EP.11「省けないもの」
蒸し暑い夜、繁華街のネオンの光は湿気で蜃気楼のように揺らいでいた。タクシーはのろのろと進み、会社員たちがよろよろと歩道を歩いてる。その隅で、ひとつの鉄像が佇んでいることに酔客たちは気づかない。
よく見るとその鉄像は珍しいものだった。特攻服を着た少女が地面に膝を着いている。 その鉄像は何かを求めているかのように見えた。両手を上に広げてものを乞うてるように通行人の目に映る。
それが実は〝死〟を求めていたものだと誰がわかるだろう。鉄像の顔は安堵に満ちていた。僕はこの像を見る度に胸が締め付けられる。
(あれでよかったんだろうか)
ことが終わった後で僕はずうっと考えている。あれをこうしていれば丸く収まったんじゃないか、こうこうこうしていれば誰も死ななかったんじゃないかって。
けれどあの時はああするしかなかった気もする。
彼女を殺めてしまった罪悪感と、苦しみから解放した満足感は、僕の中で危ういバランスを保っていた。ただそれは空き缶ひとつで傾く危うい平衡だ。
僕は確かに一歩踏み出してしまっていた。気づかないうちに現実から一歩踏み外してしまってる。都心で、こうやって鉄仮面をつけて人を待っていること自体、ちょっとネジが外れてしまっていると自分でも笑ってしまうぐらいだ。
「よう。待たせたな二代目」
「リサイクル仮面でいい」
その男は白シャツにサスペンダー、頭にはハンチング帽と日本の都心には似合わない格好をしていた。それはイギリスとかフランスとかの草原や森林の中がお似合いで、このコンクリートと鉄に覆われたネオンの下では浮いている。ただ、手にしたタバコだけが風景に馴染んでいた。
〝帽子の血盟団〟の首領、トミーはそのトレードマークである帽子を脱いで、鉄像に、柔原水子だったものに頭を下げた。
「新宿もこれで落ち着いたな」
トミーの言う通り、新宿は第二新宿帝国として復活し、無駄な血が流れなくなった。今では火糸先輩を中心としてチームはまとまっている。
「でも裏ではお前が牛耳ってるんだろう?」
「ピンチのときだけ手助けするつもりさ。あとは火糸に任せてる」
「ってことはだ、お前は火糸の身近にいるってことだ。同じ学校――再来学園か」
「詮索無用だ。戦うのなら今度は全力で戦ってやる」
「いやいや、今は新宿と戦争する気はねえよ。彼女に免じて」
彼も事情を知っている(調べたのだろう)ようだった。
レディースチーム女王華を率いて東京を荒らした柔原水子は元凶ではなく、むしろ被害者といえる。
ならばその元凶というのは誰かというと、僕のよく知る者だった。
「トオルは、手板通はどうなった?」
僕はクラスメイトだった者の行方を尋ねた。
「東京を出てもらった。もう二度とここには戻らせない」
「しかし、どうして庇ったんだ? 本当ならここで土下座ぐらいしてもらわなきゃ気が済まない」
「親戚なのさ」
言われても僕はさして驚かなかった。いや、納得した部分が大きい。確かにそうでなければトオルの家の前で血盟団が待機していた理由が薄い。
「新宿帝国初代は柔原とトオルが付き合うのを許さなかった。強引に別れさせた」
「その時にはもう彼女は妊娠していたってわけか……」
「ああ。血盟団としても新宿帝国とモメるわけにゃいけねえ。トオルの身柄を引き取ってってわけよ」
「無理やりか?」
トミーは答えなかった。
トオルも彼女と引き離されたとき、本当の本当に彼女と一緒にやっていく気があるのなら、足一本失ってでも彼女のもとへ戻ったはずだった。おそらく彼は自ら血盟団に庇護を求めたのだろう。
(なんだかなぁ)
友情なんてどうでもよくなる話だった。クラスメイトを失ったことより、なにか大事なものを根っこから引っこ抜かれた気がした。それはたぶん彼女の喪失の1/100にも満たないものだろうけど。
僕はもう一度彼女を見た。鉄像は喋らない。しかし、その台座には花が供えられていた。
大きなヒマワリと小さなひまわり。
(きっと花ちゃんだろう)
この像の中に二つの魂が眠っていることを知っている人は限られている。ハナちゃんもまた、許しを求めてここを訪れているに違いない。
ただ、鉄像はふたつの太陽に囲まれてもまだ足りないものを求めているかのように僕の目には映った。
「彼女の遺言を伝えてほしい」
と、僕はトミーに言ったが彼は吸い殻をポイ捨てして断ってきた。
「女のいうことはだいたい決まってる」
「…………」
「それに、あいつには言葉よりも身体に痛いもののほうがいい」
僕はため息を吐いた。たしかにそうかもしれないと思って。
そしてもう一人、話をしなければならない人がいた。そのだいたい決まっていることを僕はもう一度聞きにいかなければない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
