金の血

詠三日 海座

金の血

 赤い、赤い、どう見たって赤い。他の人と大差ない。わたしだってみんなのように、外に出て、買い物をして、人と食事をして、洗濯物を干したり、近所の子どもたちに絵本を読んで聞かせて、太陽の下で汗をかき、走り、叫び、笑い、恋をして、誰かを慕い、誰かを愛したい。

 どう見たって赤い、わたしの鮮血は、「金色の血液」と呼ばれ、「神の隠し子」と呼ばれ、この十二畳ばかりのガラスの中に、閉じ込められている。

 左腕を針で刺され、チューブが通り、わたしの血がそこを通って身体から出ていく。目線を上げると、スタンドで宙ぶらりんになっている輸血パックに、わたしの身体から出ていったものが滴っている。これが済むと、一時間休息をとった後、栄養の豊富な食事を十分にとり、軽い柔軟を行って入眠する。九十分以内に自分の意識で眠りにつけないと、入眠するための麻酔を投与される。人間として、身体的コンディションが常に最良に整えられた生活を、わたしはかれ六年間続けている。

 このガラスケースの中でわたしは、身体のどこに傷を作ることもなく、病に侵されることも、少しの飢えも、偏った習慣にも脅かされることがない。非常に健康的な身体を六年保ち続けている。わたしの意志などは他所に、わたしの体調のコンディションだけが、彼らの興味そのものである。ガラスの向こうの白衣の彼ら。

「Rh null型」の血液を持つ人間は、世界でも非常に珍しい。このうちのO型は「金の血液」と呼ばれ、どの血液型の人間にも輸血することができる。しかし、この「金の血液」を持つ人間には、同じ「Rh null型」のO型しか、輸血を受け付けられない。現在この類稀な血液型を持つ人間は、世界に三人しかいない。そのひとりが、わたしであった。

 今世界中で大規模な感染症が蔓延しており、このウイルスの持つ特性として、生物に致命的なのが、止血の際に分泌される血小板や、血漿を消滅させてしまうのであった。

 このウイルスに侵されると、激しい貧血や、傷ついた細胞の修復が滞ってしまう。ほんの少しの切り傷でも、血が流れ続け、止血するための生物がほとんど分泌されずに、最悪は多量出血に陥る。

 感染症にかかった人間が、何らかの事故で血を流してしまうと、早急な輸血が要されるようになった。常に病院への緊急搬送が絶えず、人工的に止血作用のある成分を投与するまで、患者の輸血が行われるようになった。病院が保管していた輸血も、この感染症の拡大を機に激変し、今や同じ血液型の人間同士が、もしもの時の命綱のようになっていた。

 ここで重宝されたのが、まさに「金の血液」である。どの血液型にも輸血できる魔法のような血液で、これを保持する世界でたった三人の人間を、人類は「神の隠し子」などとはやし立てて保護し、万が一事故などで出血してしまうことのないように隔離したうえで、より効率よく輸血ができるよう健康管理が施された。

 わたし以外に二人の人間が、この世界のどこかで、このようにガラスの箱で大切に隔離されているのだ。

 わたしが九歳の頃、例のウイルスが流行りだして、ほとんどの人間が、自分の正確な血液型を知るために採血を行った。もちろん当時のわたしや、わたしの家族も検査をしてもらうために病院に行った。そこでわたしが「金の血液」の保持者であることが明らかになった。わたしは、自身から誰かに許可を下す権限もないまま、政府からの厚意ということで、丁重に扱われ、月に一回の家族との会談、身体の健康面で不自由のない生活を約束された。週に一回の輸血のたびに、家族に大金が入るようになっている。

「終わりましたよ、林さん」

 腕のいい医師たちの管理のもと、毎回の輸血が行われているので、注射跡のようなものはこれまでにひとつもない。もし失敗して、針を刺した穴から血が出るようなことがあれば、医師たちも恐ろしくてたまらないだろう。

「じゃ、きっかり一時間、あまり動かないでいてね」

 無表情の白衣は去っていった。その白さといい、床も、天井も、ベッドにはじまる家具のひとつひとうも、ガラスの向こうのコンクリートの壁も、眩しいくらい白い。ここでは血の一滴でも零れればの見逃さないだろう。淡白な空間、淡白な白衣の人間たち、そんな彼らに飼われた淡白な生活を送るわたしもまた、淡白な人間になっていくのだ。なんの色もない。全部真っ白になるのだ。

「つまらない。なにが神の隠し子だ」

 わたしは独りごちた。輸血が終わって、ガラスの外の白衣たちは全員離席していた。ただのひとりの少女を見張っていても、なにも面白くないだろう。彼らは頻繁に管理の席を外す。忙しいのか、本当にここがつまらないのか、外食でもしに出かけているのか。

 椅子に深くもたれかかり、両手の指を合わせて、人差し指をぐるぐると回したりなどして、大きなため息をついた。

「本当に神様の子どもなら、ね?神様は助けに来てくれてもいいじゃない。こんなとこでずっと……」

 そう言って、今度は人差し指から、中指をぎこちなく違わせて、ぐるぐると戯れていると、床が途端に震えて、視界がぶれた。

 飛び上がって辺りを見回したが、床が揺れただけで、視界に入るものに異常はなかった。

「地震?」

 その時、目の前の壁のガラスにひびが入って外向きに弾けて割れた。銃弾すら通さない高圧ガラスだと聞いていた。数年ぶりの大きな感情の振れ幅に、思わず叫び声をあげて恐怖し、椅子から転げ落ちた。

「驚かすつもりはなかったんだよ」

 耳元で声が聞こえて、弾かれたように顔を上げた。真っ白なスーツに黒いネクタイを締めた細長い何かがそこにいた。顔は人の形こそしているが、目も鼻も口もない、のっぺらぼうだった。

 ただ二度目の悲鳴をあげずに、それに魅力されてしまったのは、これまでに見なかったほど白くて、白くて、白くて、目を細めたくらい純白で大きな翼が、それの背中から溢れ出して、その羽の先が、わたしの顔や身体を包むくらい大きかったのだ。

「わたしの隠し子だそうじゃないか。ずいぶん汚いところにいるねぇ、迎えに来たよ」

 ここまで真っ白な翼を持っていると、この部屋の白さなどまるで、黄ばみのようにしか思えないのだろうと、混乱する思考の片隅で考えていた。

「神様……?」

 神様の手が、ゆっくりとこちらへと伸びる。発光にも近いその白い肌が、わたしの頬へ触れようとしていた。

「―さん、林さん?」

 肩を叩かれて、わたしは目を覚ました。

「林さん?今寝ちゃうと、夜眠れなくなりますよ」

 白衣だった。白い翼などどこにも見受けられない。ガラスは壊れていなかった。わたしは椅子にかけたままだった。

「食事にしますよ」

 運ばれてきたのは彩り豊かで、品目も数多く、脂質やカロリー摂取量に管理が行き届いた健康的な夕食。白いトレイ、白い皿に乗せられていた。

 神様はいなかった。

 神様など、いないのだ。

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金の血 詠三日 海座 @Suirigu-u

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