第68話 スイートルーム
温泉宿の二階へ上がると手前に部屋が四つ、突き当りに二部屋あるようだった。手前の部屋の中をチェックしてみようとしたけれど、扉は開かない。従業員登録したメイドさんだけが部屋の扉を開けて入ることが出来た。
「俺たちは受付で登録したスイートルームにしか入れないとか?」
「殺生でござる」
館内の間取り的に、手前がスタンダードルームで奥がスイートルームだと思う。スイートルームなら開けることが出来るのだろう。奥へと進んで左側にあるスイートルームらしき部屋の扉を開こうとしたが開かなかった。だったらと、右側にある部屋の扉を押してみると簡単に開く。ビアンカとアマーリエは対照的に、右側の部屋はダメで左側の部屋の扉は開けられるようだった。メイドさんはどこの部屋でも開けることが出来た。
扉を開くことは出来ないけれど、宿泊客から招待されたらお邪魔する事が出来るかどうかを実験する。ビアンカに扉を開けてもらった状態で左側の部屋の扉をくぐろうとしたけれど、透明な壁があるようで前に進めなかった。手をつないでもらってもダメだった。柔らかかった。
「セキュリティ対策はばっちりだな。お金払わないと部屋に入ることもできない」
「安心設計でござるが、これから別行動になってしまうな……」
ビアンカとアマーリエにスイートルームの案内をしたかったけれど、叶いそうにない。食事も朝夕共に部屋食のようなので別々になってしまうだろう。俺が従業員登録するべきだろうか。でもそうしたら食事がとれない可能性もある。目の前に美味しそうな料理が並ぶのにおあずけとか、地獄か。今日はもうお金を払ってしまったし、諦めてござる兄さんたちを接待しよう。
残念なお知らせをみんなに告げると、ビアンカとアマーリエはメイドがマニュアルを持ってるから平気だと言ってあっさり部屋へと入って行ってしまう。男四人が廊下に取り残された。ハーレムはまだまだ遠い存在のようだった。
「気を取り直して、男どもにスイートルームを案内しよう!」
「一人一室大銀貨一枚の部屋でござるな」
「はやくはやく!」
「クレーメンス兄さま、後で返してくださいね」
室内に入ってすぐに目に飛び込んできたのは、壁一面の大きな窓だ。正面の壁の広い範囲がガラス張りになっていて、外の景色が良く見える。残念ながら木ばっかりだったけど。
「広いな! 良く分からん素材が使われているのはもう気にしない!」
室内は白を基調に茶色のアクセントが入った温かみのあるデザインで仕上がっていた。ビアンカたちの部屋は茶色の代わりにライトグリーンが使われた明るい客室になっているだろう。家具は木目調のもので揃えられていて、素朴ながらも優しさを感じるインテリアだった。
「このベッド、橙の部屋のよりも柔らかい!」
スイートルームの奥には露天風呂付客室と同じようにベッドが四台、中央にはダイニングテーブルセットと大きなソファーセットがあり、トイレとシャワールームまで付いているのに部屋はまだスペースが余っていて広々としていた。シャワールームにはブランド物の豪華なアメニティがずらりと並んでいる。パッと見ではどれが何か分からない程大量に種類があった。
足元の絨毯はふかふかで歩くだけで足跡が付き、天井を見てみるとシャンデリアがぶら下がっている。ティモがソファーに飛び込んだが、沈み込みが半端なくて埋もれてしまった。観葉植物や間接照明がセンス良く設置されていて、とても居心地が良い。奥にはひっそりと和室まであり、畳が恋しい俺としては嬉しい誤算だった。ベネディクトとござる兄さんにはあまりウケなかったけど。
「浴衣発見! 風呂上がりに着よう。ビアンカたちにも着方を教えてやらんとな……ぐへへ」
「させるかっ! 曲者めっ!」
