第4話 商人たち

「どなたかおられますか!」


 湯浅邸の扉の外から、低く大きな声が聞こえた。果物を食べ終えて、服を洗濯したりトイレのスリッパを洗ったりしていた時だった。人間の言葉だ。第一村人発見かもしれない。いや、人の言葉を話すモンスターだったりして。念のためタブレットのマップ画面を確認すると、湯浅邸の外にはたくさんの丸があった。いつの間にこんな数の生き物が近づいていたのだろう。何も聞こえなかった。


 湯浅邸に近い位置に二つの青丸、そしてその後方に二つの青丸と橙色の丸、さらに後方に黄色や青の丸が五個ほど密集していた。


 橙色と黄色の意味はまだ分からないけど、青丸は果物の例もあるしおそらく安全なのだろう。だけど怖いからドアを細く少しだけ開けてみた。


「ああ良かった、人がおられた。突然すみません。この辺りの開拓村の見回りをしていたんですが、以前来た時にはここには何もなかったもので。ここに住んでおられるんですか? おひとりですか?」


 扉から少し離れた位置には人間の男性が二人立っている。第一村人を発見してしまった。しかし言葉の通じる人間の居る世界で本当によかった。


 この男性二人があの青丸なのだろう。二人は背が高く金に近い茶髪で、目は青とか緑とか変な色をしていて、顔は彫りが深く外国人の様に見えた。正統派イケメンとは彼らの事だ。俺に話しかけてきたのは緑の目をした男性だった。見るからに外国人なのに言葉が通じるのは、スキルにあった言語翻訳のおかげだろうか。


 男性は二人とも革鎧のようなものを着ていて、一人は剣、もう一人は槍のようなものを持っている。ここで一人で住んでいると返答すれば、青丸は赤丸に変わるかもしれなかった。咄嗟に嘘を吐くことにする。


「いえ、仲間が中におりますが、何か御用ですか?」


 震え声になってしまった。答えながら気づいたが、開拓村とか言ってたしこの土地は誰かの土地なのかもしれない。そこに勝手に家なんて建てたら怒られてしまうのかも。世界が違おうが土地の税金とかもかかるだろうし。一生ここに住めるとか考えていたが、上手いこといかないもんだ。


「やはり仲間の方がおられるんですね。お一人かと思い驚いてしまいました。新しい開拓村の情報が回ってくるのが遅れているのでしょうか……」

「実は見回り途中にうっかり飲み水を切らしてしまいました。馬がかなり疲弊していますので、馬の飲み水だけでも分けて頂けませんか? もちろん対価はお支払いします」


 馬と聞こえたので、首を伸ばして彼らの後方を見てみると、二頭の馬と御者席に座った緑髪のおじさん、そして荷馬車と聞いて連想するような大きな荷台が目に入った。おじさんは明るい緑色の髪をしていて、毛根がどうなっているのか心配になる。


 位置的に二頭の馬が青丸、緑髪のおじさんがが橙色の丸、荷台の中に五人か五匹が乗っているのだろう。よく見ると二頭の馬は足がいっぱいある。空想上の生き物にああいうのがいた気がする。いかにもモンスターっぽいのに、この世界では飼いならすことが出来てるんだな。


 青い目の男性が布のような薄汚れた大きな袋を差し出してくる。その中に水を入れろということだろうか。手を伸ばして震える手でそれを受け取り、一度ドアを閉めた。タブレットを見ると、マップ上の丸の色に変化はなかった。


 洗面所で布の袋に水道水を入れながらタブレットを見つめていると、俺と話した二人の男性が熊やウサギの周りをウロウロしているのが見える。何となく嫌な予感がする。設定を考えよう。俺がここに住んでいる設定を無理のない感じで作ろう。そうしないと本当にあの青丸は赤丸に変わるかもしれない。



「どうぞ、水です。重くなってしまったので……」

「こんなに大量に! ありがとうございます。お礼は魔石か銅貨になりますが、どうなさいますか?」


 水で満タンの布の袋を青い目の男性に手渡すと、選択肢が与えられた。魔石がどんなものかは分からないけれど、ファンタジー小説とかでは弱い設定のゴブリンとかから取れる場合もあるし大した価値はないのかもしれない。


 その点銅貨であればあのタブレットに突っ込めるだろうから、ここは銅貨一択だろうか。いやそれよりさっきから俺の着ているこのスウェットを不思議そうな目で見られているから、先に服をなんとかしないといけないのかもしれない。この服のままでは、この世界の人達と出会ってもコミュニケーションがとりづらい可能性がある。


「銅貨が欲しいところですが……衣類とか食料とかで要らないものはありませんか?  あれば譲っていただきたいんですが。あと、俺達は住んでいた土地を追われてこの家に辿り着いたみたいなんですが、ここって住んでもいいかとか分かりますか?」

