられた。

 

 自慢じゃないが、あたしは男性によく声をかけられる。ああそうさ、この胸のお陰でな! どうやら『胸が大きい=遊んでる』説というのは結構メジャーなやつらしく、「だから俺らとも遊ばない?」的なお誘いが多いのである。良いか、乳なんてものはな、真面目に生きてたって膨らむ時は膨らむんだ! 覚えとけ!


 とにもかくにも、声をかけられたのである。

 こう言っちゃなんだが、『オタク』を絵に描いたような人だった。野暮ったい眼鏡、だらしなく伸びた髪、チェックのシャツはズボンにイン、何が入ってるかわからないが、とにかくパンパンのリュック(授業道具とカメラ関係らしい)。だけど、その人はあたしの胸を見ることもなく、その写真の良さを熱っぽく語ったのである。まぁほとんど何を言ってるかはわからなかったけど。


 ただ、


 その写真を撮った人物というのが、とにかく野鳥を撮るのだけは抜群に上手いのだ、ということだけはわかった。


 で、ちょっとだけ興味が湧いて、どうやらそのサークルの部長さんらしい彼に活動内容を聞いてみたところ、特に全員で集まってどうこうすることもなく、飲み会はしたければしても良いけど、必ずやるのは新入部員の歓迎会のみで、あとは個人でお好きに、というスタンスだった。教えてくれと言われればアドバイスくらいはするし、何名かで連れだって撮影旅行に行っても良いけど、旅費は各自で負担、という、本当にただ写真好きが集まっているだけのサークルのようである。


 ちなみに、カメラを持っておらず、撮影は専らスマホ、という人もいるらしい。


 その言葉に背中を押され、あたしはそんな緩い写真サークルに入部することになったのである。


 それで、その唯一、部を上げて開催される歓迎会で、リク先輩と再び会ったのだ。

 

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