おもてなしサービスは、部屋の隅のミニキッチンに用意されていた。キッチンと言っても電気ケトルやコーヒーメーカーがある程度の小さなものだったけど。高級そうなシャンパンが置かれていたのは想定内だ。ティモが売店で買おうとしてたけど断念させたフィナンシェが小さなカゴに詰められているのを発見した。ティモが歓喜の舞を踊っている。
宿のおもてなしサービスと売店が連動してるのは、こうやって味見させてから買わせる宿の作戦だ。紅茶や煎茶のティーパック各種、ドリップコーヒーとコーヒーメーカー用の豆、ミネラルウォーターなども盛りだくさんに置かれている。
「凄い部屋でござるな」
「ティモおなかすいた。これたべていい?」
「そういえば朝食もまだだったな」
通常の宿泊だと夕方にチェックインするから、その日の夕食と翌朝の朝食がつくはずだった。でも朝一番にチェックインできたのだから今朝の朝食が食べられる可能性がある。
「箱の中から料理が出てくるんだよな? あっ、あれか?!」
おなじみの壁掛けテレビの横には露天風呂付客室にあったものと同じ形状の箱が四つ並んでいた。そのうちの一つをベネディクトが開けようとするが開かない。テレビ画面の画像が、それまで映っていた風景から料理の画像へと切り替わった。画面が二つに分割されて、和食と洋食のどちらかを選べるように見える。
「ベネディクト、洋食と和食が選べるみたいだ。どっちにする?」
「どっちって言われてもこれ見ただけで分かんないよ」
「拙者は両方食してみたいでござる」
「そうか、二人ずつ分ければいいのか」
テレビ画面に向かってそれぞれ二人ずつと適当に言葉を投げかけると、それでも注文は通ったようで画面が風景に戻った。何の変哲もなかったテレビ横の箱に、それぞれランプが点く。ベネディクトが再度箱を開けてみるとすんなり開いた。
「わっ、すごいいっぱいある!」
「あれ? 弁当箱じゃないな」
露天風呂付客室での食事は、二段になった重箱のような箱に料理が詰められていた。このスイートルームでは箱に詰められてはおらず、大きなお盆の上にお皿や小鉢が並べられているものがそのまま入っているようだった。お盆の上に旅館やホテルで出てくるような朝食セットそのものが乗っている。
「一つ一つが重いし、人数分運ぶのめんどい」
「アマーリエにメイドを付けたのは正解だったでござるな」
テレビ横に並んでいた四つの箱にはそれぞれ和食セットと洋食セットが二人分ずつ入っていたので、慎重にダイニングテーブルへと運ぶ。広々としたダイニングテーブルが手狭に感じるほどにお盆は大きかった。朝食でこの大きさと重さなので、夕食時にはビアンカたちは二人で持ち運ばないと持ち上がらないかもしれない。ござる兄さんの言う通り、メイドさんが部屋に入れるようにしておいてよかった。
「うっ、味噌汁の香りが腹を刺激する……俺和食もらってもいい?」
「ティモこっちがいい」
「拙者はカナタと同じものが良い。ユキチ師匠がミソシルを飲みたいと常日頃言っていたでござる」
「僕はその変な形のパンと黄色いスープが飲んでみたい」
和洋の割り振りはすんなり決まった。二つずつ注文したのが功を奏したようだった。それぞれの希望する料理の前に座り、食事を開始する。ビアンカたちがいないのが少し残念に思えたけれど、そういえばあの二人は食事中は集中したいとかで碌に相手をしてくれないんだった。後で感想を聞けばいいか。
「うわ、懐かしい懐かしい懐かしい!」
目の前に待望の和食がある。朝食だからか懐石料理とはいかず、あっさりめで量も少なめだったが食べたかった品が並んでいた。和食なので俺の少ない語彙力でも問題ないだろう。メニューはこうだ。
・白ご飯とみそ汁と漬物
・ほうれん草のお浸し、切り干し大根、キュウリの酢の物の小鉢
・湯豆腐
・焼き鮭
・白身魚の刺身
・だし巻き卵
・南京と里芋とつみれの煮物
ティモとベネディクトが食べていた洋食は、こうだ。
・クロワッサンとレーズンパン
・レタスとパプリカとクルトンのサラダ
・コーンスープ
・半熟卵丸ごと
・ソーセージと生ハム
・魚と野菜のテリーヌ
