千年ぶりに現れたとかいう安倍晴明レベルの陰陽師がヘタレすぎてどうしようもない! ~もふもふケモ耳男子×3にあざとい系神主を添えて~

宇部 松清

1、ゲリラ豪雨と、開かない珈琲処

第1話 そんな佇まいで引き戸かよ!

 あと一週間ちょっとで夏休みに入る七月下旬の午後である。


 あたしがそのカフェに立ち寄ったのは、ほんの偶然だった。


 何せこれまで、どちらかといえばカフェなんておしゃれ空間はあたしには無縁だったからだ。コーヒーが飲みたくなったら自販機で缶のを買って、その場で一気飲み。だって空き缶捨てるところ探すのめんどいじゃん? その場で飲めば自販機の隣りにあるゴミ箱へダンクシュートよ。


 それでも例えばちょっとゆっくり休憩とか、買った本をいますぐ読みたい、なんて時には屋根のあるところに入るけど、それでも気軽に立ち寄れるファストフード店と決まってる。学生がワイワイたむろしてたりしてうるさいんだけど、その分、あたしという存在が薄まって心地よい。イートインスペースがあるコンビニでも可。


 だけどその日は、たまたまそこに通りがかった直前に酷い雨に見舞われたのだ。いわゆるゲリラ豪雨ってやつである。情けないことに、ずっとゴリラ豪雨だと思っていたのはここだけの秘密にしてほしい。憧れの先輩の前でゴリラ豪雨などと口走ってしまった恥ずかしい過去はここに葬る。誰も掘り起こさないように。良いか? 振りじゃないからな? マジで殴るぞ。


 天気予報では一日中晴れだったから、当然傘なんて持ってなかった。どうせこの後は家に帰るだけだし、ずぶ濡れでも良かったんだけど。

 ただ、友達からはずぶ濡れ禁止令が出されているのである。風邪を引きやすいとか、そういうことじゃなくて。


 目のやり場に困るから、らしい。

 

 ほら、あれよ、服が濡れて下着が――みたいな。あれがね、あたしの場合は特にアウトなんですと。うるせぇ、好きでこんな身体になったんじゃねぇわ。


 そう、それで、だ。

 だからまぁ出来れば濡れないに越したことはないんだけど、と思っていると。


 ふわりと、香ってきたのだ。

 コーヒーの良い香りが。


 一時凌ぎで反射的に滑り込んだその軒先は、小さなカフェのようだった。

 これといって特筆すべき特徴もない、どこにでもあるようなカフェである。店の前に小さな黒板が置いてあって、そこに本日のコーヒーとか、おすすめとかが書かれているような。この佇まいは間違いなくカフェ。


 普段、缶でもインスタントでもコーヒーの味がするなら何でも良いし、何なら『コーヒー』って書いてありさえすれば良い、くらいのあたしが、思わず入ろっかな、などと思ってしまう程の芳しい香りだった。


 だけど、躊躇わなかったわけではない。


 なぜ、って。カフェだからである。

 カフェってのは、おしゃれなリア充の巣窟と相場が決まっているのだ。


 店内はきっとおしゃれなBGMが流れていて(たぶんジャズかボサノヴァだ)、

 店員もおしゃれが爆発してて(たぶんマッシュルームカットとかで、魚屋さんみたいな下半身だけを覆うような長いエプロンを着けてる)、

 メニューもとにかく長ったらしくて呪文みたいだし、値段の割に量が少なかったりするのだろう。

 そんでそれを、バッチリメイク、髪もきゅるんきゅるんで、宝石みたいな爪をした女子が奇声を上げながら写真に撮ってSNSへアップするのだ。


 でもまぁ、この雨が止むまでなら。コーヒー一杯くらいなら。


 そんな気持ちでドアノブを掴み、引いた。


 が。


 開かない。


 え? どういうこと? 押すの? 押すタイプなの? いや、押しても開かんのだが?!


 押しても駄目なら引いてみろ、とは言うけれど、引いても駄目だから押してみたんですが!? 開かんのだが!? えー、何この店。まだ準備中? いま十五時ですけど!? おやつの時間よ!? ふつー営業してるでしょうよ! それとも何かい? 十七時から? 居酒屋かよ!


 と。


「いらっしゃいませ」


 という低く柔らかな声と共に、カラカラ、と扉は開かれた。まさかの引き戸タイプである。


 ちょっと待てやオイ!

 このドアの感じからしてそりゃあねぇだろ! ノブついてんじゃん!


