03話.[かなり暑かった]
「暑いな」
「そうね」
久がそう言うようにかなり暑かった。
上を見れば青くて、前を見ても青くて。
だけどその青を塗りつぶすかのように人間が歩いている。
で、あのとき決めたように別れて自由に過ごそうとしていたのだが、何故か葉に腕を掴まれていてそうすることができなかった。
僕の横にいる水着姿の唯は全く気にした様子もなく「賑やかね」なんて言っている。
「よし、運動してから入るか」
「そうね」
葉はともかくとして、ふたりは意地でもこれに触れないらしかった。
そうか、水着姿でふたりきりになるのは緊張するからか。
それに久はまだ似合っていると口にしていない。
それが聞けるまでは動けないのかもしれない。
「冷たいわね」
「唯、後ろからどんどん来てるから気をつけて」
「ええ、気をつけるわ」
まあでも、これならはぐれることにもならないからいいだろう。
どうせ泳げるような余裕はないからこのまま歩くことしかできないし、無理して前に前にと移動したところでメリットがないからこれでいい。
あと、妹を守る的な意味でも悪くはないことだと片付ける。
本当だったら久の手でも掴んでほしいところだけど。
「葉、大丈夫なの?」
「……なにが?」
「いや、口数が少ないから」
「大丈夫、だけどこのまま掴んだままで……」
「もうそれはいいよ、掴みたかったら掴んでてくれれば」
……にしても横を歩く唯は目の毒だ。
あれな話だが、胸も大きいし、なにより肌色が多いから。
激しく動けばその……揺れてしまうわけだからだいぶやばい……。
「あなたってむっつりよね、それだけ見ている割には似合っているとお世辞でも言ってくれないものね」
「ちょっと前を歩いているから視界に入ってくるだけだよ……」
救いなのは他がどうでもよくなることだ。
他の人間がいっぱいいるところであっちを見たりそっちを見たりしたら通報される。
そういうつもりはなくても男には優しくない社会だから。
「お尻とかも見られていそうで嫌な気持ちになってくるわ」
「……見られたくなければそんな痴女みたいな格好をしなければいいんじゃないの?」
「あなたはここに来ている全ての女性を敵に回したわ」
もう女の子も短パンとかでいいと思う。
上はそういうのでもいいかもしれないが、流石に下まで攻めるのは違う。
まあでも、楽しむためにしているんだから全ては僕みたいな人間が悪いのか。
あくまで健全な施設なのにひとりの思考によってアウトとなるのは違うと。
「佐藤君は背中の筋肉がすごいわね」
「そうか? あんまり背筋って鍛えられていないと思うんだけど」
「あなたを好きな子なら抱きつくんじゃないかしら」
「それはないだろ、硬いだけで得もないだろうし」
「好きならなにもかもよく見えるものよ」
力持ちだからもう背負って歩いてもらいたくなる。
結構抵抗があるから歩いているだけでも疲れるんだ。
それにここまで人がいるとぶつかるリスクもあるし、女の子ふたりを守らなければならないから結構大変で。
「葉ちゃんはどう思う?」
「え……あ、兄貴より筋肉あるなって……」
「ははは! そりゃまあ俺は部活をしているわけだからな! 流石に陸には負けられないよ」
んー、兄貴呼びは相変わらず似合わないなあ。
いつからかそれが当たり前になってしまったから指摘しないでいるが……。
「わあ!?」
「うわあ!?」
後ろを歩いていた葉が転んだのかそのまま突っ込んできた。
なるべく触れている時間を減らさなければならないから過去一番の俊敏さでなんとかする。
「葉、久の腕を掴んでおきなよ」
「……うん」
「ほら、自由に掴んでくれていいぞ、葉が転びそうになったって俺が支えてやるよ」
