第67話 見学
受付カウンター前で待っている彼らの元へと戻ると、ティモたちは既に売店に突撃していた。
ござる兄さんはちゃっかりカゴを持って酒を棚からカゴへと移しているし、ティモは箱入り温泉まんじゅうの見本として置いてある食品サンプルを両手で持って店内をウロチョロしている。ベネディクトはボードゲームコーナーでトランプを手に取って眺めていた。ビアンカとアマーリエはもちろん化粧品コーナーにいた。メイドさんたちはオロオロとしながらもアマーリエの真後ろで耳をそばだてている。
「ねっねえアンタ! 乾燥肌用とか敏感肌用って書いてあるんだけど、意味分かる?!」
「聞いたことはあるけど、ビアンカがどっちなのかは分からん」
「なによ、使えない男ね!」
ビアンカから何故か罵倒される。でも人の肌質なんて普通の人は見ただけで分からないはずだ。触らせて貰えたら分かるかもしれないんだけどなあ。残念だなあ。
この売店に並んでいる商品に書かれている文字は、全てこの世界の文字に変換されているようだった。見慣れたパッケージなのに文字だけが日本語ではない。パチモンの商品を売りつけられているみたいでムズムズする。
「カナタ、これほしいのにあかない。もったままでれない。なんで?」
「うーん、お金払わないと開けられないし売店から出られない仕組みか? どこででもお金とる施設だな」
「がめつい」
「でもティモ、そんなに買っても食べきれないから一つだけにしような」
「ぜんぶほしい」
「残念ながらティモが持ってるのは偽物だ」
ティモは分かりやすくガーンと効果音が付きそうな顔をして食品サンプルを元の場所に戻しに行った。積まれている箱の下から販売用の商品を抜き取って手渡してやる。俺の真似をして横にある商品も抜き出そうとしたティモを止める。
「これはほんもの? どうやっておかねはらう?」
「それはだな、こうやるんだ。……おーいベネディクト君! お金ください!」
「なるほど。ベネディクトくん、おかねください!」
ボードゲームを物色していたベネディクトは不思議そうな顔をしながらも呼ばれるままに近寄ってきて、何の疑問も持たずに言われるままに小銀貨を手渡してくる。他人事ながらベネディクトの金銭感覚と騙されやすさは気になるな。
そのままベネディクトも連れてレジに行くと、セルフレジが設置されていた。俺は日本でよく利用していたので見ただけで使い方が分かるけれど、ベネディクトとティモはここが何をする場所かも分かっていないようだった。売店スタッフを登録するとレジ横に立って使い方を説明してくれるのかもしれない。まあここには身内しかいないから俺が一度説明するだけでいいんだけど。
「商品置き場って書いてあるここに、欲しいものを置きます。そうしたらこの黒いところに金額が出ます。そしてベネディクトから貰った硬貨をこの投入口に入れます」
支払いを終えると、金額が表示されていた部分に“会計済”と表示される。箱入り饅頭をティモが両手に持ってわーいと言っている。かわいい。試しにティモに商品を持って売店から出てみるように言ってみると、問題なく売店の区域から出ることが出来ていた。
「そうだティモ、この建物からも持って出られるか知りたいから、一旦出て箱を置いて戻ってきてくれるか?」
「わかった!」
ティモはお土産用の箱入り饅頭を両手に持ったまま走って温泉宿を出て行き、箱入り饅頭を地面に置いてから自動ドアをくぐってまた走って戻って来た。料金さえ払えば、売店コーナーの商品は持ち出しが出来る様だった。
「塩は一度持ち出したら復活しなかったけど、これはどうなんだろう。でも地面に置くのは教育が必要だな……」
持ち出せても翌日復活しないなら“お土産コーナー”なんて名前の売り場は最初からないはずだ。予想では宿の外に持ち出しても復活するだろうと思っている。
もしも料金さえ支払えば持ち出し放題だとすれば、これを転売して儲け放題にならないだろうか。売れるかも儲けが出るかも今は分からないけれど、ござる兄さんが目の色を変えているので少なくとも酒類は売れるだろう。
