第47話 偵察隊

「姉さま、ひとくちだけ頂けませんか?」


 ベネディクトの悲し気な声での嘆願に、しかしアマーリエはいい笑顔で首を横に振る。


「ビアンカ……いや、ティモ。もう夕食は食べただろ? その年齢には多すぎないか? その肉は僕が食べてあげよう」


 ビアンカに標的を変えようとして睨まれ、目を泳がせながらティモへ標的を変えたベネディクトの言葉に、ティモは小さな腕で机上を囲って拒絶を表す。ベネディクトが伸ばした手に噛みつくふりもしている。風呂場でのタオル風船での練習が役立っているようだ。ティモの目が本気でちょっと怖い。


「この際カナタでもいい、僕にその料理を」

「諦めろ」



 ベネディクトと名乗った黒ずくめの中学生は、アマーリエの実弟だった。髪の色こそ銀髪のアマーリエとは違う淡い金髪だったが、瞳の色と顔立ちはアマーリエを幼くしたようにも見える。初対面の時は女の子に見えない事もなかったから様子を見ようかと思っていたから、その口から紛れもない男性の声が聞こえた時はがっかりした。よくよく見れば喉仏がしっかりとある。この村、美女足りてないのに。


 そのベネディクトは今、毎夜客室に出現するフレンチのおこぼれを貰うために俺たちの周りをうろうろと所在投げにふらついていた。アマーリエは確か貴族だったはずだが、その弟がこんなに行儀が悪くていいのだろうか。


 ベネディクトがどうにか一口分けてもらおうとしている今夜のフレンチのメニューはやはり豪勢だ。また俺の語彙力が炸裂する時が来てしまった。


 ・サーモンのマリネにキャビアが乗っていて、トマトやヤングコーンや何かの葉っぱが散らしてある。ソースはオレンジ色でどろりとしている

 ・泡立てた牛乳のスープの中央に、パリパリに焼かれたクレープみたいなのに包まれた魚っぽいものが入っている

 ・サーモンとエビとホタテが野菜と一緒に生春巻きのような薄い皮でくるまれている。色どりにハーブが散らしてある

 ・ローストビーフのような赤みの残る肉に赤茶の濃厚なソースがかかっており、ブロッコリーや葉っぱなどが散らしてある

 ・魚介類がパイでくるんであり、いくらとハーブと色とりどりの野菜が添えられている

 ・分厚い肉の上にフォアグラが乗せられていて、茶色いソースが添えてある。キノコとハーブが添えられている

 ・チーズケーキの上に苺のジュレがかかっており、上には様々なベリーが乗せられている。赤い色をしたアイスが添えられている

 ・柔からめのバケットと白パンとバター


 口の中の食材が何かはよく分からないけれど、美味しいことに変わりはない。


 林の中にいた三人の黒ずくめの男性は、貴族家の三男であるベネディクトの護衛のようなものらしい。正確には違うが。


 経緯としては、アマーリエの送った手紙を家族が読み、心配したご両親が秘密裏に娘の捜索を行うことに決めたらしい。アマーリエの書いた手紙には無事であることが書かれていたが、親からしたら心配なのは理解できる。


 しかし隣国のデンブルク王国内を捜索するには、災害の頻発した地域を抜けなければならず、大型魔獣が増えているという報告も上がっていることから入念な準備が必要だった。本格的な捜索を行う前に、まずは少人数での安全な道の確保のために熟練三人が偵察隊として送り出される事になった。


 しかしそこでシスコンのベネディクトが自分も付いて行くとごねた。シスコンかどうかは俺の勝手な偏見だが、姉の為にどんな危険が待ち受けているか分からない道を通って国境を越えて来たのだから立派なシスコンだと思う。俺たちにはため口なのにアマーリエに対しては敬語だし。


 隣国へ渡るには安全が確保されて本格的な捜索を始めてからにしろ、と両親には猛反対されて軟禁状態にあったが、隙をついて家を抜け出して勝手について来てしまった。偵察隊三人がいざ国境を超えようとしたところで、ベネディクトがひょっこり姿を見せたらしい。得意気なベネディクトを前にして、偵察隊の三人は頭の中が真っ白になったとか。


