第3話 イケメン>(引き戸+升コーヒー)
「わ、わわわ大変、大変だわわわ」
泣いているあたしよりも店員さんの方が大ごとである。新しいおしぼりを、と電子レンジみたいなやつの中に入っているおしぼりを両手いっぱいに取り出してカウンターにどさどさとぶちまけたり、それよりもティッシュ? 気持ちを落ち着けるならハーブティー? ええと、当店のお勧めはですね――、などと言って、あわあわと吊戸棚をバタバタと開け閉めしたりして。
そんな彼を見ていると、ちょっと気持ちに余裕が出てくる。
「あの、ほんとに大丈夫ですから」
「――ぅえっ!? わ、わぁぁぁぁぁぁ!」
踏み台に上がり、あたしに背を向けて吊戸棚の中に顔を突っ込むようにして何かを探していた店員さんが、首だけをこっちに向けた拍子にバランスを崩したらしい。奇声を発してそこから落ちた。その上に吊戸棚から落ちた小さな紙袋が、ばさばさと彼の頭に直撃する。
「あ、あ
「うわぁ、大丈夫ですか。ていうか、ぶふっ、ぶふふふふふ……! すみません、笑っちゃって、ぐふふ、ぶふ」
「だ、大丈夫です。ああ、良かった。もう泣いてませんね。良かった良かった」
「いや、良くないですよ。店員さんの方が大丈夫じゃないですから。なんかすみません、あたしのせいで。袋も散らばっちゃったし」
「いえ、良いんです良いんです。封を開けてないやつですし、破れてもいませんので、セーフです。床も毎日ピカピカに掃除してますから」
手伝いましょうか、と腰を上げると、店員さんは困ったような顔で「いや、勝手にしまうと怒られるんですよ」と笑う。
「怒られる? 店長さんから、ですか?」
そういえばこの店にはいまのところ店員が彼しかいないのである。ついでに言えばお客もあたししかいない。まぁ、コーヒーを升で出すような店だしな。もしかしたらオープン当初こそ目新しさで繁盛したかもしれないけど、徐々に客足が途絶えたのかもしれない。あり得る。いや、それでもこんなイケメンの店員がいるのだ、それ目当ての女性客なんてのがいても良いと思うんだけど、それこそほら、グロスを塗りたくってる女性客がさ。
そんなことを思い出して、再び胸がちくりとする。けれども、もう涙は出なかった。
「いや、店長は僕なので」
「あぁ、すみません」
「いいえ、あんまり店長ぽくないって言われるんで、慣れっこですよ」
そう言って、彼は照れたように笑いながら、床に落ちてしまった紙袋を拾い上げた。確かに店長ぽくはない。若すぎるというか。たぶんあたしとそんなに変わらないんじゃないかな。少なくとも、二十代前半だろう。
「片付け担当がいるんです。そいつがですね、まぁ細かくて。これはここ、これはここ、ってきっちり決めてるんですよ。僕が勝手にしまうと駄目なんです」
「でも、ちょっといじっただけで落ちて来るんだったら……」
「そうなんですよ。そいつは、あくまでも『きっちり収める』のが目的になっているというか……。使うのは僕なのに」
ぶつぶつと口を尖らせて文句を垂れる様はやはりあたしといくつも変わらないように見える。少なくともさっきまではうんと大人に見えたんだけど。
「というわけで、その片付け担当を呼ばなくては。……ちょっと失礼します」
そう言うと、彼は、口を尖らせて、ぴゅう、と口笛を吹いた。
ひええ、人を呼ぶのに口笛とかマジかよ。何? これが昨今のトレンドなの?! カフェの常識なの?! ていうか、他の店員さんいたんだ!? だとしても普通カウンターの中にいない? だって他にお客さんもいないんだし。それとも何? やっぱり奥の座敷では
と、薄暗い奥の座敷の方を、じぃ、と見つめていると、そことは逆の方向――つまり入口の、例の引き戸の方から「何ですか」という声がした。
うえっ!? そっち?! 外にいたんだ?! スタッフルームが外にあるってこと? そりゃあ口笛も吹きますわな、って聞こえるかーい! 普通、電話とかじゃないの、こういう場合?!
とにもかくにも現れたのはすらりとした長身のこれまたイケメンである。いやもうこの店がお客0っておかしいよ。この二人がいるだけで引き戸と升コーヒーの減点分はチャラでしょ!
「麦、また落ちて来たんだけど」
「またですか。全く、慶次郎はどうしてこうおっちょこちょいなんでしょうね」
「ちょっと待って。絶対僕のせいじゃないから。麦のしまい方がおかしいんだって。開ける度にいっつもこうなんだからさ」
「そうですか?」
「あのさ、きっちり収めれば良いってもんじゃないからね? ここを開けるのも使うのも僕なんだから、僕が使いやすいようにしてくれないとさ」
だったら店長さんがしまえば良いのに。そう思いながら、冷めたコーヒーを啜る。冷めてさえいれば、まぁ升でも飲めなくはない、かな。
「ていうか――」
と、その長身イケメンがこちらを見た。
イケメン度と 背の高さしか言及していなかったけど、目立つ特徴は他にもある。
例えば、髪。染めてるんだろうけど、ものすごくきれいな白髪なのである。
ていうか普通さ、あそこまできっちり色抜いたらもっと髪ってバサバサになるはずなんだけど、全然そんなことないわけ。しっとりうる艶。えっ、シャンプーのCMとか出てませんでした? って感じ。
そんで彼は着流しじゃない。シンプルな白のワイシャツに、黒のスラックス、そして、深緑色のロングエプロンである。エプロンだけはお揃いだ。
そんで、それ以上の大きな特徴といえば。
耳と尻尾である。
いや、耳はね、ちゃんと顔の横にあるのよ。あるんだけど、頭の上の方にね、ケモ耳っていうの? ふかふかした感じの三角のやつ――例えるなら秋田犬のような真っ白いケモ耳がついているのだ。そんで、こちらは秋田犬ではない感じ(つまり、くるんと巻いてるやつじゃない)のふっさふっさの白い尻尾がある。お尻を見ていないのでどんな感じでつけてるのかはわからないけど。
何? ここってコスプレカフェなの!?
いや、もう突っ込まない。指摘したら何かもう絶対面倒なことになりそう。無視だ無視。せっかくすごいイケメンなんだから、そのままで勝負すりゃあ良いのに。何やってんだよ。素材で勝負しろ。
「お客さんじゃないですか」
「そうだよ。お客さんがいるから、ここの棚を開けることになって、それで、降って来たの。そういう話をしてるんだよ、いま」
「成る程。わかりました。では――」
そう言うと、『麦』と呼ばれた白髪イケメンが、ぱんぱん、と顔の横で両手を打ち鳴らした。
へいへいへいへい、今度は何だオイ。フラメンコでも始まるの? ケモ耳フラメンコとか勘弁してよマジで。どんなサービスよ。
えぇ、ちょっともう早いとこ雨止んでくれないかな。本格的な和の内装に升コーヒー、そしてコスプレ店員にフラメンコサービスとか、この店、何か怖いんだけど。
と、今度は、やっぱりあたしが見ていなかった奥の座敷の方から、「呼んだぁ?」「客か? 客か?」という声と共に、これまたタイプの異なるイケメンが現れた。何だ、フラメンコじゃなかったのか。返事が「オ・レィ」だったらフラメンコだけど、「オ・レィ」じゃないからフラメンコじゃない。
――じゃなくて!
ねぇ、人が見てないところから現れる演出、マジで何なの?!
狙ってやってんの?! そうなんでしょ?!
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