第2話 コーヒーあり〼、じゃねぇわ!
飲みづらい。
その一言に尽きる。
とりあえず、この角の部分から飲むのかな、と思いつつ、ずずず、と啜っているわけだが。ほら、大抵注ぎ口って尖ったとこじゃん?
何だろうね、そりゃあいままで缶とか、マグカップとかね? 色んなものに口をつけて飲んできましたとも。そのマグカップにしてもよ? ウチにあるのはせいぜい百円ショップで買うような完全に見た目の可愛さ重視のやつだったりするもんだから、飾る分には良いんだろうけど、みたいなフォルムのやつもあるし、そういうのって、やけに分厚いから結構飲みづらかったりするんだけど。
それにしたって丸みがあったからね?
口に添う感じっていうのかな?
えっ、何? こんなきっちり九十度の部分で熱いものを飲むのって、こんなに難易度高いもんなの? 角が唇に刺さって痛いし、この厚さがまたどうにも厄介すぎる。それとも何? 口の中に注げって? 火傷するわ!
前にゼミの新歓コンパで日本酒が升に注がれてるのも見たけど、あれは中にコップが入ってて、升は受け皿みたいな感じだったっていうか。いや、受け皿っていうか、そっちにも並々注がれてたけどさ。まぁアレは多少こぼしてナンボみたいな部分もあったし。もちろんあたしは飲んでないよ。まだ十九ですから!
あっ、もしかしてこの角の所じゃないのかな? って思って縁の方でトライしてみたけど――、
「――
傾け過ぎたのか口の端から垂れる始末である。
咄嗟に顎を突き出して手で受け止める。セーフ、服には落ちてない。
何だ。
何なんだこれは。
素人には難しすぎねぇかオイ。
升だけに『コーヒーあり〼』って? やかましいわ!
「大丈夫ですか?」
そんでこのイケメン店員がよぉ。呉服屋の主人かよ、って雰囲気のイケメン店員がよぉ。
大丈夫ですか、じゃねぇんだよ、全く。開幕引き戸から升コーヒーに至るまで一つも大丈夫じゃねぇわ。この店にカップはねぇのか。洋の要素はねぇんかい。
いや、和にも『湯呑』っつぅものがあるはずだが? ていうか、コーヒーを出している時点で和縛りは無理じゃない?
「大丈夫……ですけど。飲みづらいですね、はっきり言って」
新しいおしぼりを受け取りつつ、そう答える。お客なんだし、お金払うんだし、これくらいは言っても良いはず、うん。
どんな反応をするだろうかと見守っていると、一瞬の間の後に、彼は「やっぱりそうですよね」と小さくため息をついた。
「僕もそうなんじゃないかな、ってうすうす気付いてはいたんですよ」
へい若旦那! うすうすレベルじゃ駄目だよ! もっとしっかり気付こうぜ!
「あの、だったら変えたら良いんじゃないですかね。あたしなんかが口を出すことじゃないですけど」
「いいえ、お客様からのご意見は貴重ですから。僕が言ったって、あんまり聞き入れてもらえないというか」
成る程、彼はただの店員、もしくは雇われ店長なのだろう。彼より上の人間がいるわけだ。そうかそうか、ならば彼に罪はない。
「やっぱりアレですか、この店のコンセプト的に、みたいな」
「まぁ、そうですね」
「ここまで徹底して『和』ですもんね。升にコーヒー淹れたくなる気持ちはわかりますけど」
「わかっていただけますか」
「まぁ、はい。気持ちだけですけど。マジでクッソ飲みづらいんで。あっ、ごめんなさい。クソとか言っちゃって、飲食店なのに」
「良いんですよ、全然」
ヤバいヤバい。うっかり素が出ちまったぜ。せっかく今日は気合入れて可愛い恰好してるってのに。
可愛い恰好、してるのに。
いつも適当に櫛を当てるだけだった髪も、動画を見ながら一生懸命ハーフアップとかにしてさ。
トップスもしゃわしゃわしたちょっと透け感のある女らしいやつで。中もちゃんと見せる用のやつで。色もピンクとかだし。こんな胸が強調されるだけのような素材の服なんて普段は絶対着ないんだけど。
でもさすがに全身女っぽいのもどうかなって思って、下はジーンズだけど。それもいつも履いてるダボっとしたストレートのやつじゃなくて、足首がきゅっとしたスキニーのやつだし。
靴だって、履き慣れたスニーカーなんかじゃなくて、フラットシューズだけど、つま先がピンと尖ったやつだし。
鞄もいつものより小さいやつで。
化粧だっていつもより気合入れて、ちゃんとチークまでしてるし、マスカラも塗った。ビューラー使ったのなんて何年ぶりだろ。めっちゃ痛かったし、まつ毛も何本抜けたやら。口だって、薬用リップじゃなくて、ちゃんとグロスにした。キスしたくなる、ってCMで言ってたやつ。ほんのり色づく感じね。口紅は何かちょっと恥ずかしいから。
なのに。
なのに、なぁ。
ふと視線を落とすと、グロスのべったりとついた升が見える。それを慌てて指で拭った。
「すみません」
「何がですか?」
「いや、あたしこういうの慣れてなくて、グロス、べったりつけちゃって」
「あぁ、気にしないでください。女性のお客さんは皆そうですから」
「……そっすか」
女性のお客さんは、皆そうなんだ。
店員さんが言うんだから、事実なんだろう。
こういう店に来る女性のお客さんは皆、当たり前にグロスなんか塗ってるんだろう。あたしみたいに特別なことじゃなくて。
だから駄目だったんだろうか。
色気も何にもなくて、妹みたいな存在だったから駄目だったんだろうか。あたしの方では兄みたいなんて思ったことはなかったのに。
升入りコーヒーの登場で引っ込んだはずの涙が再びじわりと滲む。が、今回は店員さんと目を合わせている時だったものだから、気まずい。案の定、店員さんはおろおろし始めた。
「え、あの、僕何か失言を……?」
「いや、その、違うんです。全然関係ないですから、店員さんは、ほんと、ほんとに」
参ったなぁ、ティッシュティッシュ、と鞄を漁る。鞄は小さいけど、今日はちゃんとティッシュだって入れてる。何なら絆創膏だって入ってる。靴擦れするかもしれないって思ったし(実際した)、ってのと、それから――、
そういうのを持ってるのが『女の子』だから。
ティッシュだって別に普段から持ってないわけじゃないけど、それは駅前でもらったものが奇跡的に入ってた、みたいなやつだし、カラオケ屋のチラシが挟まってるやつだったりする。だから、いま持ってる『超保湿』とかそういうやつじゃないし、カバーだってつけてないし、鞄の底でくしゃくしゃになってるのがデフォだ。
だから、このティッシュがちゃんと買ったやつなのも、カバーをつけているのも、全部『女子』として見てもらいたくてやったことだ。
探り当てた花柄のカバーを握り締める。
たまたまだけど、ちょっと和っぽいやつだった。椿の花柄で、デフォルメされた猫もいる。だって犬より猫派だって聞いてたから。いかにも、って猫の柄よりはさりげなくて良いと思ったのである。
それを見た店員さんはまた言うのだ。
「可愛いですね」と。
何かもう、その言葉がとどめになって、滲む程度だった涙は、滝に進化した。
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