第41話 想い出 (sideアマーリエ)
「お前を娶ったのは、陛下からの勅令によるものだ。お前に対して愛情など持つはずもないし、期待しないことだな」
ユルゲン・フォン・リヒトホーフェン公爵閣下は先ほどまでの柔らかな笑顔を消し、わたくしの顔も見ずに冷たく言い放った。
「わっ、わたくしの両親へは、大切にすると……」
「あんなもの社交辞令に決まっているだろう。人質となるお前をこのデンブルク王国に連れ込むための演技だ。何が悲しくて敵国の見知らぬ女を妻に迎えねばならん」
ユルゲン様は忌々しいといった表情をしてそう言い捨てた。わたくしには横顔しか見ることが出来なかったが、先程までとは違うその態度に愕然とする。馬車に同乗していたユルゲン様の側近だという男性も、底冷えのする冷たい瞳でわたくしを見据えていた。
「それとお前、アマーリエという名だったか。今後は発言していいと許可するまでは話しかけるな」
そう吐いて捨てるように言い残すと、ユルゲン様は側近の男性と共に馬車から降りて足早に屋敷へと入って行ってしまった。
昔から男の人が怖かった。両親の話によると幼いころに悪い男性達に誘拐されそうになったことがあるらしい。わたくしの記憶には残っていないけれど、なぜか家族以外の男性は姿を見るだけで足が震えてしまい、ましてや会話することなど出来なかった。両親は世話係に女性ばかりを雇い入れ、二人の兄たちと年の離れた弟以外の男性とは接触すらせずに今まで生きてきた。
貴族ばかりが通うとされている学園にも通ったが、女学校で教師も全て女性だったために結局家族以外の男性と話すことなく二十歳になってしまった。
結婚の適齢期はとうに過ぎている。仲の良かった友人たちは全員嫁いでしまった。しかし両親も兄弟もわたくしをとても愛してくれて、想い合う男性がいないのならずっと家にいてくれと懇願されてしまった。そんな
そうして愛情をたっぷり注がれながら”箱入り娘”として大切に育てられていたが、ある日事態が変わってしまう。トワール王国の国王陛下から父へ、ひとつの命令が下ったのだ。
トワール王国の辺境の地で災害が多発していることは学園の授業で習った。その災害について、元凶であるはずのデンブルク王国はのらりくらりと正式な回答を避けていたが、ついに自国の責任であると認めたそうだ。ここでデンブルク王国からトワール王国へ謝罪や賠償の話などがあるかと思いきや、さすがのデンブルク王国、自国に有利になる条件ばかりを突き付けてきたらしい。
同盟国として友好条約を結びたい、そうすれば今後災害はトワール王国には起こらないだろう。友好の証として貴族家の子息を贈るので、王女か公爵令嬢を差し出せ。
さすがにこのような直球な言葉ではなかったが、お偉い様方の小難しい話を分かりやすくかみ砕くとこういうことだそうだ。筋が通っていないし、意味が分からない。相手側の差し出す貴族家は、調べてみると子爵家の五男だったそうだ。
しかしトワール王国の重鎮たちはその要求をのんでしまった。弱みでも握られているのだろうかと疑ってしまう。
「アマーリエ、すまない。私が公爵でさえなければ……あと数年の時が違ってさえいれば……」
「いいえお父様。適齢期の女性はもうわたくししか残っておりませんもの、仕方がありませんわ。それにお父様が公爵であったからこそ、わたくしはこの歳になるまで何一つ不自由なく幸せに過ごせてきたのです」
涙を流して謝罪する両親を、笑顔で宥める。わたくし一人が隣国へ嫁ぐだけで本当にトワール王国に平穏が訪れるなら、迷う事はない。男性恐怖症だって克服して見せる。
豪華な馬車で迎えに来たのは、夫となるユルゲン・フォン・リヒトホーフェン公爵その人だった。まさか隣国の公爵本人が国境を越えて迎えに来るとは予想しておらず、しかも突然の来訪だったために家族全員が慌てふためいていた。
「これは大変美しいお嬢様ですね。銀色の髪など我がデンブルク王国ではあまり見かけません。妻として迎え入れることを光栄に思います」
ユルゲン様は明るく朗らかな笑みを浮かべている。隣国との境目に災害が頻発していることにより通行事情が悪く、頻繁に行き来は出来ない。このままユルゲン様と共に隣国へと向かい、そこで一生添い遂げることになるそうだ。家族と再び会えるかどうかは分からないと言われた。今後災害が減り、友好関係が結ばれたままであれば少しは期待ができるのだけれど。
「娘は人見知りでしてね、可愛がるあまりこのような年齢になってしまい……」
「いえいえ、こちらこそおじさんで申し訳ないくらいです。数年前には妻がいたのですが先立たれてしまいまして」
