第46話 土壁の中から

「はぁー……やっぱり自宅は落ち着くなぁ……」

「はあー、いきかえりますなあ」

『私もお風呂入りたいですう。湯浅先輩、何とかなりませんか?』


 露天風呂付客室の外湯でティモとくつろぐ。初めて外湯に入った時は赤い花びらが浮かんでいたのに、今日は薄いピンクや白の花が浮かんでいた。料理と同じで日替わりで変わるのかもしれない。柚子湯とか趣があって好きだけど、この浴槽に柚子が浮かぶ日は来るのだろうか。この世界に柚子はあるのだろうか。



 レーメンの町から帰ると気が抜けて、アマーリエとビアンカが室内にいることも気にせず全裸で外湯に飛び込んだ。クラウス達には家族風呂を丸ごと貸してやっている。


 商業ギルドのマフレッドさんが何度も注意喚起していたとおり、ギルドから出た途端に怪しい男たちに連れ去られそうになった。ペーターが大きな体からは想像できないほど機敏な動きで引っ張ってくれたので事なきを得た。危うくペーターに惚れそうに、なるわけがない。


 宿屋へ戻る途中も誰かに見られている気がして嫌な感覚がずっとしていた。。早朝ならまだ安全だと聞いた気がしたのだが、もしかすると夕方だともっと危険だったのかもしれない。


 大急ぎで宿屋へ戻り村長と村人たちと合流し、変装を解いてから逃げ出すように村に戻ってきた。町から出るまでは嫌な視線を幾度となく感じた。王国がいつ落ち着くのかは知らないが、しばらくレーメンの町に行くことは控えたほうが良さそうだ。



「カナタあれやって!」

「アレ? ……ああ、タオル風船のことか。おーいビアンカ! タオル一枚持って来てくれない?!」


 ティモにせがまれたので二階でくつろいでいるビアンカに大声で呼びかけたが、バカじゃないのという言葉だけが返ってきた。上から投げてくれるだけでいいのに。


 ビアンカとアマーリエは商業ギルドから持ち帰った封筒の中身を読んでいるようで手が離せないらしい。仕方なくティモを派遣してフェイスタオルを持って来てもらう。タオルを湯に浮かべて空気の風船を作ってやると、前と同じように喜んで噛みつくティモがいた。普通は手で潰すとかじゃないのか。


「がうがう」

「ビアンカはあんなに嫌がるのに、佐久間は平然として男の裸見るよな」

『育ち方の違いでしょうかね。私たち日本人女性は見られる事には敏感ですが、こちらが見る分には特に何も思いません。漫画とかで男の人の裸を見てキャーってなってるのは男性側の妄想ですよ』


 そう言いながら佐久間は俺の下半身を見てふっと笑いやがった。失礼な奴だ。


 しかし言われてみればそうなのかもしれない。高校の体育の着替えの時に、男子が着替えている教室に女子が間違えて入って来たことがあった。キャーと言ったのは男子だけだった。間違えて教室に入ってきた女子は死んだ魚のような目をして出て行った。クラスでも可愛いと評判の女子だったはずなのに、あの冷めきった瞳がそれ以降もちらついて素直に可愛いと思えなくなってしまった。でもあの時は今みたいに下着まで脱ぐことはなかったし、たぶん佐久間がおかしいんだろう。何せ怨霊になって感情とか色々ぶっ飛んだみたいだし。


『体力とかはぶっ飛びましたけど、感情は残ってますよ。残ってなかったら娯楽を求めたりしませんよね?』

「がぶー」


 人の思考を読むんじゃない。スキル持ちじゃあるまいし。いや、もしや読めるのか?


