第40話 磨き上げた背中
ハニーキラービーを倒した日の夜遅く、アマーリエの背中に入っていたどす黒い紋様がついに綺麗に除去された。ここ数日はビアンカが入浴のたびにメイク落としでこすっていたそうだが、中央付近の紋様の汚れがしつこくてなかなか落ちなかったそうだ。
メイク落としがなくなってしまう前に汚れが落ちてほっとしている。同じ成分のものがこの世界にあるかは分からないし、作り出す事も出来そうにない。
「アマーリエがお礼を言いたいって言ってるわ! 消えるはずがないと思ってた紋様が消えたもんだから、アマーリエが泣いちゃって宥めるのが大変だったんだから!」
「あっ……」
アマーリエの形の良い小さな唇から、わずかに声が漏れ聞こえた。ビアンカの高めの声よりも少しだけ低く、透明感のある声だった。横ではビアンカがドヤ顔をしている。
「えっ?! アマーリエ、声が出るようになったのか?!」
「模様が消えて、話せるようになったのよ! さっきアタシもビックリしちゃったわ! それでさらに泣いちゃって……」
「消えても声は出ないままって言ってなかったか?」
『前例がないからどうなるか分からないって言ってませんでした?』
そうだったかもしれない。希望を持ち続けてそれが叶わなかった時にガッカリしたくなかったので、紋様が消えても声は戻らないと勝手に脳内変換されていたようだった。でもアマーリエが喋れるようになると、俺のどもりも復活してしまうのではないだろうか。それは困る。
「……あっあのっ……あり……ありっ……、がっ……がっ……」
『…………』
「…………」
「どうしたのアマーリエ?! さっきはちゃんと喋れてたじゃないの?! 何でそんなことになってるの?!」
それは俺が聞きたい。どうしてそんなことになっているのか。アマーリエは凄く綺麗なお姉さんなので対面した時にどもってしまうか心配だったが、いくら美しくても明らかに様子がおかしい人を見ることで逆に落ち着いてきた。緊張している時に隣の人が緊張している様子を見ると、なぜか自分は冷静になれるような感じだ。でもこれで普通に喋ることが出来そうだ。
「それはもとから? それともまだ後遺症が残ってるのか?」
「……あ、のっ、ちっ……ちが、ちっ……、だっ、……だんっ……」
「…………なにこれ?」
『…………なんでしょうかねぇ』
呆然とする俺と佐久間をその場に残し、ビアンカがアマーリエを引き摺って脱衣所へと消えた。しばらく待つと、二人が微妙な表情をしながら出てくる。細かく文字が書かれた紙が手渡された。
「よく分かんないんだけど、あんたと会話しようとしたらこうなるんだって。昔はもう少しマシだったらしいけど……」
渡された紙に書かれていた内容を読むと、アマーリエがこの村へ来るまでの経緯が書かれてある。以前にもちらりと聞いたことがあるが、今回はさらに詳しく書かれていた。その内容によるとアマーリエは昔から男性恐怖症で、家族以外の男性とはまともに話したことがなかったそうだ。
「家に入るときに手をつないだり、隣同士のベッドで寝ることは出来るのに……」
「あのあとアマーリエが必死に手と体を洗ってたのはそのせいだったのね!」
「えっ、聞きたくなかった……」
紙には続きが書いてあり、その内容としてはこうだ。アマーリエは家族の好意によって男性との接触を極力断たれて生きてきたが、やむを得ない事情がありこのデンブルク王国の有力者の家へ嫁ぐことになってしまった。しかしその結婚相手がモラハラ男性であったため、新婚生活は悲惨なものだった。結婚相手の男性の前へ出ると言葉が詰まって出てこなかったが、今まで男性と接した事がなったこともあってその男性の前でだけだと思っていた。
家を飛び出した後は悪徳商店で働くようになったが、筆談であれば男性とも対等に意思疎通が出来ることに気が付いた。この村で村人の男性たちと接する機会が増えたが、やはり特に苦痛を感じることはなかった。
自分がその状態であるなら、声を出せるようになったとしても男性とも難なく話せると思っていたらしい。しかし実際に再び声が出るようになり男性である俺の前に立つと、なぜか喉がおかしな動きをしてしまう。これにはアマーリエ自身も驚いたとか。
喉がというよりも心が拒否反応を示していないだろうか。俺はその結婚相手のような酷い男ではないし、結構仲良くなれたと思っていたのに、アマーリエのハードルはまだまだ高いのか。これでルイスやクラウス達とは普通に話せるとかだったら涙が出てしまうかもしれない。
もう少し男性に慣れるまでは筆談のままでいて欲しいと紙に書き足された。女性のビアンカとは問題なく話せるそうなので、それは問題ないのだけども。ひとつ問題解決したらさらに問題が出てくるとか。
「……あっ、あのっ……、なっ……なれっ……、れっ……ばっ……」
「……また筆談になるのか。二段階右折みたいだな」
『巻き込み確認ちゃんとしてくださいねえ』
それは左折時だ。でも慣れればまともに会話ができるようになるのだろうか。アマーリエが美しい事には変わりないし、心が綺麗な事もこの数日で知っているから気長に待つしかないか。
「アマーリエ、初対面の日に背中を撫でまわしてしまってごめんな」
「ほんとそれよ! 道具の使い方をアタシに教えれば良かったじゃないのよ! 何で当然のようにお風呂場に入ってきて体にさわるのか、今考えても意味わかんないわ!」
『まあまあ、背に腹は代えられないといいますし』
たぶんそのことわざの使い方、間違ってると思う。
「しかしこの逃亡の手引きをしてくれたっていうメイドの人が気になるな」
『美人かどうかってことですか?』
「そうそう、どんな美人だろうかって……違う!」
有力者の大きなお屋敷からアマーリエが逃げ出せたのは、唯一彼女の味方となってくれた専属メイドのミラのおかげだったらしい。アマーリエはミラの処遇が心配で夜も眠れないとか。いや、ぐっすり眠ってるの確認してますよ。
アマーリエはお屋敷でミラと共に放置されていたようで、半年程度であれば家主に気づかれないはずだという。現に町で生活していた頃も追手がかかった気配はなかったそうだ。しかしいずれは居ない事がバレるだろう。その時にミラという女性が罰せられなければいいけれど。
「そのメイドもこの村へ呼べればいいんだけどなあ。ああでも、その家族とかが国内にいて動けない可能性もあるか。そう簡単にはいかないよな……」
アマーリエが言うにはあと数カ月ほど猶予があるので、それまでにトワール王国の実家と連絡が取れれば何とかなるかもしれないと。それならそうと早く言ってくれればいいのに、もしかして連絡を取るために大金が必要だったりするのだろうか。だから黙っていたのか。であれば次に町に行く時には最優先で情報収集しないとな。
「
『でも私、村の周りをさんざん散策しましたけど、怪しい追手みたいなのはいなかったですけどねぇ? あっ、魔獣退治してる冒険者はたまにいましたよ!』
「男の態度に問題はあるが、政略結婚だろ? 逃げ出してしまっていいものなのか……」
前回事情を聞いた時は流してしまったが、アマーリエは人妻だった。少しがっかりもするが、大学生くらいの見た目で人妻というのもギャップがあってちょっと良い。日本で働いている時に周りにいた人妻はだいたいおばさんだったけど、この若さで人妻だと考えるとまた新たな扉が……。
鼻の下を伸ばしていると、女性陣三人からすごく冷たい目で見られてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます