EP.10「鳳凰樹の下で」

 

 柔原水子による被害は拡大していた。なにしろ、飛び散った肉片から赤子が生まれ、さらにそれが飛び散ってまた赤子が生まれてくる。


 被害は遠巻きに見物していた群衆にまで及んだ。


 赤子に足をつかまれてそのまま足をどこかへもっていかれた会社員の悲鳴が、巨大な赤ん坊に飲み込まれた大学生たちの絶叫が聞こえた。


 すべての血は彼女の股間から滴っている。


「そいつをかばってぇ、あなたまでわたしを裏切るのぉ? 花ぁ」

「庇ってなんかいない。わたしは裏切らないよ。お願い。もうやめて!」

「嘘よ嘘よ嘘よぉ。アイツもそう言って裏切ったのよぅ」


 柔原の声は粘っていった。まるで、自分にまとわりついている子供たちと同じ濃度になろうとするかのように。


「彼だってぇ、ずっと一緒にいてくれるっていったのにぃ。子供ができたら責任とるっていったのにぃ」

「男子は口先だけなのよ。水子は悪くない。」

「子供をおろしたら一緒になってくれるっていったのにぃ! ああ! わたしの赤ちゃん! 愛していたのにぃ!」

 ハナちゃんは説得を諦めなかったが、だんだんと会話が通じなくなっていった。

「名前だって決めてたのよぅ。男だったら〇〇。女の子だったら△△にしようってぇ」


 花ちゃんはさらに何かを言おうとしたけれど、言葉は出ずに、彼女はグっと口元を手で覆った。しかし、口から溢れた吐しゃ物は手から漏れ出てしまった。

 ゲホッゲホッと彼女は咽せた。

「山川花!」

 僕は彼女を抱きかかえると、鉄の台座をつくって空へ逃れた。

「大丈夫か?」

 急に嘔吐したので攻撃を受けたのかと僕は勘違いした。見たところ傷はつけられていないが、彼女の眼鏡は曇っている。その下にはツゥーと涙が流れていた。



「ごめん、ごめん――。なにもしてあげれなかった。辛いね。苦しいね。ごめんなさい、ごめんなさい」



 彼女は小声で謝っていた。

 酸っぱい匂いがしたが、僕はかまわず彼女を胸に引き寄せた。

 しくしくと涙の音が聞こえた。


 僕には柔原の気持ちがわからなかった。女性と愛し合うことがわからなかった。子供をつくる喜びがわからなかった。胎内で日に日に育ってゆく生命の喜びがわからなかった。そして膨らんでくるお腹からある日突然、その鼓動が消えた喪失感もわからなかった。


(わからない――から戦える)


 心にふたをしなければならなかった。けれど塞がなければならないと感じているのなら本当はわかっていたのかもしれない。好きな人がいなくなることも。その人と育むはずだった命をなくした悲しみにも。人間にはそれだけの力が、きっとある。


でも、感じないようにしなければいけなかった。今はこの胸の中で泣いている女性のことだけ考えなきゃいけない。


「鉄壁・円!」


 地面に手をついて僕は鉄の壁をこしらえる。それは柔原と赤子たちをぐるりと囲んで閉じ込めた。


「エコエコアサマシク」


 そう。浅ましいんだ。僕らは。

 僕は再び灼熱を呼んだ。


「鉄火!」


 今度は

 巨大な筒からはゆっくりと溶けた鉄が流れ出る。それは鉄の囲いの中でゆっくりと赤い血を侵略してゆく。血煙が立つ。そして乳児の悲鳴が大環状線を震わせた。


 灼熱が柔原水子の周りを囲んでいた。

 柔原水子――彼女は何を思ったんだろう?

 

 僕には彼女のほとんどがわからなかった。

 ただ、絶望的な熱に囲まれたとき、


「あっ」


 僕は驚いた。体が震えるほどに。

 彼女は微笑んでいたんだ。今から死ぬっていうときに。赤い髪の先に引火して、その熱さを快く思っている。


「ありがとう」


 髪を燃やしながら、彼女は言った。いや、聞こえるはずがない。けれど、僕には確かにそう、聞こえたんだ。


 僕の頭が真っ白になった。

なぜか? わからない。

 いや、わらかないふりをしている。わかってはいけないんだ。

 僕は考えるのを止めた。手を止めた。魔法を止めた。



「炎を吸って咲け、鳳凰樹!」


 細く長い木が、炎を養分とするかのように赤い色を地面から吸って、紅の花を咲かせた。それは何本も咲いて、鉄の壁の内側を彩った。


 それはもちろんハナちゃんの魔法だった。

 突然頭上に咲いた花々に、柔原は呆気にとられたようだった。


「きれいきれいだぁね……」


 ハハハハハハと急に笑い始めた。


「どうして殺して、くれないの? もう、どうでもいいの。こんな世界なんかいたくないの。私が死ぬか、この世界が無くなるか。わかるでしょう? やってちょうだいよ」


 血だまりの中、柔原はへたりこんで懇願した。

 僕は哀しかった。なぜかわからない。歯を食いしばっていないと泣いてしまいそうだった。

 辛いのだろう。その100分の1ぐらいの辛さがほんの少しだけ僕に伝わる。彼女はその100倍しんどいのだろう。かわいそうに。

 

「お願い。殺さないで……」

「しかし――」

「わかってる。わかってるけれど、私は水子を見殺しにできないよ……」

「彼女は死にたがってる」

「それでも――っ」

「僕は彼女を楽にしてあげたい」

「…………」


 僕はハナちゃんを押しのけて彼女へと近づいた。

「柔原水子。僕はテツオじゃない。山川花の幼馴染みなんだ」

 勘違いしてまた攻撃されてはたまらない。僕は小声で告げた。

「お名前は?」

「江古田草」

「いい名前ね。ありがとうね。江古田草くん」

 そう言って彼女はニコっと微笑んだ。その笑顔は今から人を殺す僕を少し楽にしてくれた。と同時に、本当にこれでいいのかという気持ちが沸いてくる。


 彼女はそれを見越したのか、僕の手を強く掴んだ。


「迷わないで。お願い」

「わかった。今楽にしてあげる。最後に言いたいことはあるかい」

「トオルに、手板通に伝えて」


 人間の中にも鉄は存在している。僕らはそれを鉄分として毎日摂っている。僕は彼女の手をとって、それを増幅させた。


「鉄魔法。鉄血」


 手が赤銅色に蝕まれてゆく。喋れる時間はあまりない。


「あの世で子供と待ってる」


 それが彼女の遺言だった。


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