おお、そういうことを言えてしまうのか。
やっぱり久的には葉はいい対象かもしれない。
「唯、あのふたりってやっぱり怪しいよね」
「そうね、葉ちゃんだけ名前で呼んでいるわけだし」
確かにそこも気になるところだった。
そりゃ僕と葉に比べて彼女といる時間は少ないものの、他の人間よりは多いわけで。
だけど彼は決して唯と呼ぶことはしないでいた。
違和感はない、何故ならこれだと決めた人相手にだけそういうことをする存在だから。
でも、やっぱりこれは……。
「村上君、少し別行動をしましょう」
「いいけど」
ふたりに話してから別れる。
水の中にはいたくなかったのかすぐに出ることになったが。
「もしかして少し体調が悪かったりする?」
「……少しだけね」
「それなら日陰に行こう」
これは誘われて来ただけだからそれを無視してでも楽しもうとかするわけがない。
元々葉的には久がいてくれればよかったんだから去ることが空気が読めているということになるわけで。
「ごめん、あんまり好きじゃないのに頼んだりして」
「嫌ならこんな水着を着てまで行動していないから安心しなさい」
「似合ってるよ、正直、目のやり場に困るぐらいだけど」
他のお客さんはともかくとして、僕や久なんかはこれからも学校で会うというのにこんな格好でいられるのがすごいと思う。
僕が女の子ならそれを見られたということで一ヶ月ぐらいは引っかかっていそうだ。
まあそこもやっぱり僕が問題なだけで全く気にならないかもしれないが。
「……どうしていま言うのよ」
「少し弱っているときでもないと笑われるだろうから……」
「笑わないわよ、……似合っていると言われて笑うわけないじゃない」
中々言いづらいことなんだと分かってほしい。
女の子が相手について褒めるのとは違うんだ。
言葉選びに失敗すれば社会的に死ぬ可能性すらある。
そこまではいかなくてもその子から嫌われる可能性があるんだから慎重になるのは当然のこととしか言いようがない。
「ふふ、だから目を逸らしているの?」
「……あ、ほら、笑ってるじゃん」
「こっちを見て」
「……本当は見てもらいたがりとか?」
「そうね、あなたには見てもらいたいわね」
もちろん勘違いしたりはしない。
非モテだからってすぐに揺れてしまうような人間ばかりではないんだ。
「あ、そうだ、飲み物を買ってくるよ」
「それなら一緒に行くわ、この中で離れたくないから」
「分かった、あ、微妙な状態ならもう着替えた方がいいかもね」
「……でも、せっかく買った水着だからすぐに着替えてしまうのは……」
「じゃあ僕のパーカーを羽織っててよ、その方が直視もしやすいし」
周りの人にじろじろ見られなくて済む面もある。
あとはむっつりらしい僕から自分を守れると思えば悪くはないだろう。
もうとにかく視界に入っているとついつい意識がいってしまうからそうしてほしい。
「はい」
「ありがとう」
後は僕も暑くなってきたから日陰で休憩。
一時間毎にそもそも休憩になるからこうしていてもなにもおかしなことではない、というか、子どもだけはしゃいでいて親は休憩しているパターンが多いからね。
「はい、あなたも飲んで」
「え、いやーそれは……」
「いいから飲みなさい」
ぶぇ、……いきなり突っ込まれたら危なすぎる。
たまにこうして葉みたいに勢いで行動することが多いから不安になる相手だ。
「唯、大嫌いなんじゃなかったの?」
「そんな昔の話をされても困るわ」
「昔って四月のことなんだけど……」
「あ、ふたりが来たわよ」
頑なにそれからは話を逸らそうとする。
勢いで言ってしまっただけだということなのだろうか?