 などという心のツッコミが届いたのだろう、あたしを出迎えてくれた店員さんは、ちょっと気まずそうな顔をして――、


「すみません、ちょっと特殊なやつで」


 とふにゃりと笑った。


 ここでその笑みにハートをズッキュンとやられたらラブコメの開幕なんだけど、残念、そんなことにはならない。まずあたしは目下別の男性に恋愛中だし、こんなさらさらショートヘアーでヒョロヒョロの着流し姿の――……着流し?


 カフェだよね?

 あれ? 呉服屋さんだったっけ?


 そう思い、数歩下がって看板を見る。うん、ちゃんと書いてる『珈琲処みかど』って。暖簾が下がってるわけでもない。完全に外装は普通のおしゃれカフェだ。


 ……カフェとは書いてなかったけど。珈琲処ってつまりそういうことでしょ? コーヒーを出すところでしょ?


 成る程成る程、奇をてらった『和カフェ』ってやつなのね。オーケーオーケー。いまの時代何でもありだもんね。むしろこれくらいの個性出していかんとね、うんうん。ていうか今日日、和カフェなんて珍しくも何ともないか。全然衒ってなかったわ。

 だとしたら外装ももうちょっとそっちに寄せてくれよ。それでもまぁ『和カフェ』と考えたら、その濃茶色の着流しはコーヒーの色と言えなくもないしね、深緑色のロングエプロンも抹茶関係とか何かそういうこじつけっていうかね、うんうん。ただ引き戸、てめぇは許さん。


「どうぞ、雨足も強くなってきましたから」

「えっ、あ、ハイ」


 促され、冷えた店内に足を踏み入れると。


 やっぱもう一度看板確認しようかな、と思うような内装である。


 和ではあるのだが、なんていうんだろう、チェーンのカラオケや居酒屋にあるようなっすい『和』じゃないのである。銀座にある料亭のような――ってもちろん行ったことなんてないからドラマとかで見る感じのやつなんだけど。

 とにかくまぁ、何ていうか、政治家のおっさんとかがやらしい顔して密談するようなところっていうのかな、それとも、イイトコの坊っちゃんとお嬢ちゃんがお見合いするところっていうのかな、そんな感じだった。


 窓の外には小さいけどきれいに手入れされた中庭があって、あれ、なんて言うの? あの竹が水を受けてかっこんかっこんするやつがある。何とかオトシとかオドシとかそんな感じだった気がする。コケラオトシ? コケオドシ? だったかな? まぁ良いや。


「カウンターで良いですか?」

「あぁ、ハイ、何でも」


 そう、何でも良いのだ。むしろ奥の方に案内された方が何か怖い。そのやらしい顔した政治家のおっさんがいかがわしいものを受け取ってる現場に遭遇しそうで。


 そんでこのカウンターもね、銀座のっかい寿司屋さんみたいなやつでね。もちろん行ったことないけどね! いつだってくるくる回るお寿司屋さんなんだよちくしょうが! 良いんだよ、ツナ軍艦とハンバーグ巻最高だからさ!


「ご注文が決まりまし」

「コーヒー、ホットで」


 このやけに本格的すぎる高級料亭風珈琲処カフェの雰囲気に呑まれてたまるかと、食い気味にオーダーする。珈琲処なんだから、コーヒーはあんだろうが、おうおうおう? それとも何だ? コーヒーじゃなくて『珈琲』って発音しろってかい! カタカナと漢字で発音の差なんざあるわけねぇだろがい!


 と、無駄に喧嘩腰のあたしである。

 この店員さんには何の罪もないというのに。

 いや、彼が店長とかオーナーとかマスターとか、とにかくここの代表者で、あのふざけた引き戸とこの内装の案を出したってんなら話は別である。重罪だ。ってあたしは何様だ。まぁ、お客ではあるんだけど。


 入店から止まない脳内ツッコミに少々疲れていると、またあの香りがふわりと鼻孔をくすぐる。


 何だよ、こんな店構えの癖にいっぱしの香りさせやがって。


 ここまで来ると、ただ難癖をつけたいだけのクレーマーである。何であたしはこんなに苛立っているんだろう。急に雨に降られたから? しかもそれがゲリラ豪雨で、過去の恥ずかしい間違い(おーっと『ゴリラ豪雨』とか言うんじゃねぇぞ? あいつはさっき店の前に埋めたんだからな!)を思い出したから? 


 いや、違う。


『葉月はさ、妹みたいな感じっていうか』


 雨に降られたからじゃない。

 先輩に振られたからだ。

 ちくしょう、うまいこと言ってんじゃねぇぞ。


 じわりと涙が滲む。

 俯いていたから、それはこのぴかぴかに磨き上げられた美しい木目のカウンターに落ちるだろう。良いよ、そん時はちゃんと拭くから。


 と。


 その視界に入り込んできたのは、あの香りと――、


「お待たせしました」


 升に入ったコーヒーだった。


 は? 升!?

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