「辿り着いた?」

「ええ、たぶん。頭を打ったのか、記憶がないんです。他の人も同じような感じで……」


 俺の言葉に、青の目の男性が目を細めてこちらを見つめてくる。イケメンに見つめられても困るだけだ。緑の目の男性は馬の後ろの荷台へ向かい、緑髪のおじさんも荷台を漁りはじめた。おじさんはマントみたいな服にくるまっている。ああいうアウターを貰えないだろうか。おじさん達が荷台を漁る横で、足のたくさんある馬は水を飲ませてもらっている。



 俺の言葉を受けてか、青の目の男性が少し疑わしい顔をしながらもこの土地について軽く教えてくれた。土地を追われて、というのがこの世界ではありふれた状況なようだった。


 まずここはデンブルク王国の管轄する土地で、王都はここから馬で数日かかる位置にあると言う。王都周辺は栄えていてかなり賑わっているが、王都から離れるにつれて街が町になり、町が村になり、村が集落になるといったよくあるやつだった。そしてこの湯浅邸がある辺りは、王都から最も離れた場所に位置していて、集落よりもさらに少人数で構成される、開拓村と呼ばれる出来かけの集落のようなものが点在している場所らしい。辺境の地で開拓が上手くいって集落とか村になれば徴税して、国の収益が上がってラッキーといった感じで、借金奴隷などが派遣されて村を作っているという。


 奴隷。奴隷制度のある世界だった。地球でも数十年前までは奴隷制度もあったし、今でもそれに近いのもあるし、俺も会社の奴隷だったわけだけれども。


 この世界では俺でもお金を貯めれば美人の奴隷を買う事ができるのだろうか。そう都合のいいようにはいかないだろうが、ファンタジー小説だと可愛らしい奴隷と一緒の家に住んで、何のとりえもない主人公がなぜか慕われるとかよくある。今は無理そうだからいつか誰かから詳しい話を聞きたい。


 話は戻るが、その借金奴隷たちが村を作ろうとするけれど、上手くいく事の方が少ないようで、獣に襲われたり畑を荒らされて食糧難になったり仲間割れをしたりなどと問題は絶えないらしい。


 目の前の彼らはその開拓村の様子を定期的に見回る仕事を任されており、今回はその職務中にこの湯浅邸の近くを通りがかったという。獣の間引きや、足りていなそうな物資を売り歩いたり、野菜などが育って余っていたら買い取ったりなどもしているらしい。しかしここから南へ数時間かかる場所にある開拓村は、原因は分からないが全滅寸前だったとか。


 この湯浅邸の規模なら住んでいても領主にバレないだろうが、開拓村として指定されて物資の届けられる場所でもその状態なので推奨はしないと言われた。もしも人が増えたりして規模が大きくなりそうなら、その前に領主に申請して許可を貰ったほうがいいとも言われた。


 湯浅邸から真っ直ぐ北へ向かえば村と呼べる成功した開拓村があるそうなので、何かあればそちらへ向かうようにとアドバイスももらえた。ちなみに俺のことは、どこかの町から税が払えず逃げてきた人だと認識されたようだった。一目で奴隷ではないと分かるらしい。何を見て判断をするのかは不明。


 衰弱しているようなら保護して町に連れて行くと提案して貰えたけれど、今はタブレットの使えるこの湯浅邸から離れたくないし、果物があるから食糧難という訳でもない。丁重にお断りしておいた。



 青い目の男性と話している間に、馬が水のおかわりを要求したようでもう一度水を入れた袋を渡し、緑の目の男性が雪の上に使い古された靴やマントみたいな服などを数着並べてくれる。同居人の存在をほのめかしておいたから数があって良かった。


「南の全滅寸前の村に残されていた服なので遺品になりますが、それでもよろしければお使いください。あと、そこのブラッディベアとホーンラビットはどうされますか?」

「ああそれは、処理に困ってたんですよね。こういうのをどうしたらいいのかも分からなくて……」


 緑髪の御者の人の目が光ったような気がした。熊とウサギが欲しいのだろうか。邪魔だから持って行って貰えたら助かるし、もしも値段が付くようだったら銀貨とか銅貨とか欲しい。


「ではこうするのはどうでしょう。これがいくらで売れるか現段階では分からないので、今日の所はこの二体をオレたちが回収します。次に見回りに来た時にこの二体が売れた金額から運搬代を差し引いて、銀貨か物品でお支払いします」

「いいですよ。でもこれ大きいですけど乗りますか?」


 それまで黙ったままだったマントにくるまった緑髪のおじさんが、俺の言葉を聞くや否や飛び出してきた。完全に目の色が変わっている。もしかしてこの熊、すごいレアだったりするんだろうか。


「乗りますとも! あっしにお任せください! なに、積んでる奴には歩かせればいいんですよ! ああ失礼しました、あっしは商人でドミニクという名です。近いうちに必ず来ますんで、もしまたこういった魔獣を倒したら、他の商人には売らずに置いといてくださらんかねえ!」

