時間稼ぎのワトソンと感情の真偽

時間稼ぎのワトソンと感情の真偽 ①


 鍵がかけられた扉の向こうから音がする。


 父と母の悲鳴。

 ついで、何かが倒れる音。


 俺は、目の前のドアノブに手を伸ばすが……。


 何かに押さえつけられているように手足は動かない。


(……めろ……、や……めろ……!)


 それならと、必死に言葉を吐き出すが、音にはならずに口が動くだけだ。


 それでも無理やりに喉をこじ開ける。


「やめろって言ってんだよっ!!!」


 声に応えたかのように、扉はゆっくりと開かれていく。


 そして目に飛び込んできた光景は……。


 首から大量に出血して倒れ伏している両親の姿だった。



「うわあああああああああああああああ!!!!!」


 輪島 巽わじま たつみは自身の叫びで目を覚ました。

 見覚えのある薄暗い部屋の光景で、ここが自分の部屋で、自分のベッドの上だと気付く。


「……くそっ」


 幼き日の記憶。

 父と母を失った事件。

 それは、今も心の底のよどみとなって俺の心に纏わりついている。


 汗で重みを増した寝間着が、身体に引っ付いて気持ちが悪い。

 俺は、それを洗濯機に投げ捨ててそのままシャワーを浴びる。



 汗だけ軽く流した後に、いつものパーカー姿になり、下の階へと向かった。



 階段を降り切って、鍵付きの分厚い扉を開ける。

 輪島が手探りで壁のスイッチを押し込むと、暖色の光がふわっと室内を照らす。

 受付近くの木目調の壁に刻まれている文字が光を反射して目に入る。


『輪島メンタルクリニック』


 俺の実家であり、父と母の仕事場でもあった、この場所の名前だ。


 そのまま文字の横を通り抜けて、診察室に入る。

 本棚からいくつかの専門書を取り出して、待合室に戻り、ソファに腰かけた。


「こいつはどこまで読んだっけな……」


 本をパラパラとめくり、ほどなくしてお目当てのページを見つけて、そのまま読みふける。



 この家に戻ってきてから、4年……。

 あるじを失い、誰も訪れなくなったこの待合室が俺の定位置と化していた。


 本を読み進めていく。

 所々についている付箋と注釈が、父の痕跡を感じさせる。

 眼を休ませようと横に視線を動かせば、大きな熊の人形が目に入る。


 それだけではない。

 色とりどりの絵本に、どこかとぼけた印象の調度品……この部屋には母の匂いセンスが染みついている。


 俺がこの待合室を定位置にした理由は単純だ。


 ここにいれば、事件の記憶を風化させずに済むから。

 ただ……それだけだ。



 静寂を保つ空間に間の抜けた電子音が響いた。

 スマートフォンのメッセージ音だ。


 内容を確認すると……。


『東北、A県A市で連続殺人の予兆あります。2週間後です。遠出なので、今日、時間あれば予定、立てませんか』


 そのたどたどしいメッセージの送り主は『四六 歩夢しろく あゆむ』。

 何故か連続殺人を感じ取れる自称『ホームズ』の怪しい男で、俺と一緒に様々な現場に首を突っ込んできた。


『了解です。今から、そちらに向かいます』


 返事を打ち込んで送信。

 朝にシャワーも浴びたし、すぐにでも外出は出来る。

 最低限の持ち物をショルダーバックに詰めて、俺は家を出た。




 ――――両親を殺した犯人は未だに捕まっていない。


 だが、俺の両親のように未解決の連続殺人は過去何度起こっている。

 もし、同一犯なら……。

 それなら、これから起き得る連続殺人を全て防いでしまえばいつかは犯人に辿り着けるかもしれない。


 俺は、余りにも小さい希望にすがり、今回も事件に臨むのだった。






「おお!これは美味です! ワトソン君、あなたもいかがですか?」


「歩夢先生、それ、座席にこぼさないでよ?」


 新幹線ではるばるA県にやってきた俺と先生は、目的地へと向かうバスに揺られていた。

 先生はA県名物らしいかぼちゃの餡が入ったパイにいたく感激しているようだ。


 こんな男がいざ事件となれば犯人をズバリと言い当てるのだから不思議なものだ。

 だが、一つ気になることがあった。

 良い機会なので質問をぶつけてみる。


「先生はさ、いつもどうやって推理してるの?」


「……珍しいですね。あなたがそんなことを気にするのは」


 先生は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、かぼちゃパイを持つ手を口元で停止させていた。


「いつもさ、その場でずっと考え込んでるだけじゃん。後は時間さえかければ、犯人を言い当てる。それってなんで?」


