時間稼ぎのワトソンと感情の真偽 ②



「悪いけど……警察が来るまで、君を閉じ込めさせてもらうよ」


 目の前のスタッフが有無を言わさない口調で言い放った。



 ――――事件が起きてから、出演者とスタッフは全員同じ部屋で待機することになった。

 それも警察が到着するまでの間という話だったのだが……。


 なんと、肝心の警察の到着が大幅に遅れる見込みとなったのだ。


 ここは東北でも有数の降雪量を誇るA県。

 雪の勢いが突如強まり、とうとう誰も山深い場所に位置するこの建物まで辿り着けなくなったのだ。


 そんな中、俺がスタッフにこっそりと呼び出されたのはつい先程のことだった。


 俺を連れ出した眼鏡をかけた男性スタッフ……この人は、俺とディレクターの死体が居合わせた場面を目撃した人だ。


 ろくでもないことになる。

 今まで連続殺人を防いできた経験からそんな直感めいた確信をもっていた。


 俺は先生に耳打ちをした。


「先生……まずいかもしれない。時間を稼ぐから、推理を頼む」


「もちろん。もう始めてますよ。さあ、時間を稼いでくるのです!」


 そうして、部屋の隅に置かれたテーブルに案内された俺は二人のスタッフと対面することになったのだ。


 一人は目撃者の眼鏡の男性スタッフ。

 そして、もう一人は俺に話しかけてきたお調子者の女性スタッフ……確か、加島さんだったはず。


 そうして、俺を別室に閉じ込めるという案を聞いたというわけだ。


 皆の心配を考えてとか、食事はちゃんと持っていくとか、色々と言っているがそこはどうでもいい。


 一人を別室に置いて、そのために他の人員を割く……。

 如何にも死が近づいてきそうなシチュエーションだ。


 先生が連続殺人の予兆を感じた以上は、これを阻止しないと何が起こるのか分からない。




「俺を……別室に?」

「そうだね。これは番組スタッフとしての判断だ。了承してもらいたい」


 輪島は時間を稼ぐべく、思考を始めた。


 何も彼らは、心の底から俺を犯人だと思っているわけではない。


 だが、非常に強い思い込みバイアスがかかってしまっているのだ。


 まず、一つに人数と所属による優位性。

『番組スタッフ』という共通の肩書を持っている彼らは、自身の意見が正しいと思い込みやすくなる。

 共通の肩書を持つと、例え意見が間違っていたとしても、否定されるのは自身ではなくあくまでも『番組スタッフ』という集団だ。

 いわば、責任のダメージコントロールが為されている状態なのだ。


 そして、もう一つ厄介なのがレッテル張り。

 彼らは、今日の俺とディレクターのやり取りを見ているはずだ。

 あの時、俺はつい感情的な物言いをしてしまった。

 今の事態が起きてから、彼らにはそれが実際よりも脚色された記憶として頭の中で再生されているはずだ。


 人間誰もが多かれ少なかれ起こしている思い込みだが……異常事態ではそれが一層に強まる。

 彼らにとって最大の懸念である俺が下手な行動を起こすと、思い込みは強まって一直線に終わりゲームオーバー




 ――――俺に張られている『ディレクターとの不仲』というレッテルは今更解消されない。


 崩すなら人数と所属の優位性の方だ。


「そんなのおかしいですよ!!」


 声のボリュームを大きくして、右手で机を軽く叩く。

 ……と同時に、彼らの反応を観察する。


 眼鏡の男性スタッフ……名前が分からないので、眼鏡さんとしよう。

 彼は一瞬呆気に取られていたが、すぐに肩をいからせて腰に両手を置いた。


 すぐ横で成り行きを見ていた加島さん。

 彼女は、両腕を身体の前で組んで、こちらから目線を逸らした。


 そして、部屋にいる人々からの視線が集まるのを確認した。


 これでいい。

 他人の視線があると、思考の柔軟性がそこなわれやすくなる。


「あの、一ついいですか?」


 さあ、考えろ。

 思考を回せ。

『番組スタッフ』という立場にいる彼らを引き摺り下ろすんだ。



 俺は、加島さんの目を見て、声をかける。


「加島さん……どうして、俺を閉じこめることにしたんですか?」


「え……? その……ディレクターの死体と一緒にいたって彼が……」


 俺と目を合わせようとしない。責任転嫁のような発言。昼間との態度の違い。

 彼女の一挙一動を見逃さない。


「加島さんは、ディレクターと一緒にいた俺が犯人だと思うんですね?」


 彼女が言葉を言い終える前に口を挟む。


「あ、いやそこまでは……」


 ……はっきりとしないな。

 主張をしたくないのか? それは何故だ?