ユルゲン様は過去に二度結婚しているそうだが、病気と事故で二人とも亡くなってしまったという。頂いていた釣書には何も書かれていなかったようで、娘が後妻の座に収まる事を知らなかった両親は冷や汗を浮かべていた。
しかしユルゲン様と話すうちに彼の人柄を知り、それも落ち着いた。少し話しただけであったが彼はとても温厚で大らかな性格で、こちらの懐に入り込むのが上手かった。三十一歳で公爵としてその地位を守っているのは伊達ではないのだろう。
「アマーリエ嬢は男性と話すのが苦手なのかな?」
「……はい。申し訳、ございません」
「責めているわけではないよ。大丈夫、ゆっくりと慣れてくれればいい」
危険な道を通ってまで迎えに来てくれたという事実が、ほんの少し残っていた猜疑心を消してくれた。大切にします、と両親へ告げるユルゲン様の優し気な微笑みを見て、わたくしと両親は胸をなでおろして安堵した。
はずだった。
「じきに旦那様がこの部屋へいらっしゃいます。私共は明日の朝にまた参りますので、何かございましたら階下にいる夜勤の者にお声がけください」
「……ユルゲン様が? こんな夜更けになぜ?」
「初夜でございますので」
メイド長らしき細身の年配女性は、無表情のまま平坦な声で返答する。これまでわたくしの世話をしてくれていた実家のメイドたちとは雰囲気も何もかもが違う。実家のメイドたちはいつも柔らかい笑顔を浮かべていたのに。
「でもユルゲン様はわたくしに愛情は持たないと仰いましたし……」
「決まりでございますので。宜しいですか、旦那様に全てお任せするのです。絶対に抵抗などなさりませんように。それが、奥様の為でもあります」
奥様とは誰だろうと思ってしまったが、やがてそれが自分自身の事であると理解する。そして初夜という言葉が心に重くのしかかる。愛情を持つことはないと言われたが、男性はそのような相手であっても構わないのだろうか。それに、メイド長の意味深な言葉が気にかかる。
言葉少なにメイド長が下がり、ユルゲン様が部屋へ入ってきてからは散々だった。高圧的な態度で無遠慮に肌に触れてこようとするので、怖くなってしまい抵抗すると顔面を叩かれてしまう。髪を鷲掴みにされて引き回され、骨が折れてしまいそうな程強い力で腕を掴まれる。信じられなかった。何度も抵抗し叩かれを繰り返し、わたくしの顔や体が真っ赤に腫れあがった頃に、それをやってしまった。
家族からは決して人前で使用してはいけないと言われていたスキルを使ってしまった。
―――――――歌を、唄う
心の表面にある怒りや悲しみは押し込めて、心の中心の柔らかな場所から力を引き出して歌に乗せる。最初は声が震えてしまい、ユルゲン様が怪訝な顔をしていたが、やがて音色が伝わり出す。
―――――――歌を、唄う。心を込めて
―――――――さあ、眠りなさい
苛立ちながら訝しんでいたユルゲン様は、ものの数秒で意識を失った。気持ちが高ぶっている人程良く効くというのは本当だったようだ。いつもはベッドに横たわっても中々眠れないという家族に歌って聞かせるだけだったので、今日初めて確信を得られた。
実りの多い初夜が終わった。
「おはようございます。お召し物を……えっ、旦那様?! 寝室へお戻りにならなかったのですか?!」
「ええ、ユルゲン様は長旅でお疲れのようで、昨夜はベッドへ上がるなり眠ってしまわれまして……二度の難所越えはやはりつらいものがあったのでしょう」
いびきをかいて眠っているユルゲン様に驚いた後、わたくしの顔が赤黒く腫れているのを確認したメイド長はそっと目を逸らし、湯あみの為の部屋へと案内してくれる。全身を洗ってもらったが、赤黒く腫れた跡が上半身にしかなかったことでメイド長は不思議そうな顔をしていた。
この跡はメイド長の助言に従わなかったからついたものなので、お世話をしてくれる彼女に少々申し訳なく思ってしまう。けれど忠告通りにすることなど、わたくしには今後も出来そうにない。
その後もユルゲン様は諦めずに毎晩わたくしの部屋へ訪れて高圧的な態度でベッドまで上がってくる。数日同じことを繰り返せば、絶妙な位置で眠らせることが可能になった。
毎晩ぐっすりと眠れている彼は最近肌の調子が良い。それを周囲は勘違いしているようだった。夜間の出来事を全く覚えていないのか、妻の部屋まで出向いて何もなかったなどという事は男性にとって醜聞なのだろうか。夜間にわたくしの部屋で何が行われているのかをユルゲン様が他言する事はなかった。公爵である彼はメイドや執事であっても体裁を気にするらしく、他人がいる場所では罵倒や暴力を振るう事がないのは救いだ。