まあよくあることだ、嫌いじゃないのに嫌いと言ってしまうのは。
かっとなってしまったら自分のことでも止めることが難しくなる。
言ってしまってから後悔する経験は何度もあるから分からないわけではないが、彼女に限って言えばそういうことは滅多に、ではなく、全くなかったから意外なんだ。
それかもしくは、それぐらい僕のことが嫌いだったか、ということになるかなと。
「なんだ、調子が悪かったのか」
「せっかく一緒に来たのに別れることになってごめん」
「仕方がないだろ、それに俺だってひとりにはさせないよ」
「葉の相手をしてくれてありがとう」
「寧ろ俺が相手をしてもらったんだよ、どこかの誰かさんと違って相手をしてくれるからな」
そりゃまあ唯は調子が悪かったみたいだから仕方がない。
こういうところが苦手なのに来てくれただけで十分してくれているということになる。
だから今度はお礼をしなければならない。
「元気になったら唯も相手をしてくれるよ」
「は? 俺は陸に言っているんだけどな」
「えぇ、プールで敢えて野郎に相手をしてもらおうとしなくていいじゃん」
側にこんな魅力的なふたりがいるんだし。
しかも今日は制服とか私服とかではなく水着なんだし。
別に僕となんていつだって話すことができる、来てくれれば相手をする。
彼もまたよく分からなくなることが多くあった。
「兄貴のばか」
えぇ、あれだけ一緒にいるんだから今更ふたりきりになったぐらいで問題もないと思うけど。
仮に緊張していたとしても久が合わせてくれるから問題にもならない。
相手が僕とはなにもかも違うんだ。
「後半は私が川口さんといるから兄貴は佐藤さんと行ってきて」
「いやそれ久にメリットがないでしょ……」
「俺はいいぞ」
もうこれ僕のこと好きでしょ。
……女の子ふたりと別れて行くのは不安になるが仕方がないか。
見回っている人もいることだから犯罪とかに巻き込まれる可能性も低いだろうし。
「たまにはこうしてふたりでゆっくりするのもいいよな」
「ゆっくり、じゃないけど」
人の流れに従っていないと迷惑をかける。
ここら辺は人生みたいなものだ。
でも、確かに久といられる時間は少ないからたまにはいいかな。
「言っておくけど、俺と葉が付き合っているとかそういうのはないからな」
「僕はまだ疑っているけどね」
「絶対にない、それに俺は他の人間が好きなんだ」
「えっ、誰なの?」
「言わねえよ、今回みたいに余計なことを言い始めるからな」
残念、だけど、仮に知ることができてもどうなるというわけではない。
協力はしてあげられないし、多分それを求められることはないから。
「まだまだ付き合ってもらうぜ」
「分かった、たまには悪くないからね」
「おう、よろしく」
この結果、同行者であるふたりから冷たい顔をされてしまうぐらいには楽しんでしまったことになる。
相手が同性なだけに全く気を使わなくていいのはいいことでしかなかった。
「葉、そういえば友達を連れてくるんじゃなかったの?」
「あー……なんかやる気が起きないんだよね」
ソファで寝転んでいる妹に問いかけてみたものの、結果はこんな感じだった。
あんまり悪くは言いたくないが、後回しにするタイプはこうなるから怖いかなと。
「でも、友達は会いたいんじゃないの?」
「特に連絡もきていないから」
そりゃまあ長期休みの時に連絡したら申し訳ないからと遠慮をしているだけだ。
だからといって、こちらが余計なことをしようとすると嫌われるからなにもできない。
まあ、僕としては家にいてくれれば安心できるわけだから本当はこれでいいという……。
「それより兄貴こそ川口さんを呼ばなくていいの?」
「なんで? 僕らは基本的にこんな感じだけど」
「いや、だって似合っているとか綺麗とか言ったみたいだし、そんなこと簡単に言うような人じゃないじゃん」
確かに似合っていたし、言わなかったが綺麗だと思った。
だけどそれはあくまで仲良くできているから言えたことだ。
つまり、仲良くなればそうやって口にすることも増えるわけで。
ちなみに葉に対しては似合ってる、可愛いと言ったことになる。
「唯と会いたいなら呼ぶけど」
「暇だから兄貴が相手をしてよ」
「うん、それはいいけどどうしたいの?」