「ちょっといいかな? はっきりと言うよ。僕は君を疑ってるんだ。君とディレクターを見たのは僕だからね」


 眼鏡さんが俺と加島さんとの会話に割り込んでくる。


「僕がやってない以上は、どう見ても君が犯人である可能性が高いじゃないか。だから、警察が来るまでは別室にいてもらおうってだけだ」


 その理論なら、俺がやってないと主張してしまえばそれなりに時間は稼げそうだが……。

 今はまだその時ではない。

 それを言ってしまえば、気分を逆立てて無理やりに閉じ込められるリスクがある。

 今、ここで必要なのはあくまでも先生が犯人に辿り着くまでの時間稼ぎだ。


 俺は、敢えて眼鏡さんを無視して再度加島さんに問いかける。


「彼はこう言ってますが……加島さんは、どう思いますか?」


「え……と……」


 彼女は俺と眼鏡さんの顔をちらりと見て、そのまま視線を宙に泳がせた。

 余程自分の意見が言いたくないようだ。

 そんなに自信がないのか? それとも眼鏡さんと何か特別な関係があるのか?

 いや、違うか。彼女は、ほとんど初対面の俺にも恐れている。


 きっと、怖いんだ。

 自分の意見が否定されること、それで他人の感情が害されることが。


 ――――俺は、加島さんを読み解く鍵は『感情』だと設定した。

 自身が感じる感情に素直で、他人の感情も人一倍気にする。

 最初に俺を気にかけてくれたように本質的には優しく、世話焼きなのだろう。

 だが……周囲の感情を見て行動するということは、裏を返せば自分の行動を他人に依存しているということ。

 負の感情に満ちた今この場で、彼女は自分自身を出せないでいる。


 つまり彼女は、自分を守るために自分の意見を放棄しているのかもしれない。


「加島さん……しっかりしてくれ。番組として決めたことだろ?」


 眼鏡さんがはっきりとしない態度の加島さんに苦言を呈す。


 なるほどな。

 俺を別室に閉じ込める……、これを提案してきたのは眼鏡さんだ。

 そして、先程からの強気な態度……早く終わらせたいというような物言い……。


 彼は、恐れている可能性が高い。

 彼からすれば殺人犯かもしれない俺に、そして自分自身が疑われることに。


 そもそも『番組スタッフ』で決めたと言ってるが、実際には加島さんと二人で決めたんじゃないか?

 ……もっと言えば、加島さんは意見を放棄している。

 それなら、そこに付け入る隙がありそうだ。


「あの……本当に俺を閉じ込めるってお二人で決めたんですか?」


「……何が言いたいのかな?」


「俺は第一発見者かもしれませんが、あなたもそれに近い発見者です。立場は似てるのに、なんでそこまで俺だけ疑われるんですか?」


「なっ……!」


 眼鏡さんの目が吊り上がる。

 それはそうだろう、暗にあなたも犯人候補ですよね? と言ったようなものだ。


 そして、やはり加島さんは黙っている。

 俺の見立てはさほど外れてないだろう。

 やはり彼女は恐れを前面に出して自分を守っている。

 それなら、彼女の持つ正しい感情は彼女の内面でくすぶっている。

 そいつを引き出すことが出来れば……!