「僕にかかればざっとこんなもんだよ!」


 国境付近まで来てしまっては一人で帰れと言う訳にもいかないし、任務を中断して送り届けるのも時間的に厳しかった。偵察隊を分割して送り届ける役割を分けようとしたところでベネディクトがすんなり帰るわけもなく、護衛をしながらデンブルク王国へ入国するしかなかったそうだ。


「手紙の中身、俺は見てないけど助けてくれって書いてあったのか?」

「アタシはアマーリエが書いてる時に横にいたけど、助けてなんて一言も書いてなかったわ! 返信の内容にも探しに行くとは書かれてなかったし、まさかこの村まで来るなんて。ベネディクトだったかしら。アンタ何で来たの?」 


 ビアンカはローストビーフを頬張りながら冷たい目でベネディクトを見る。勝気そうな言い方に、ビアンカとベネディクトは雰囲気が似ている気がした。年齢が近いからだけなのか、それともツンデレ仲間なのか。ツンデレでシスコンな弟とか、属性が多すぎてめんどくさい。しかもバカっぽくてルイスにも似ている気がする。


「確かに姉さまは助けは必要ないって書いてたよ。でも本音を書けない環境下にある可能性もあるし、家族なんだから心配して当然だろ?!」

「焦らなくても、後発隊と一緒に来れば良かったんじゃないのか?」

『ああぁ、これはこじらせてますねぇ』

「待てるわけないだろ!」


 自分が迎えに来たことで姉が泣いて喜び、一緒に実家に連れ帰って欲しいと請われる予定であったベネディクトは不満気だった。不満気ながらも、俺たちが食べるフレンチをどうにかひとくち食べようと必死である。


 別に意地悪で食べさせてあげないわけではない。アマーリエが、無茶をして周りに迷惑をかけた弟に怒っていて、そんなやつには豪華な食事を与えなくていいと突っぱねたのだ。腹が減ったのなら持参した携帯食を食べろ、国境を越えてくるからには手ぶらで来るわけはないだろうと。


 日本でも災害が起きた時に、マスコミやボランティアが手ぶらで被災地に乗り込んで現地のスーパーやコンビニで食料を買い漁ったりして問題になったことがある。そういうあれなのだろうか。この世界でも同じような考え方なのかは分からないけど、アマーリエの指示には黙って従う事にする。というかアマーリエだって結婚相手の家から家出してきたから周りに迷惑をかけているのでは……余計な事を考えるのはよそう。


「でもよくこの村にいるって分かったな? アマーリエは村の場所を書いたのか?」

『誰かに手紙の中身を見られるかもしれないんですよねえ?』


 俺の問いに対するビアンカの返答によれば、手紙は誰の手に渡るか分からない事もあって村の場所について明確に書かれていなかったらしい。


 アマーリエのご両親はレーメンの町の商業ギルドから手紙を受け取ったため、とりあえずレーメンの町までの安全な道のりを確保するように偵察隊へ依頼した。しかしベネディクトの追尾と我儘によって結局その先にある居住地まで探しまわることになり、時間はかかったがこの村へとたどり着く事が出来たとか。偵察隊の三人は相当優秀なようだ。


「護衛の彼らは父さまが選んだ手練れだからね。僕が手を貸すまでもなかったよ」


 この弟君が手を出すとややこしい事になる気がするのは俺だけだろうか。実際、偵察隊の三人はとても疲れた顔をしていた。



 彼らは一晩だけこの村に泊まり、明日朝にベネディクトを連れてトワール王国へと戻ることになった。アマーリエが不自由な生活をしているのなら何としてでも連れて帰ろうと思っていたそうだが、当の本人であるアマーリエはのびのびと村での生活を満喫している。アマーリエ本人にも帰るかどうかを確認したが、しばらくは帰りたくないらしい。そんなに俺と離れるのが嫌なんだろうか。うん、フレンチだよね、風呂だよね、シャンプーだよね。