でも俺が転売するのはいいとして、他の人に転売されるのは嫌だな。俺の知らない人でも受付カウンターまでは入れるだろうし、宿泊手続きさえすれば売店も利用できるはずだ。自分のスキルを勝手に利用されて金儲けの道具にされることを考えるだけで不愉快だった。どうかこの温泉宿の存在が悪い人にバレませんように。
「そとで食べたらもうふっかつしない?」
「別料金払ってるし、お土産用だし、大丈夫だよな……?」
ティモが不安そうに聞いて来たので、復活しなかった時の事を考えて今はもう一箱だけ購入して実験してみることにした。一箱は野外の地面に一晩置きっぱなしにして、もう一箱は客室に着いてから食べてみるとティモに説明する。ティモはかしこくてかわいいので快く了承してくれた。美容液を抱えたビアンカたちとカゴいっぱいに酒を詰めていたござる兄さんからはブーイングだったけれど、理由を話せば購入は明日まで待ってもらえることになった。
「ティモが一箱だけというなら、拙者も一本だけ……!」
「でも実験してみないと一度きりになるかもしれない」
「後生でござるから!」
「言葉の使い方間違ってない?」
ワイワイ騒ぐ彼らを引き連れて次へと向かう。浴槽設置スキルで出したこの温泉宿のメインは大浴場と露天風呂だ。ゲームコーナーに後ろ髪を引かれるけれど、今は大浴場を優先しよう。
受付カウンターの後方の通路をしばらく進むと脱衣所の入り口があった。男湯と女湯で入り口が分かれていて色違いの暖簾がかかっている。
「男と女って書いてあるわ。もしかしてお風呂が男女で分かれているの?」
「公衆浴場は脱衣所も風呂も男女で分かれているもんなんだ」
「それは良いでござる! 安心してアマーリエを送り出せるでござるな!」
ビアンカが男湯の暖簾をくぐろうとしても、透明な壁にぶつかって前に進めない。俺とティモも女湯の暖簾はくぐることが出来なかった。スキル使用者だろうが子供だろうが関係ないらしい。でもメイドさんは従業員登録しているので、どちらにも入ることが出来た。ちなみにメイドさんと会話しようとすると緊張してどもってしまうので、会話は全てござる兄さんを通している。いつか直接お話しできるようになりたい。
地球ではジェンダー論争が激化しているけれど、この世界ではどうなんだろう。なんとなく遺伝子とかで判断されそうな気がする。商業ギルドの登録とか血液だったし。それは今は関係ないか。
「じゃあ中をちょっと見てからまたここに集合な。今は見て回ってるだけだから湯に入ったらダメだぞ! 絶対にダメだぞ!」
「分かったわ。しっかりとシャンプーを見てくるわ!」
「見て欲しいのは大浴場と露天風呂なんだけど……」
こうしてベネディクトとござる兄さんとティモを引き連れて、男湯の脱衣所に足を踏み入れるのだった。
「不思議な空間でござるな。この箱は……鍵がかかるでござるか」
「そうそう、ここで服を脱いで箱の中に服と荷物を入れるんだ」
「なるほど……盗まれないように鍵をかけて持ち歩くのでござるな」
「風呂はあっち? ティモ行くぞ!」
「ティモがさきにはいる!」
今は見て回るだけで入浴はしないと言ってあったのに、ベネディクトとティモはその辺に服を脱ぎ散らかして大浴場へと行ってしまった。五分で出るならいいんだけど、ティモは風呂で遊ぶから長いんだよな。
脱衣所にはロッカーの他に椅子、扇風機、給水機や体重計など見慣れたものが設置されている。洗面台の上にはドライヤーや化粧水などがセットされている。ビアンカとアマーリエは喜んでるだろうな。
脱衣所にはこの世界にまだないものがあるようで、そのひとつひとつにござる兄さんは反応して説明を求めてきた。ビアンカとアマーリエにならいくらでも説明してあげるのに、なぜに俺は変な口調の男にいちいち説明せねばならんのだ。
「この大きな箱は何でござるか?」
「これは自動販売機って言って、飲み物を売ってる」
「飲み物なら、給水機があるでござる」
ござる兄さんは何も分かってない。風呂上がりに飲む水とコーヒー牛乳の差は歴然だ。実際に体験しなければ分からないのだろう。まだまだだな。