「ええ、倒せたらでいいなら……」


 俺に約束を取り付けたドミニクという名の商人は、足取り軽く荷台に向かい荷台の中に向かって声をかけている。するとぞろぞろと人が降りてきてその場に座り込みはじめた。熊を乗せるために、中に乗っていた人間を降ろして歩かせるようだった。


 乗っていた人たちは中年男性三人と中年女性一人、そしてまだ小さな女の子一人だった。全員がボロボロの服を身にまとい、暗い表情でそれぞれ別の方向をじっと見つめている。家族とかではないようだ。この人たちが黄色やら青色やらの丸印の人達だろうか。


「ええと、熊を乗せて彼らを歩かせるんですか? だいぶ弱ってるように見えますけど、大丈夫なんですか?」

「こいつらは全滅寸前の村に残ってた奴や、逃げ出してその辺でへばってた奴らですからね。本来なら野垂れ死ぬところをあっしが拾っただけですよ。町まで連れ帰ってもまた働けるかは分からんでしょうし、もたなければその辺に捨てていくだけでさあ!」


 ドミニクさんがマップに橙色の丸で表示されていたのが分かった気がした。明確な悪意がないから赤色ではないけれど、全くの善人という訳でもない。これがこの世界の標準なのかもしれないけれど、ここまで弱っている人たちを歩かせるというのはどうか。もしかすると彼らは奴隷なのかもしれない。一度奴隷になってしまった人は奴隷から脱却する事はできるのだろうか。あまり質問しても不信感を持たせてしまうから出来ないけれど。



 ふと、小さな女の子と目が合った。かわいい。すごくかわいい。すごくすごくかわいい。


 痩せこけて顔も体も埃まみれで、伸び放題の髪ももつれてぐしゃぐしゃになってるけれど、見た事がないくらいかわいい。洋画に出て来るような海外の子役でもこんなにかわいい子はいなかった。歳は5歳くらいに見えるけれど、顔は既に整いまくっていて、あと数年もすれば周りの男子が放っておかないだろう。というか俺が放っておけない。いや俺はロリコンではない。単なる親心みたいなやつだ。本当だ。


「あの! その小さい子は奴隷なんですか? もうかなり弱ってるし、本当にその子に歩かせるんですか?」

「ああこいつは奴隷じゃないようですがね、置いといても弱って死んじまうだけだと思ってついでに乗せてたんでさあ」

「えっと、歩かせて連れて行っても死んじゃいそうなんですけど……もし許可してもらえるなら、俺が一旦預かるとかできませんか? 次に来ていただいた時に元気になってたらお返しするんで!」


 ドミニクさんと青い目の人と緑の目の人が驚いたような顔をして俺を見ている。本当にロリコンじゃないのに。女の子は元からごっそりと表情が抜け落ちていたので顔色は読めなかった。


「いやあそりゃあいいですがね、そいつは長く持ちませんぜ? この体なら大した働きもできんでしょうし、負担にしかならんでしょう。あっしも普段なら置いて行くくらい弱ってますからねぇ。たまたま荷台に空きがあったから乗せてただけですぜ?」

「じゃあ預かっていいって事ですか?」

「兄さん本気ですかい? まあいいですがね……」


 勢いで言ってしまった。けど小さな子を見捨てることは出来なかった。他の大人たちはまだ体力もありそうに見えたから、とりあえずはこの子だけでも何とかしたい。緑髪のおじさんとやりとりをしていると、熊を荷台に乗せ終わった青い目の人が助け舟を出してくれた。


「その子はいつ死んでもおかしくない状態でしょう。子供の速度で歩かせるよりも置いて行った方がいいんじゃないですか? 目の前で死なれても後味が悪いでしょう。それにこの熊、ブラッディベアですよ。既に一日は経過しているようですし、鮮度が気になりませんか、ドミニクさん?」

「あ、ああ……そうか。そうですな! ではこの子は一旦置いていくことにしましょう! さあさあ、素材が悪くならないうちに出発だ!」


 ドミニクさんが慌てて御者席に戻り、馬を出発させる。熊のお礼なのか、袋に入った食料らしきものを追加で手渡しで貰えた。荷台に乗っていた男女四人はこちらを見ようともせずに歩き出す。外観がボロボロのあばら家に住む怪しい男と過ごすよりも、この商人に付いて行った方がいいと判断したのだろう。それか、彼らが奴隷で逃げられないのかもしれない。


「ええと、俺はクリストフで、あちらの緑の目の男がエグモントです。また来ますのでその子をよろしくお願いしますね。あと、魔石は小さいものでも大銀貨数枚はします。魔石と銅貨は天秤にかけるまでもないんですよ」


 青い目のクリストフさんがウインクしながら種明かしをして、北へと歩いて行ってしまった。イケメンのウインクを受け取ってしまった。どうやら俺は最初のほうで試されていたらしいな。銀貨には大銀貨とかがあるのか。これは早めにこの世界の常識を学ばないといけないかもしれない。この女の子、一般常識知ってるかな。


 彼らが去った後には、遺品らしき服が数点とわずかな食料が入った袋、そしてボロボロの服を着た女の子が残された。


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