第2話 タブレット

 気を取り直して床に敷いたバスタオルの上に座り込む。何だかよく分からないけれど、今頼れるのはこのタブレットだけな気がした。画面にはマップが表示されたままで、画面のどこに触れてみてもマップアプリを閉じられない。拡大と縮小はできたが、目視できる範囲外はもやが掛かったように黒く塗りつぶされていて、中央の長方形の建物と黒い丸、そして灰色の丸が大きくなるか小さくなるかだけだった。


 この場所がどこなのか全くわからない。それに充電器に繋いでいないのにタブレットの電池はフルな状態で減らない。


「タブレットさん、反応して欲しいです……あっ、もしもここが異世界だとしたら、ステータスとか出せたりして? タブレットさん、俺のステータス見せて欲しいです」


 ステータスオープンっとドヤ顔で叫んで何も起こらなかった時の虚しさを考慮して、丁寧にお願いしてみた。すると俺の声に応えるように画面が切り替わり、ステータスらしき画面が表示される。


「おお凄い本当に出た! これ音声認識で操作できるのか! 確かにお風呂に入ってる時には音声のほうが便利だからなあ」


 画面に表示された俺のものらしきステータスを眺める。いよいよ異世界じみてきた。



 名前  湯浅ゆあさ 奏風かなた 

 性別  男

 年齢  27

 種族  人間

 職業  無職

 特技  無し

 趣味  読書 映画鑑賞 銭湯巡り 

 性格  内弁慶 楽観的

 スキル 言語翻訳 浴槽設置

 所持金 546,300円  0リブル



「レベルとかはないのか。ってか、やっつけで書いた履歴書みたいだな。性格の内弁慶と楽観的とは。はっきりと外面のいいバカだと書いてくれよ。……なにより無職って響きが悲しい。せめて休職中にしてほしかった……」


 所持金はメインバンクに預けている金額が表示されていた。本当はもう少しあったのだけれど、これから通夜やら葬式やらで物入りだと分かった時にごっそりおろしてしまった。暦の関係で通夜が伸びた時はこれ幸いと銀行に走ったけれど、こうなってみるとおろさずに貯金しておけばよかった。


 それよりもリブルというのがこの世界の通貨だろうか。


「円をリブルってのに変えたりできるのか? 円のままじゃ使えないだろう。それよりこれどうやって扱うんだろう? タブレットを持ってどこかに行けばいいのか?」


 独り言を呟くと、画面中央に【日本円をリブルに変換しますか?】と表示された。日本語表示で助かる。


「画面上で操作できるんだな。ネットバンクみたいなもんなんかな。レートはどうなってるんだ? うーんじゃあとりあえず端数の46,300円だけリブルに変換してみようか? あっ、でも現金もいるだろうから……そのうちの6,300円分だけ現物に換えれたりするんだろうか? ……って出来るわけないか」


 画面の表示が変わる。無茶を言った自覚はあるので、現金に換えるという要求は通らないだろうなと思いながらも画面を見つめていると、タブレットの上方からコインが飛び出してきた。


 所持金 500,000円 40,000リブル 【6,300リブル出金しました】


「えっ?! どっから出てきた?!」


 慌ててタブレットを持ち上げてみてみると、何もなかったはずのタブレットの淵にコインが通りそうな穴が開いていた。飛び出てきたコインは銀色のものが6枚と銅色のものが3枚ある。見覚えのないコインは全て使い古した感があった。


「へええ、ということは銀色のが1枚1,000リブルってことか。物価はどんなもんかわからんけど。でももう、これはどう考えても異世界だな」


 不思議と悲壮感はなかった。家族はいないし職もないし、友達は少しいるけど頻繁に連絡をとるのは片手で数えられるほどの人数だ。それよりも葬儀やら役所やら親戚やら就活やらの面倒くさいことの方が多すぎて、帰れないならもうこのままでいいやと思ってしまうほどだった。


 ここは家にしては狭すぎるけど、食料さえ何とかすれば水はあるし生き延びれそうだ。この脱衣所、消えないよな……?



「この特殊スキルの浴槽設置ってなんだろう。風呂場に浴槽をもう一つ増やしたり……模様替えできるって事?」


 俺が呟くと、またもや俺の声に応えるように画面が切り替わる。五年勤めたブラック企業にいた上役達よりも話が通じる。もしもこの世界に友達ができなければ、このタブレットさんに友達になってもらおう。



◆手湯・足湯    30,000リブル~

◆サウナ室     80,000リブル~

◆ユニットバス   200,000リブル~

◆家族風呂     400,000リブル~

◆露天風呂付客室  700,000リブル~

◆銭湯・温泉宿   3,000,000リブル~

◆スーパー銭湯   50,000,000リブル~

 


「設置というか、浴槽を買うってことか? それかこの建物に増設するって意味?

 ってかスーパー銭湯って買えるんだ……5,000万リブルってことは5,000万円って事だし、夢のまた夢だけどなぁ。いや、もしもかつてのジンバブエドルみたいなレートだったら……! まあそんなわけないか」


 呟きつつもメニューを眺める。高額なものにばかり目がいってしまうが、手頃な価格のものも見つけた。


「家族風呂とかなら今の貯金でギリ買えそうだな! たしか子供連れでも過ごせるように脱衣所が広かったりして、浴槽も何個かついてたりするって聞いたことがある」


 俺がさらに独り言を呟くと、またもや画面が切り替わる。声に出したからか、家族風呂の一覧画像が表示された。一言で家族風呂といっても種類があるらしく、画像検索結果のように画面が分割されてプレビューが表示される。


 小さな画像を見てみると、室内風呂だけのものから露天風呂が数個ついたものまで多種あり、脱衣所にも柔らかそうな長椅子が置いてあったり、休憩室なるものが付いていたりと多様だった。アメニティも充実しているように見える。


 浴槽の数が増えると購入金額が上がり、脱衣所も広くなったり豪華になるにつれて金額が上がっている。金額のうしろについている『~』は曲者だった。しかし家族風呂によくある時間制限とかはなさそうで、買い切りで使い放題のように見える。


「お金と食料さえ手に入れば、この家族風呂に一生住めそうだな。働いてた時だって、休日には温泉行ったりスーパー銭湯行ったりしかしてなかったし。異世界あるあるで娯楽はないかもしれないけど」


 仮にこのスーパー銭湯が買えたとしたら、テレビや漫画などはどうなってるんだろう。あの漫画の最新刊が出たとしたら読めるのだろうか。いやそれには作者が続きを書く必要があるか。いつ再開するんだあの漫画。


 行きつけだったスーパー銭湯には内部にレストランが併設されていたが、購入すればそのレストランも利用出来たりするのだろうか。


 知りたい事はたくさんあったけれど、とにかく大金が必要だという事は分かった。この世界が日本のように過ごしやすい安全な世界であればそれに従って暮らし、危険な世界であればこの浴槽設置とやらに逃げ込もう。既にあの熊が不穏な雰囲気を醸し出しているけど。


 とりあえずの目標を決めたら脳が安心したのか、また急激な眠気が襲ってきてしまい、バスタオルを敷いた上で眠りについた。


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