自動販売機の使い方を説明してから、ベネディクトがいないから買えないなぁと呟くと、ござる兄さんがどこかから銅貨を取り出してきて投入口に入れた。少額なら持っているらしい。たかる相手が増えた。
「これはカナタに贈呈するでござる。拙者はこれとこれとこれとこれとこれ」
「ありがとう。でもそんなに飲んだらタプタプなるぞ?」
「本望でござる」
よく分からんけど本望ならまあいいか。ござる兄さんは、その場で飲むのなら問題なかろうと言いながらコーヒー牛乳とフルーツ牛乳とラムネとコーラと牛乳を順番に飲み始めた。俺にはコーヒー牛乳をくれて、ござる兄さんはラムネが気に入ったようだった。
「飲み終わったなら大浴場見に行きたいんだけど」
「げふっ……これはあとでベネディクトにも飲ませてやろう。美味いから酒の代わりに飲んでやっても良いでござる」
動かないござる兄さんを引き摺って大浴場へと足を踏み入れる。手前にシャワーブースとかけ湯、その次に洗い場があり奥には大理石の大きな浴槽がドンと設置されていた。正面の壁はガラス張りになっていて、向こう側には露天風呂があるのが見える。
この温泉宿は全部で16人が宿泊できるようだったけれど、16人全員が男で一斉に入浴したとしてもゆったりと入れるような大きさだった。露天風呂は小さめだけどそれでも露天風呂付客室にあった風呂よりも大きい。
「広いでござるな! 泳げそうでござる! ここですいとんの術の練習をすれば……」
洗い場にはシャンプーとコンディショナーとボディソープが所々に置かれている。それぞれ二種類あって交互になるように配置されているようだった。ビアンカとアマーリエはさぞ喜んでいることだろう。
野外にある露天風呂は周りを石で囲った源泉かけ流しの湯だった。露天風呂の周りは背の高い植物や柵で囲まれていて、たとえ真横にある木に登ったとしても覗けそうにない。露天風呂側から屋内の大浴場を覗き込んでみても、光が美味い具合に反射しているのかマジックミラーなのか、中の様子は一切見えなかった。ござる兄さんが安心している。
露天風呂を泳いでいたティモとベネディクトを回収して、脱衣所へと戻る。ティモの髪と体を拭いてやっていると、ござる兄さんがベネディクトに自動販売機の利用方法を教えてラムネを買わせている。飲ませてやろうって言ってた気がするけど、買ってやろうとは言っていなかった。ござる兄さんはセコかった。
「ティモものむ!」
「これは美味い! 姉さまにも買って持って行ってあげよう!」
「ティモよ、ベネディクト君お金くださいと言えば飲めるでござるよ」
「ビアンカたち待ってるだろうから買ってあげたほうが無難だな」
ティモに服を着せて脱衣所を出るとやはりビアンカとアマーリエは既に出てきていてお怒りだった。ちょっと見てくるだけと言ってちゃっかり体から湯気を放っている二人がいるのだから当然だと思う。
「すぐ近くにエステティックサロンって書いた看板があるのに、アタシたちはずっと待ってたのよ?!」
そんな二人にベネディクトが味を気に入ったというフルーツ牛乳を手渡すと、見る間に機嫌が直る。怒っている女性には甘いものを与えるのが良い。
フルーツ牛乳を飲むアマーリエを見ながらふと思ったけれど、脱衣所で購入した飲み物は問題なく脱衣所外へ持ち出せた。容器ごと持ち出せたのだから、飲んでしまっても自販機の中にまた復活するのだろうか。全部明日になれば分かるだろうけど、謎が多くて困る。
メインである大浴場はチェックが終わったので次は客室を見に行くことにした。思えば宿泊に五万リブルを支払っているので、客室もメインにあたるのかもしれない。
らせん状になっている緩やかな階段を登って二階へと上がる。温泉宿の購入価格を極限まで抑えたので、エレベーターはなかった。あと数十万出せばエレベーターを付けられたのだけど、みんな足腰しっかりしているし必要ないだろう。
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