・苺ヨーグルト
和食には日本茶が、洋食にはストレートティーが付いている。
「これが、ユキチ師匠が呪文のように唱えていたミソシル……しょっぱいでござる」
「ヤバイ、ウマイ、マルカジリ」
「このどろどろのやつすき」
「橙の部屋の夕食には及ばないけど、これはこれで美味しい! 僕このスープ好きだよ! 夕食も選べるの?」
料理は概ね好評だった。ティモとベネディクトは大喜びで食べ、ござる兄さんは微妙な顔をしながらも食べ進めている。和食はやはり日本人でないと楽しめないようだ。そういえば日本人の佐久間の姿がまだ見えないけれど、何をしてるのだろうか。たまに部屋の隅で佇んでいて怖い時があったから、平和で良い。
「このしょっぱさは、酒が欲しくなるでござる。酒はないか? あっ、そういえば向こうに置いてあったのは酒でござるか?」
「ルームサービスとかあればいいんだけど」
ござる兄さんの声に反応してテレビ画面が切り替わる。ビール、焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキーなどが選べる画面になった。お酒のルームサービス、あるんだ。朝なのに。
「おお! 注文できるでござるか?! しかし拙者は見ても分からないんだってばよ……ふむ、あるこーる度数の高いものから順に持ってくるでござる!」
「クレーメンス兄さま、朝から飲むの?!」
ござる兄さんがテレビ画面に向かって高らかに宣言すると、画面にはグラス入りのウイスキーの画像と小銀貨二枚と金額が表示された。スイートルームなのに飲み物の代金とるのか。
もっとアルコール度数の高い酒があるはずだけれど、この温泉宿には置いてないのかもしれない。画面の下の方には右矢印と共に“支払いはこちら”とある。薄型テレビの右側面を見ると、硬貨の投入口らしき穴を発見した。
「前払い制みたいだけど。小銀貨二枚って事は2,000リブルか」
「なんだと?! 全く、この客室は守銭奴でござるな! 入室に大銀貨を要求したし、飲み物にも小銀貨が必要だとは!」
「じゃあお酒やめとく?」
「払うでござる」
ござる兄さんはいそいそとテレビ側面の投入口に小銀貨を入れている。銀髪の超絶イケメンのはずなのに、小物の雰囲気が漂いすぎている。
ウイスキー一杯が2,000リブルという値段が高いのか安いのかは分からない。でも売店で酒類を物色していたござる兄さんが即購入を決めたのだから、売店で買うのよりは安いのだろう。この人は貴族だから、値段が多少高くても気にしないのだろうけど。
小銀貨を指定枚数入れ終わると、テレビ横の箱の一つのランプが点灯した。ランプのついている箱を開けると、そこには背の低いグラスに入ったウイスキーと氷の入った容器が並んで置いてある。
「氷は何に使うでござるか?」
「そのウイスキーってお酒は度数が高いから、氷とか水で薄めて飲むんだよ。炭酸で割ってもおいしい」
「なんぱーせんとでござるか?」
「40パーセントくらいかな?」
なら問題ないと言い切ったござる兄さんは、ウイスキーをストレートで水のように飲み始めた。予想通り喉への刺激が強すぎてむせている。
「うっ、げほっ……なかなか良いでござるな。おっ、おかわりでござる」
「クレーメンス兄さま、これからも見て回るものがあるんだから飲みすぎないでよ」
「酔っ払いかぁ」
食後はゲームセンターとエステを見る予定だ。女性陣は今日は買わないと決めている売店だってもう一度見たいだろう。何かと口うるさいござる兄さんはそのツアーには少々邪魔だった。ここで酔い潰してしまえば、邪魔者が一人減る。
「ウイスキーの他に焼酎や泡盛もアルコール度数が高くてオススメですよ、へへっ」
お酒を紹介するアドバイザーに就任する事にした。お金は酔っ払いからもぎ取った。
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