 姉のそんな姿を見たベネディクトは、当初は拍子抜けしたような安心したような顔をしていたが、それならば自分もこの村に残ると言い出し、アマーリエに怒られていた。いつも穏やかな笑みを浮かべているアマーリエの表情が崩れて目と眉が吊り上がる。あれと同じ顔を自分に向けられたらきっとショックで寝込む。


「俺としてはアマーリエにはここにいてほしいけど、村の安全面を考えたら二人で一緒に帰ったほうがいいんじゃないか?」

「でも実家に帰っちゃうとそれはそれでマズいんじゃないかしら? 行方不明扱いのほうが良いと思うわ」


 しかしアマーリエも連れて帰ることについては偵察隊三人が反対した。彼らがこちらへ来る途中に大型魔獣が頻繁に出て倒すのに苦戦したらしく、二人に増えてしまった護衛対象を連れて同じ道を戻るのは厳しいと判断したようだった。誰かを背に守りながらの戦いは難易度が高いらしく、一人守るのでも必死だったらしい。当の本人はあっけらかんとしてるのに。



 偵察隊三人とベネディクトが明日帰ることに決定した後は、今日のノルマであるフレンチを食べるために偵察隊と弟君を家族風呂に押し込めたはずだったのだけど。


「姉さま、毒見は必要だと思うのです。僕が毒見役をして差し上げましょう」

「さっきからうるさいわねアンタ! 邪魔だからあっち行ってなさいよ!」

『ベネ君、ビアンカさん怒ってるしお姉さんと一緒にあっちで座っていようか?』


 ベネディクトは当然のように客室に戻ってきて、アマーリエに付きまとっている。食事を始めてからずっと付きまとっている。しばらく見ていたけれどベネディクトの相手はビアンカがしてくれるようだから、口を挟まず任せてしまおう。


 ビアンカに怒鳴られたベネディクトが離れた場所のソファーで寂しそうに座っていて、その横に佐久間が寄り添っている。佐久間の鼻息が若干荒い。ベネディクト本人には怨霊の姿は見えてないようだった。佐久間は幼児とか少年とかが好きなんだろうか。さっきから興奮状態が続いている。


「そういえば入り口にティーパックが置いてなかったか? 村の人から沸かした湯をもらって来れば、ティーパックの紅茶くらいなら……」

「だめよ!! それはアタシたちのなんだから!」


 拗ねてしまったベネディクトに、紅茶くらいなら与えてもいいかと思い提案したが、ビアンカに即却下されてしまった。ものすごい剣幕で、たじろいでしまう。


「えっ、ビアンカ、あれ飲んでたのか? 誰も飲んでないと思ってたのに」

「あの茶葉はアタシとアマーリエの密かな楽しみなんだから! 勝手にとらないでよねっ!」


 最初に家の中を案内した時はちらりと見ただけで、ティーパックの中身が何なのかやどう使うかなども説明してないし、全くの手つかずだと思っていた。しかしビアンカとアマーリエは中身が茶葉だと見抜き、初日から紅茶を楽しんでいたらしい。俺、誘われてない。


 ビアンカ曰くティーパックは数種類あるが、中身はどれもこの国では珍しいもので、品質もとてもいいらしい。商店に売れば結構な値がつきそうだが、消耗品は持ち出すと二度と復活しないと教えていたので、それならばと二人でひっそりと楽しんでいたとか。


 俺は気づかなかったが、バーカウンターの下段の収納に湯沸かしケトルが入っていたらしく、説明もしていないのに試行錯誤して自分たちで湯を沸かしていたそうだった。


「お水を入れてこの部分を押すとすぐにお湯ができるの! 火が要らないなんて、すばらしい道具だわ!」


 その後もビアンカは紅茶の香りやら口当たりやらを力説しだしたが、まず紅茶の味の違いの分からない俺からしたら何が何やら分からない。べた褒めしてくれるのは嬉しいが、先ほどからベネディクトが聞き耳を立てて反応している。