家事などは既に終えているからどこかに行くこともできるわけだが、これまでソファで寝転んでいた妹が敢えて外に出るとは思えない。
家の中でできることと言えばお昼寝とかお喋りとかそれぐらいになるものの、そんなことを求めてくるような子ではないだろう。
兄相手にそんなことをしているぐらいなら一問でも問題を解いた方がマシだし、久はともかく唯は部活もないからそっちに相手をしてもらった方がいい。
ただ、一緒にいる時間が長いのにいつまで経っても名前呼びにならないのは気にならないところだったりもする。
僕のことを名字で呼び続けている唯が葉ちゃんと呼んでいるぐらいだから尚更気になる。
「よいしょ……っと」
「葉がソファを独占していたから床に座っているのにこれじゃ意味なくない?」
正座をしている状態だったから罰を受けているみたいな気分になってくる。
それにやっぱり人の体重というのは普通に重いから足が痛くなってくるのだ。
あとは体幹がしっかりしていないから寄りかかられると倒れそうになるのも大変で。
「いーの、受験生を癒せるような存在になってよ」
「ご飯を作るとか、肩を揉むとかそれぐらいしかできないなー」
……プールで後ろから接触されたときのことを思い出して鼻血が出そうになったのを我慢。
いやでも例え相手が妹でもあんな格好の状態で衝突されたら兄でもね……。
経験がない人間であればそうなるだろうから僕が完全に悪いというわけではない。
「ねえ葉、真剣なら協力するよ」
「あ、まだ佐藤さんが好きだとかなんだとか勘違いしているの?」
「だって仲良しだしさ」
「ないよ、だって私が好きなのはお兄ちゃんだから」
「え」
って、すぐにあるわけがないと片付けることができた。
冗談はよしてよと言ってみたら「分かった?」と言って笑っていたわけだが、その気がなくても相手をその気にさせることができる力を持っているんだから気をつけてほしい。
この点は唯も同じだ、自分の武器に気づいていると揺れさせたくなるのかもしれない。
「それはないけど、兄貴のことは普通に好きだよ」
「え、それはないでしょ、僕に対しては厳しいし」
「え、私のこれが厳しいなら同級生とか怪物みたいになっちゃうよ?」
「もしかしてその子は……」
実は僕の妹なんじゃないかって。
いやまあ、常に痛いことを言ってくるわけではないけどやっぱりね。
妹は「うん、兄に対して物凄く厳しいから」と答えてくれたものの、態度的にはあまり変わらないような気がするから……。
「それに私は兄思いのいい子だからね」
「兄思い……」
「は? なにその顔」
兄のことを考えて動いてくれているらしい子がこれか。
手伝いとかは絶対にしないし、遅く帰ると遅いと怒るし、何故だか母とは話さないし。
最後のはまあ関係ないにしても兄思いの子には見えなかった。
昔からよく「佐藤さんが兄ならよかったなー」と言っていたぐらいだぞ。
「ほら、こうして甘えてあげてるじゃん、私ぐらいなものでしょ」
「意外と唯も甘えてくれるよ?」
妄想でもなんでもなくたまに甘えてくれるんだ。
こっちの腕を掴んできたりとか、意外と手を握ってくることもある。
こうして家でとかでふたりの場合は膝に頭を預けてくることもあった。
「それはまあ……一緒にいる時間が長いんだからおかしなことじゃないでしょ。それに、妹としては特定の異性と仲良くしてほしいわけだし? うん、寧ろそういうのがなかったら逆にこっちが悲しくなってくるぐらいだよ」
「その点、葉には親しい男の子がいるみたいだからいいよね。中学校に僕は行けるわけではないからなにかが起きたときに守ってもらえるかもしれないしさ」
少し利用する形になってしまうが、その子は妹といられるんだから悪くはないだろう。
仮にいつか顔を合わせることになったらお礼をすればいい。
その際は妹がお世話になっているからとかではなく、なんかこう、もっと自然な感じで切り出せたらいいなと考えている。
ただまあ、特に口出しをしたりせずにふたりきりの時間を増やしてあげることがその子のためになるだろうから、見守るだけに留めておくのが一番かもしれなかった。
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