東京都心にある学園〝再来学園〟は夏休みの真っただ中にあった。運動場にはこのくそ暑いのに運動するアンチ省エネ軍団、青春真っ盛りズがいたが、校舎に人影はなかった。
ただ、人はいないがロボはいた。彼女は1年365日教室にいる。
「よお!」
僕はメカ子に声をかけた。わざと声を明るくして。
返事はなかった。わざと無視してるのか、本当にそこにいないのかはわからない。
僕は彼女の机の上にスマホを置いた。それはトオルを探すために彼女から譲り受けたものだ。
「助かったよ。ありがとな」
それだけ告げて僕は背を向けた。実際のところ、僕は彼女に会いたくなかった。会えば事の経緯を説明しなければならない。トオルという彼氏が何をしていたのか話さなければならない。
「そろそろ来るころだと思ってた」
それはスピーカーからの音ではなく生の音だった。
「というか、このスマホはGPSついてるからすぐわかるの」
振り返ると梨本操が座っていた。珍しく、学校指定の制服を着ており、大きな胸が学園の指定には収まり切れないようだった。隙間から見える肌は汗で輝いて見えた。
「相変わらず、すごいっすね」
「なにが?」
操は大きな胸を傾けて言った。ほんとうにわからないらしい。その天然ぶりが、妙に愛おしく、そして僕を悲しくさせた。
戦いの最中、僕はスマホを起動させ続けていた。彼女のサポートが必要だったからだ。しかしいざ、柔原水子との闘いになった際、そのスマホが盗聴器の役割も果たしてしまっていた。
操は浮気されていたこと、しかも相手が妊娠していることも知っているのだ。
「どっちが本命だったのかなぁ」
「そりゃあ……」
実際に肌を重ねて子作りまでしていた柔原とオンラインで付き合ってた操では、正直なところ男として優遇していた女性は明らかだった。
「でしょうね」
彼女は自虐的にほほ笑んだ。目元が赤い。きっとさっきまで泣いていたんだろう。僕はいたたまれなくなった。
操は本当にトオルが好きだったろうと思った。
リモートで恋愛するのはエコだ。地球に優しい。ただ、省くことのできないものが存在してる。それは僕らの欲だ。健全な高校生が打ち負かされるほどの、純粋な僕らの理想をくだく欲がある。エコしたって僕らの股間から精子はなくなってくれない。
「でもさ、ほんとの梨本はなんていうか、うーん、エロい!」
「は?」
「いや、魅力的ってこと! 顔はもともとかわいいと思ってたけど、そのロリ顔に巨乳は卑怯だぜマジ」
「巨乳……」
「巨乳飛び越えて爆乳だ」
「爆乳て……あんたそれで慰めてるつもり?」
「う………」
「あははは、もう、バカみたい」
彼女はひとしきり笑ってから「ねえ」と言った。
「ちょっと……抱きしめてくんない?」
「え、だってここ学校、いや、俺彼氏じゃないし」
「いいから! ほらこっち来て!」
言われるがままに僕は彼女に近づき、両手をまわした。女性の身体は思ったよりも細くって腕の中にすっぽりと入る。そこから輪を縮めれずにいると、トンと梨本のほうから僕に身体を預けてきた。
「心臓がばくばく言ってる」
「そ、そりゃ、そうなるって」
「男子の胸って硬いんだね……」
と言って梨本は僕の胸を頭突いた。硬さを試しているかのようだった。
さすがに文句を言ってやろうと僕は口を開いたが、彼女の肩が震えているのに気付いて止めた。
「わたし頑張ったの。初めての彼氏だったから本当に私がんばったの」
「梨本……」
「江古田に言われるまでもなく、こんな関係ろくに続かないってわかってたんだ。でも、ちょっと待って。いつか本当にいっっしょにデートしたくって、でも、病気がぜんぜんよくならなくて――」
「わかってる。もういいよ」
僕は震える彼女の頭を撫でた。そこにはもう緊張とか、性欲とかいったものは消えていた。生暖かい涙が僕のシャツを遠慮なく濡らしてゆく。嗚咽が漏れた。それは幼児のように次第に大きくなっていった。
操を抱きしめているうちに、僕の中でも何かが溢れてきた。緊張の糸で封をしていたものが切れたみたいに、ふたをしてたものが出てくる。
友人に裏切られ、好きな人に罵倒され、憐れむべき女性を手にかけたこと。
血の赤子の悲鳴。
股間から血を滴らせる女性。
鉄の少女の像。
あれから夢で見るようになってしまった録画されたかのような映像を、肉体のやわらかさが乳白色に塗り染めてゆくようだった。
身体が弛緩する。蝉の声が聞こえる。
ミーンミンミンミン
(なんだか、ひさしぶりに蝉の声を聴いた気がする……)
僕は目を閉じて、そのぬくもりに身を委ねた。
きっとこれは省エネなんかじゃ手に入らないもの。
逆に、エネルギーを無駄に無駄に費やさなければ得られないものだ。
そして僕らはそれがないと生きていけないのだ。
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