「僕たちはこの番組のスタッフだ。頼むから従ってくれ。決して悪いようにはしないから」


「でも、加島さんは違う意見だったんじゃないんですか? これは番組としての提案ではない。あなたの個人的な提案です」


 今までは『番組スタッフ』という集団からの提案だった。

 だが、Aさん個人の提案となると、これは一気に力を失う。

 俺をコントロールするだけの妥当性は失われるのだ。


「警察が来るまでの間だけだ。遅くとも朝には着くだろう」

「それなら皆でこの部屋にいればいいじゃないですか。俺もあなたも同じ部屋に」


 ――――眼鏡さんは恐らく『意見』に重きを置くタイプだ。

 事実と意見を吟味して、自身の行動でより良い方向へと物事を向かわせようとする。

 だからこそ、怒りつつも、急ぎつつも、俺の意見をちゃんと聞くだけは聞いてくれている。

 平時であれば、異常事態でなければ、彼は俺の意見も取り入れてより良い提案を考えてくれるはずだ。

 だが、今は違う。


 ……加島さんの裏切りのような思考放棄に、そして後ろから感じる視線に、追い立てられて後に引けなくなってるのだ。


「僕は君のことも思って言ってるんだ。嫌だろう、皆に疑われて一夜を過ごすのは」

「別にいいですよ。何度も言いますが、あなただって、同じはずです。加島さんもそう思うでしょう?」


 意見を堂々巡りさせる。

 そして徐々に声のボリュームを上げていく。


「加島さんは関係ないだろ!! 何故分からないんだ! だったら僕と一緒に別室で過ごすのならいいのか!?」

「そうじゃないでしょう。それをやるなら、皆で一緒にここにいればいいだけです。それこそ警察が来るまでの間だけでしょう?」


 眼鏡さんは自分の意見を少しでも通そうと躍起やっきになってきている。

 そろそろのはずだ……。

 絶え間ないストレス、無力感、期待されていないこと。

 俺の読みが正しければ……そろそろ加島さんが、


「くそっ! だったらっ……!」


 眼鏡さんが何かを言いかけた時だった。

 机を両手で叩いて、加島さんが立ち上がった。


「いい加減にしてっ!!!」


 場に響き渡る悲鳴のような叫び。

 加島さんの怒りが爆発したのだ。


「ディレクター、死んじゃったのよ!? もういないのよ!? 私達は何を言い争ってるの!?」


「か、加島さん……?」


金目かなめ君! 私のことバカだと思ってる!?」


「い、いやそんなことは……」


「じゃあ、いつもみたいにちゃんと話を聞いてよ! 私、こんなの……嫌だよ……!」


 彼女はそのまま子供のようにその場で泣き始めた。

 眼鏡さん……いや、金目さんはどうしてよいか分からずに、手を空中で所在なさげに動かしている。


「金目さん、加島さんもこう言って……」


「輪島君! あなたも変に挑発するのはやめなさい!」


「……すみません」


 しまった……俺もそれなりに頭が沸騰していたようだ。



 部屋には加島さんの嗚咽だけが聞こえる。

 さっきまでの剣幕が嘘のように場は落ち着いた。

 そして、そのまま時間は過ぎていく……。



「おほん!」


 わざとらしい咳払い。

 長身でスーツのやせぎすの男が唐突に立ち上がる。


「さ、ここにお集まりの皆さん。私の話を聞いてくれますか?」


 歩夢先生の推理劇場が始まったのだ。



 先生の推理を聞きながら、ぼんやりと考える。


 さっきの二人……。

『感情』の彼女は、人を傷つけかねない怒りを隠すために、恐れをあえて表に出していた。

『意見』の彼は、自分の恐れを見抜かれないように、怒りを他人にぶつけていた。


 自分の本当の感情を認めたくなくて、偽の感情のレッテルを貼る。

 これはきっと、誰しもが無意識にやっている原初のレッテル貼りだろう。


 それじゃあ、俺はどうなんだろう。


 前回の事件以来、俺はどこか先生のことを疑っている。

 ……それはただ推理がどこかおかしいと思ってのことなんだろうか。


 先生はどうして俺を相棒にしてるのか、どうして連続殺人を止めたいのか、何故推理出来るのか。

 そんな知らないことばかりで不安な心を、疑うことで誤魔化してるだけじゃないだろうか?


 本当の俺は……もっと知りたいと思ってるのかもしれない。


 この自称『ホームズ』の謎の男を。

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