『それと、湯浅先輩がアマーリエさんの胸ばっかり見てるのを、私は知っています』


 佐久間やめて。鋭い指摘も、心で会話するのもやめて。




 それから数日、平穏な日々が続いた。日中は村の周りに堀と塀を作り、日が沈むころには露天風呂に入ってから夕食を二度とる。


 土堀と塀は村の周りをぐるりと囲むほどの大きさになり、人間の通行用に所々掘っていない地面を橋のように残してある。


 土堀は水を流し込めば水堀になるのだが、試しに井戸水を入れてみると水を入れたそばから土が全部吸収してしまった。底面をどうにか固めるか、石を敷き詰めるかなど意見を出し合ったが、俺にも村人にも知識がなく結局そのままになってしまっている。石を敷き詰めることになったとしたら重労働だし、もしも間違えて村人が落ちたら打撲ではすまないだろうと言われて手を付けずにいる。


 しかし落とし穴になっているだけで動物や魔獣には効果があるようで、たびたび罠にかかるようになった。食べられる系の魔獣が堀に落ちていると、村人たちは大喜びで槍を刺す。土堀がなければかなりの苦戦を強いられることになったはず、らしい。


 日本ではデスクワーク中心だったけど、こういった素朴な生活もなかなか楽しい。


「寿司が食べたい。海鮮丼でもいい」


 大金を得た俺だったが、村長のエゴンさんによって新たな浴槽設置は保留にされてしまった。どうしても建てたいのであれば、今ある建物を潰してその跡地に建てろという。和食が食べたいので和風な露天風呂付客室を設置したかったのに、せっかく設置した100万リブル以上もする欧風の客室を潰すのはもったいなくて踏み切れない。建て替えたとしてもビアンカとアマーリエから不満が出そうだし。


 じゃあ何のためにお金を稼いだんだ。いつかきっと和食を食べてやる。



 一日の終わり、夕食後に露天風呂付客室の外湯にティモと入浴していた時だった。


「カナタ、あれみて。なにかいる」

「えっ?! 何だろう、魔獣か? 外堀越えて入って来た?」


 ティモが浴槽に浸かりながら脅えた表情をして外を指さす。外と言っても本来ならオーシャンビューとかの美しい夜景が広がっているはずの場所にある、一面の土を。


 土はちょうど一階部分が埋まるように掘られているので、見上げると一定の場所から上は星空が広がっている。星とか惑星チョコみたいな物体とかが浮いているのが見える。


 その土と夜空との境目あたりに動物のような物がごそごそしていた。建物に近づこうとして足を滑らせたのか、土と建物の間に挟まって身動きが取れなくなっているようだった。


 外からこの露天風呂付客室を見た時は木造のどこにでもある家に見えるので、暗いし油断して近づいたのだろう。しかし内側から見れば透明なガラスの壁と土にみちっと挟まっているようだった。佐久間に様子を見てきてくれと頼んでみると、いったん外に出てぐるりと周って偵察をしてきてくれる。


『人間でしたぁ。忍者みたいな黒い服着てて顔や性別は分からないんですけど、体格は中学生くらいでしょうかね?』

「にんげん?! でも建物の中に入れないって事は、村の人じゃないんだろ?」

「にんじゃってなに? ちゅうがくせいってなに?」


 嫌な予感しかしなかったので風呂から上がり、タブレットのマップ画面を見てみる。マップ画面では今いる建物ギリギリの場所に青い丸が一つあった。そして少し離れた場所にも青い丸が三つ。この位置からすると三つの青丸は林の中にあるようだから、村人ではなさそうだ。


 こんな夜遅くに林の中をうろつく村人はいない。そう、村人たちは夜には足湯に集まってくつろいでいる。全員が足湯のとりこだった。


「青だから敵意はないんだろうけどなぁ。あんな変な場所で何してるのか聞いてみたい気もする」

『湯浅先輩。いつものように勝手な行動したら村長に怒られませんか?』

「そうだった。こういうことは相談という名目で村長に押し付けてしまおう」


 手早く着替えて足湯まで行き、村長のエゴンさん達に佐久間が見たことを報告する。相手に敵意がない事は伝えたが、村人たちは念のためと言って縄を準備しだした。俺とティモがこの村に初めてきた時、あの縄で縛られなくて良かった。俺たちが縛られなかったのは昼間に堂々と来たことと、子供のティモがいたからだろうか。



 もがいている人を救出するにしても捕縛するにしても俺の腕力では何もできないので、ただタブレットを持って足湯から見守るだけの役をする。まず先に土に挟まれている人をペーター達が引っ張り上げた。歯周ポケットに挟まってる虫歯菌を救出するようなイメージが頭につきまとって、ちょっと笑いそう。


 ペーター達は引き上げた人を縄でぐるぐる巻きにしている。相手の人、大した抵抗もしてないのにそんなに巻く必要ある? 


