EP.8「夕暮れ花」


 首都の真ん中を流れる河。都心の汚れを救い取って僕らの住む街へたどり着くころにはすっかり汚染されている。


 水面は幅広く夕暮れを反射してる。赤光を反射しているのは油だ。


 でも僕はそれが嫌いじゃなかった。



 夕暮れの赤色を反射する油の水面も

 遠くで煙を吐く工場群も

 空き缶を山ほど積んだホームレスの自転車の蛇行も




 すべてが赤く染まっていた。



 そして、僕はいつものように土手に座る。


 おしりに草のつぶれる感触があった。左手には鉄橋が見える。帰宅するサラリーマンの影が電車のスピードで僕の前を横切ってゆく。


 影が過ぎると代わりにエコなシルエットが僕のそばに佇んでいた。


「どうだった?」


と、聞くけれど彼女はたぶんぜんぶわかっているような気がした。


「べっつに……」

「上手くいったのね、そう。良かった」


 ハナちゃんは言って隣に座った。

 話が噛み合っていないようで僕らは理解できてる。梨本操とは真逆だった。


 河川敷は僕らの家のちょうど中間地点だ。


 なんとはなしに、何か話したいとき、ここにくれば会える予感がある。



 お互いに。



「山川先輩」

と、ここでは言ってはいけない。

「山川さん」

と、ここでは言ってはいけない。



 ここでは

 そういうルールが暗黙のうちに決められているみたいに。




 ハナちゃんがここを好きかどうかは別だけれども。


 となりに腰を下ろしたハナちゃんが、ちょっと僕の方へお尻をずらした。

 ティッシュひと箱ぶんぐらいをあけて、僕と並んで座る。

 僕の心臓の鼓動はその距離が縮まるほどに早く打った。


 ハナちゃんはどう思っていたんだろう?


 おそらくきっと、ぜんぜんちがうものを見ていたに違いない。


「わたしはね……」


 彼女は言う。遠くの空ではなく、遠くの煙突を見ながら。


「この赤い世界を見ていると死にたくなるの」


「なんでさ」


「だって、油まみれの河は赤いし、コスモスの白い花だって赤くなっちゃうし、赤トンボは……あ、もともと赤いか! 工場の影もなんか恰好よく見えちゃうし」


「別に恰好いいならそれでいいじゃん…」


「よくないわよ」


「なんでさ?」


「もともとキレイだったものも、わたしたちが汚した汚いものもぜんぶ赤色で一緒になっちゃう気がするの」


「ぼくはこの景色が嫌いじゃないよ」


「そう? 血の色みたいじゃない?」


「だからだよ」


「血が見たいってこと?」


 僕は首をふってこたえた。


「血みたいな赤色を見てると、生きてるんだなって思う」


「それって殺人鬼みたい」


彼女は笑った。

けど、僕は笑えなかった。




なぜなら僕は未来にそうなるだからだ。





 いや、生まれてからずっとそうだったからだ。魂はそう宿命づけられている。 あるいは、宿命づけられたその性格が〝魂〟と命名されているのかもしれない。




「僕が本当に人を殺しても、ハナちゃんは口をきいてくれる?」


「ソウちゃんはソウちゃんだよ。ずっと」


 その言葉はいつも、僕と、僕らを包む全ての、隙間を埋めてくれた。


 僕は感謝せずにはいられなかった。



 ここに今、いられること。


 ハナちゃんがここにいることに。




 だから僕は生きている。

 生きていられた。





 けれど彼女は。。。ハナちゃんは。。。




「ねえ、いつか私が人間を殺そうとしたらソウちゃん、私を殺してくれる?」


 電車が通り過ぎていった。


 ハナちゃんのくっきりした顔の陰影が、白に、黒に色移る。


 ぼくはこたえることができなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る