「うーん……。教えてもいいのですが、信じないですよ? 特にあなたは」


 先生は珍しく、本当に困ったような表情をしている。


「私が推理して、あなたが時間を稼ぐ。今はそれで十分じゃないですか? はい、どうぞ」


 手渡されたかぼちゃパイを思わず受け取る。

 誤魔化されたような気もするが……先生はこれ以上答える気はなさそうだ。


 仕方なしにかぼちゃパイを口に運ぶ。

 なるほど。

 かぼちゃがしっかりと主張しつつも、優しい甘味が香ばしいバターが塗られているパイ生地に包まれて……。


「……おいしい、ですね」


「でしょう! ああ、そうだ。私も一つ気になってたんです。」


「気になること?」


「あなたの時間稼ぎのコツを教えてくださいよ。なんであんなに手に取るように人の心を誘導できるんですか?」


「…先生が俺の質問に答えてくれたら、教えるよ」


 結局、二人でかぼちゃパイを食べるだけで時間が過ぎていった。


 俺も先生も、こういう部分だけは似た者同士なのかもしれない。




 そうして、辿り着いたのは山奥の洋館。


 今日はここで、とあるテレビ番組の収録がある。

 先生によれば、俺達はそれのエキストラという立場らしい。


 スタッフは少人数であるがキビキビと動いて、あっという間に撮影現場が完成されていく。


「…そういうわけで、指示にないことはやらないでくださいねー!」


 女性のスタッフが明るい声でエキストラへの注意事項を伝える。


「テレビか……」


 注意事項をスタッフから聞き終わった俺は、思わず呟いていた。


「おや? テレビはお嫌いですか?」


 それを目ざとく聞き取っていた先生に疑問を投げかけられる。


「いや……そういうわけじゃないんですけど……」


「大丈夫よ! ちゃんと私達がサポートするから!」


 先程説明をしていた女性だ。

 浮かない顔をしている俺を心配してくれているのだろう。


「私はアシスタントディレクターの加島 椎菜かしま しいな! テレビは初めて? ほら、笑顔笑顔! 表情筋の運動だよ!」


「あ…ええっと…」


「ほら、ワトソン君! ただでさえ、君は表情が少ないのです。しっかりやりなさい!」


 彼女のパワーと鬱陶しい先生から逃れようとして、辺りを見渡すと、こちらを見る視線に気付いた。

 確か、あの人はこの番組のディレクター……と最初に言っていたはず。

 視線の持ち主はそのまま真っすぐとこちらに向かってくる。

 嫌な予感がする……。


「……君達、エキストラさんだよね? ……どこかで会ったかな? 役者さん? 舞台とか出てた?」


 予感は的中だ。

 めんどくさいことになったな。


「いえ、人違いでしょう」


「いやいや、僕は人の顔を覚えるのが得意なんだ。どれどれ」


 この業界を生き抜くのには必須だからねー、などと呟きつつ手元のタブレットをスイスイと動かしている。


「ええと、君は『輪島 巽』? ……。あれ? やっぱりどこかで」


「もういいでしょう。未解決事件の『輪島』ですよ」


 自分で思った以上に言葉が強く出てしまったようだ。

 周りのスタッフがこちらを一斉に振り向く。


「あ……そうか…首斬り事件の…。いや、デリカシーが無かったね。ごめんごめん! 今日はよろしく頼むよ」


 片手で謝罪のポーズを取ると、ディレクターはそのまま去っていった。

 彼も悪気はなかったのだろう。

 申し訳ないことをしてしまった。


 ついでに、加島さんはいつの間にか俺達から離れていた。

 険悪な雰囲気を嫌ったのだろう。

 どうやら、相当に調子が良い人らしい。


「はあ……めんどくさいな……」


「……今日は本当に珍しいじゃないですか。随分と感情的ですね?」


「いや……別に……」


「まあ安心してください! どうせ被害者が出ますので、映像はお蔵入りになりますよ!」


 先生はろくでもないことを言いながら笑っている。


 だが、この後すぐにその言葉は証明されることとなった。




 ――――最悪のパターンだ。


 今回の被害者はくだんのディレクターで……。


 第一発見者は俺。


 そして、俺が報告する前に番組スタッフが俺とディレクターの死体が居合わせる現場を発見してしまった。



「悪いけど……警察が来るまで、君を閉じ込めさせてもらうよ」



 新たな死を運んできそうな、いかにもな台詞と共に番組スタッフが俺を睨む。


 今から俺がやらなくてはならないのは『自己弁護』。


 非常に不利で厄介な時間稼ぎが始まろうとしていた。



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