「カナタ、僕にもその茶葉をくれ。母様への手土産にする」

「ダメって言ってるでしょ! あれはアタシたちのものよ! それに持ち出したら消えちゃうのよ!」

「この家はカナタの家なんだろ?! 家主が許可してるんだからいいじゃないか!」


 やはりベネディクトの世話はビアンカがしてくれるようだ。俺はアマーリエの弟という事もあって距離を測りかねているので、口出しせずに温かく見守ろう。




 フレンチ料理を食べ終わると、恒例の入浴時間になった。いつもは俺とティモのペアと、ビアンカとアマーリエのペアに分かれて内風呂と外風呂で完全分離されている。混浴はまだ叶っていない。


 偵察隊三人は今頃小さな家族風呂で疲れを落としている事だろう。押し出される形で、ルイス達は今夜だけ自分の家へと戻ることになった。客室の一階なら使ってもらっても構わなかったんだけど、ベネディクトを警戒しているのかもしれない。


「おおおお、なにこれ! カナタ見て、湯がどんどん湧き出てくる! それにこの花はなんなんだ! 見た目が華やかで良いな!」

「新鮮な反応をありがとう」


 男であるベネディクトは当然、こちらのグループに入ることになる。ベネディクトの家は貴族なので、最初は風呂と聞いても特に興味をそそられないようだったが。


「湯を捨てても捨てても湧いてくる! カナタ、この穴どうなってるんだ?! 湯が湧き続けるのは魔石をはめ込んでいるとして……流した湯はどこに行くの?! 近くに川はなかったし、そうか! あの落とし穴につながっているんだな!」


 浴槽を前にして大興奮であった。洗面器でせっせと湯を排水溝に捨てて湯の量を減らし、浴槽内の湧口を観察している。もったいないからやめてください。


 ベネディクトのあまりのはしゃぎっぷりに、ティモは素っ裸のまま内風呂へと逃げ込んでしまった。内風呂にはビアンカとアマーリエがいるのに。子供だからってずるくない?


「この淵の石も……石かコレ? 見た目はまるで石なのに、触れてもザラザラしないし……研磨したところでこんなにツルりとはしないだろう? カナタ、この素材について教えてくれ! どこの職人に依頼した?!」

「悪いけどよく知らなくて……それよりベネディクト、あの壁の上見えるか?」


 土がみっちりと埋まっている壁を指さすと、ベネディクトの視線が土壁に向かい、顔が驚愕の表情に変わった。浴槽に気をとられすぎて、明らかにおかしい土壁を見ていなかったようだった。結界があるから土が崩れてくることはないはずだが、何かのきっかけで家が埋まる可能性もある。そう説明するとベネディクトは入浴中だというのに両腕を擦りながら震えていた。


「その結界の強さってどれくらい?」

「あの土と空の間の隙間に、ベネディクトが埋まってたんだ」

「えっ?! 僕は木の壁と土の間に挟まってたはずなのに……でもこうして見てみると……いや返事してくれよ」


 土壁に挟まれて身動きの出来ない状態を思い出したのか、ベネディクトは恥ずかしそうな表情を浮かべていた。顔がアマーリエに似ているからか、少しかわいい。男だけど。


 家具や空調など客室の設備についても細かく聞かれたが、スキルで家ごと出したことについては伝えるのはやめておいた。女性陣三人に口止めされてしまったからだ。ビアンカとアマーリエには考えることもせずにペラペラと話してしまったが、いくらその弟であったとしてもこれから隣国に帰るという貴族のベネディクトには、必要以上の事は話さないほうが良いと諭されてしまった。


 隠し事をしながら話そうとすると、辻褄合わせに嘘を重ねることになる。それも辛かったので早めに就寝したが、俺の寝た後に姉弟での語り合いの時間など持たれなかったと翌朝ビアンカから聞いた。ベネディクトは仲の良い姉弟だと言っていたけれど、本当なのか。


「帰りたくない」

「もういいから帰りなさいよ! 護衛の人達困ってるじゃない! 勝手について来たんだから、これ以上迷惑かけるんじゃないわよ!」

「あと一日だけ」


 国に帰ることを渋り出したベネディクトだったが、アマーリエの氷点下の眼差しとビアンカの激励によってトボトボと隣国へ戻って行った。


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