 次に林の中に隠れている三人を捕縛しようとするが、あちらも手練れの様で村人たちが近づくとするりと逃げるように場所を変えられてしまう。そこでタブレットのマップを開いている俺が、おーい右に行ったぞとか、左に逃げたから回り込めーとか言って指示を出す。この役、楽でいい。


 十数分間鬼ごっこをしていたが、結局どこへ逃げても追いついてくると三人の青丸たちは理解したようで、自ら姿を現して大人しく御用となった。


「おいカナタ! カナタが来てから厄介事ばっかりだな! 変なもん憑いてんじゃないのか?!」

「怨霊なら憑いてますけど。関係あります?」

『私は良い怨霊なんですよ! すっごく役立ってるじゃないですか?!』


 村長のエゴンさんが青筋立てて怒っていた。でも俺関係ないよね、たぶん。


 捕まった人たちは、体格の良い大人三人と中学生くらいの体つきの一人だった。全員黒ずくめなので性別は分からない。


「えっと、君たちをどうこうするつもりはなくて、あんな場所で何してたか知りたいだけなんだけど……土の中で何してたんだ?」

『湯浅先輩、そんなに煽らないであげてくださいよ。土の中にいた子は明らかにドジっ子じゃないですかぁ!』

「カナタ、勝手に尋問始めるんじゃねえ! 順序ってもんがあるだろ!」


 四人を並べて地面に座らせた周りを村人たちで取り囲み、顔に被っている布を村人が剝いでいく。尋問する気はなくてただ質問したいだけなんだが。顔があらわになった四人はこの村の人達と同じく彫りの深い顔立ちで、髪の毛はバラエティー豊かな色合いだった。赤髪、黒髪、紫髪、金髪……黒髪はともかく他の人の毛根が気になる。


 特に気になったのは淡い色の金髪を生やした中学生くらいの体格の人物だ。髪は耳の下辺りでまっすぐ切り揃えられており、いいところのお坊ちゃんといった雰囲気だった。どこかで見たことのあるような瞳の色と顔立ちをしている。この菫色の瞳は……。


「ベネディクト?!」

「アマーリエ? 男の人いっぱいなのに喋れるの?! 大丈夫なの?!」


 露天風呂付客室で待っていたはずのビアンカとアマーリエが近くまで来ていて、アマーリエは驚いた顔で目を見開いていた。ビアンカはそのアマーリエを見て驚いた顔をしている。ややこしい。


 そしてアマーリエのその小さな口からは鈴の鳴るような澄んだ声が聞こえた。村人たちは初めて聞いたアマーリエの声に唖然としている。ぐぬぬ、喋れるのは俺だけの秘密だったのに。俺とアマーリエとのふたりだけの秘密だったのに。


 でもベネディクトってなんだか美味しそうだな。オランデーなんとかってソースの名前を聞いたことがある。ぷるぷるの半熟卵をフォークでつつくと、とろとろと崩れる光景が頭に浮かんで小腹が空いてきた。


 そんな俺の腹事情など知らない金髪の中学生が顔を上げてアマーリエと視線が合うと、アマーリエは困惑を顔いっぱいに浮かべて中学生に駆け寄って抱き着いた。なにこれ。その中学生、女の子だよね? そうじゃなかったら嫌だ。


「姉さま! ご無事で!」


 ぱあっと音がするような笑みを浮かべた顔は大変可愛らしかったけれど、その声は紛れもなく男性だった。


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