第3話 外の世界

 翌朝は空腹で目が覚めた。室内は煌々と電気が付いているので時間の感覚がない。扉を薄く開けると外が薄明るくなっていたので、たぶん明け方だと思う。空には依然として惑星のような物体が浮かんでいた。


 洗面台の下や収納スペースを漁ってみたが、出てきたのはシャンプーの詰め替えや掃除用具、洗濯洗剤など一般家庭の脱衣所に置いてあるものばかりだった。


 食べられそうなものといえば、長風呂用に置いてあった塩飴と、母が体の塩もみ用に大量購入していた塩だった。マッサージ用のスクラブとか調べて買えばいいのに、ケチったのか調べもせずに安価で買った料理用の塩で体をマッサージしていた。


 母の体に効果があったのかは分からないが、浴槽には抜群の効果を発揮したようで、この度無事にリフォーム工事が行われた。なんでも塩で浴槽が錆びたり傷んだりするらしい。


 新しい浴槽になってからは使っていなかったらしく、スーパーで1袋100円とかで売っている普通の塩が収納スペース奥に何袋も隠されていた。無駄遣いだと父に怒られないように隠したのだろう。でも水と塩があれば少しは生存率が上がりそうだ。


「塩だけじゃお腹いっぱいにならんし、怖いけど周りを見に行くか……」


 棚や洗濯機の中から着られそうな衣類を探して、スウェットの下に重ね着する。トイレのスリッパを履いて左手にはタブレット、右手には武器として剃刀を持って建物から出る。


 必死に収納スペースを探してみたのだが、剃刀以外に武器になりそうなものが見つからなかった。動物が飛び出してきたとして、混ぜるな危険の液体を悠長に混ぜているわけにもいかないし。かといって剃刀を使うためには接近しなければならないし、その時には既に俺の命はないだろうけど。


 ファンタジー小説とかだったら、意気揚々とモンスター退治だとかで森へ繰り出すのだろうけど、日本育ちの甘ったれた俺には無理そうだ。そもそも戦闘スキル持ってないし、ちゃんとした武器もないし、こんなもんだろう。戦闘じゃなくて銭湯スキルならあるけどな、ってやかましいわ。


「熊とウサギ、まだいるなぁ。ファンタジーな世界だとしたら、倒した瞬間キラキラって消えて魔石とかが残るんじゃないのか?」


 昨日の熊もウサギもそのままの位置にお亡くなりになったままだったので、雪をかけて少し隠してみた。紫の血とか熊の顔とか怖いし。足で雪をかけながら左手に持ったタブレットをふと見ると、画面が真っ暗になっている。


「あれ?! 電池切れ?! おいいぃタブレットさーん!」


 慌てて脱衣所に戻ると、一歩入った瞬間に画面が点灯した。一歩外に出てみると画面が消える。建物に入ると画面が表示される。


「もしかしてタブレットが使えるのって脱衣所内限定なのか……? そしたら探索めっちゃこわいじゃん……」


 歩きスマホならぬ歩きタブレットをして、赤い丸を避けながら探索するつもりでいたのに。このタブレットは浴槽設置というスキルに付いてくるオプションみたいな物なのかもしれない。タブレットが本体だと思っていたら浴槽が本体だった、みたいな。知らんけど。


「うう……じゃあタブレットさんはここで待っててくれよな。その代わりに洗濯カゴ持って行こう……」


 かくして、左手に洗濯カゴ、右手に剃刀を握りしめた上下スウェットのトイレスリッパを履く不審者が爆誕した。こんなのが日本の町を歩いていたら、通報されるかネットに動画を上げられるかしかない。両方される可能性が高い。


 剃刀とタブレットを洗濯カゴに入れて行動すればよかったと気づくのは、森に入ってからのことだった。昨夜に引き続いて気持ちが動転していたらしい。



 外側から脱衣所のあった建物を見てみると、外観は木造の小屋のようになっている。漫画などで貧しい農村地方の家を描いたらこうなりましたといった感じの、吹けば飛びそうな簡素な家。この外観であればあの熊が体当たりをして壊そうとしたのも頷ける。


 俺が建物から離れても、家ごと消えてしまう事はなかった。本当に良かった。安心したからこの脱衣所のある建物を、尊敬の念を込めて湯浅邸と呼ぼう。風呂トイレしかないし、邸宅とかいうレベルじゃないけど。



 森には雪が結構積もっていたが、木にはちらほらと木の実や果物が生っている。寒さに強い果物とかがあるのか、異世界だからかは分からない。果物に詳しくないので食べられるかどうか全く分からなかったが、とにかく手の届く範囲の木の実などを高速でもぎとって洗濯カゴへ突っ込んだ。その後はダッシュで湯浅邸に戻る。


 カゴの中身を出し終わると、タブレットを見て赤丸がない事を確認し、別の方向へまた採集しに行く。それを数度繰り返すと2日分くらいの食事量が集まった。一気に採りすぎても腐らせてしまうかもしれないし、今日はこの辺りで勘弁しておいてやろう。


「タブレットセンパイ、これ食べられますか? 鑑定とかできるタイプですか?」


 タブレットセンパイは反応してくれなかった。俺の鑑定はしてくれたのに、果物の鑑定はしてくれないらしい。


 どうしようかとマップ画面を改めて見てみると、俺がうろついた場所がマップに表示されるようになっていた。それまで黒くもやもやと見えなかった場所が緑色になっていて一目で森だと分かり、果物をもいだ木の辺りは小さく点々が付いていた。点の色は全て青色だった。俺が目視した範囲がマップに表示されているのだろうか。


 俺はいつ、このタブレットと同期したのだ。


「青色って事は危険がないって事なのか? よく分からんが……お腹すいたからちょっとだけ食べよう。これはイチジクっぽいしこっちは色は白いけど苺っぽいし、みかん……オレンジかな? たぶん食べられるだろ」


 洗面所で水洗いしてから齧りついてみる。果物たちは酸っぱかったけれど食べたことのある風味で、イメージは品種改良前の果物という感じだった。甘みがかなり少ない。だけど食べられない事はないし毒でもなさそうだし、お腹がすいてるからこれだって今の俺にはごちそうだ。


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