ユルゲン様には亡くなった前妻との間に三人のお子様がいるらしい。実際にお会いした事はないけれど、男児もいるそうなのでわたくしが跡継ぎを生む必要はなさそうだった。仮に男児が生まれたとしても、敵国から連れてきた後妻の子を嫡男に据えるわけもない。
いいかげん諦めてくれたらいいのに。実家に帰る手段もないし、そっとしておいてもらえれば静かに引きこもったまま人質としての余生を過ごすのに。そう思っていたが、うまくいかないものだ。ユルゲン様は大金を出してスキル持ちの人を雇い、わたくしに対抗する術を得たらしい。
「なっなんだ、この気味の悪い紋様は!?」
「ですので最初に申し上げました通り、私のスキルは声を奪った証として体のどこかに印が刻まれると……」
「こんな、真っ黒で気色の悪い紋様などとは聞いていない! それに背中いっぱいに出るとは、呪いの様ではないか!」
「そう申しております」
声が出なくなった。背中に妙な黒い紋様が出た。
ユルゲン様はこの黒い紋様がお気に召さなかったようで、しきりに伝染するのではないかと口にしていたが、やがて本邸の離れにある小さな家へわたくしを押し込めた。呪われたわたくしに触るのが怖いらしい。初対面の時のあの穏やかで懐の深い男性はどこへ消えてしまったのだろう。
その後ユルゲン様が離れの家に来ることはなく、新人メイドの女性ミラとの静かな暮らしとなる。本邸にいた時よりも簡素になったが食事などは用意され、衣類も最低限は揃えられている。わたくしがここで生きているだけでトワール王国が平和であり続けるのであれば何も文句はない。
「奥様、今日はとても天気が良く外は気持ちが良いですよ。お茶はお庭へ用意致しましょうか?」
新人メイドのミラはおしゃべりで明るい性格で、喋れないわたくしにも陽気に話しかけてくれる。新人だからメイドとしての作法やしきたりなどを知らないらしく、けれどそれがわたくしを笑顔にしてくれた。
「今日の夕食は奥様のお口に合うように、料理人が腕によりをかけたと言っていました。本邸では濃い味が好まれるようですが、奥様のお料理は少しだけ薄く仕上がっております」
ミラはずっとわたくしと一緒にいるはずなのに、本宅の様子をどこかから仕入れて来て教えてくれることがある。本邸の使用人やユルゲン様は、わたくしの存在を隠そうとしているのか、別邸には絶対に近づこうとしないこと。わたくしが一時的にいなくなったとしても発覚するまでは半年以上かかりそうだということ。
「奥様、今日はお庭に小鳥が来ております。黄色と緑の色をした、とても可愛らしい大きさの小鳥ですよ。裏門近くになってしまいますが、ご案内しましょうか?」
にこやかに話を聞かせてくれるミラの姿は、学園に通っていた時の友人たちを彷彿とさせる。彼女たちは幸せだろうか。彼女たちが幸せに暮らせるのであればわたくしはいくらでも我慢できる。
ミラの話によると、トワール王国との国境に大型魔物が大量に出現し出したという。友好条約を結んだはずなのに、どうなっているのだろうか。家族や友人が心配になる。
街の人の様子なども嬉しそうに教えてくれることがあり、乗合馬車のある場所やそこまでの道筋、馬車に乗るための交渉方法や金額なども細かく教えてくれる。身分を隠してそれを利用する方法も。
「お庭に綺麗な花が咲いていましたので、お部屋に飾らせていただきますね」
お茶を飲んでいる時や庭の花を眺めている時、ふとミラと目が合うと嬉しそうに話しかけてくれる。彼女が昔住んでいたというレーメンの町の話や、友人が働いているという商店の話。友人の名前や、身元を隠して働きたい時の商会長への交渉方法。
ミラは何気ない雑談のように話しながらもたくさんの情報をくれた。鈍感なわたくしでもミラの意図に気づいてしまう。でも、そうすればその後彼女はどうなるのだろうか。
「奥様、アタシは新人メイドですので、何もご心配なさらずにお好きなように振舞ってくださって結構なのですよ。それに足には自信がございます」
その夜、部屋の隅には町娘が着ていそうな服と外套、そして銀貨の詰まった袋が置かれていた。ミラの給金なのかもしれない。
机から取り出した紙に手早くお礼の文言をしたため、急いで着替えをした。彼女の笑顔を思い出しながら銀貨の詰まった袋を握りしめ、決死の覚悟で夜の街へと飛び出した。
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