第5部『デートまでの長い道のり、そして』

第31話 どこでもいいが一番困る

 俺は悩んでいた。

 それはもう、凄く悩んでいた。


「うーむ」


 だってそうだろう。ある程度覚悟をして口に出してみたが、かなりの無茶をしている。分不相応とはまさにこのことだ。

 十八歳の女の子って、どこに連れて行けば喜ぶんだろうか。

 本人に聞けば手っ取り早いのはわかっている。そして、どんな反応があるかもわかりきっている。


『大丈夫。健司おじさんとなら、私はどこでも嬉しいですよ』


 そんな事を言って笑うに違いない。それも、心の底からの本心で。くそう、だからこそ喜ばせてやりたいのだ。

 若い子が喜ぶような店など知らない。ネットで調べてもしっくりこない。俺の思考は暗礁に乗り上げていた。


「やっべえなぁ」


 俺が勤める会社の稼働日は、カレンダー通りに設定されている。だから、ゴールデンウィークとはいえ、祝日に挟まれた平日は出社日なのだ。

 とはいえ、しっかり連休を取りたい連中は、ここぞとばかりに有給休暇を取得していた。我が社内企画部は、部長が強く推奨しているため、出社している者はほとんどいない。

 そんな中、普通に会社に来ている俺はそれなりのレアキャラだ。


「何がやべぇの?」


 背後から少しハスキーな声が聞こえる。ゆっくり振り向くと、休暇を推奨する割には自分は休まない部長が立っていた。


「あー、麻衣子。お前も休めよ」

「ゆっくり休んじゃったから、仕事たまってるのよ」


 独り言を聞かれた恥ずかしさで、話題を逸らしてしまう。それを暗に感じたのか、麻衣子はそのまま会話を続けてくれた。

 ほっとしつつも、寂しくもある。あの時記憶を消したのは、黒影と魔法使いに関することだけだ。

 気持ちを告げられたことと、それを拒否したことは消していない。正確に言うと、麻衣子の心に深く結びつき過ぎていて消せなかった。

 それを受け止めた上で、気安く言葉をかけてくれるのは本当にありがたい。反面、後ろめたくも感じている。しかし、それを表に出さないのは麻衣子に対する礼儀だろう。


「健くんこそ、休まないの?」

「休む理由がないからなー」

「そう、暇なら手伝ってよ」

「暇ではないけど、忙しくもないからいいぞ」

「じゃ、これチェックお願い」

「うへぇ」


 部長決済を待つ書類の束は分厚かった。仕方ない、手伝ってやるか。

 俺は悩み事を一旦忘れ、書類に集中した。


「そうそう健くん」

「ん?」

「駅から少し離れたところにね、小さなイタリアンのお店があるんだって」

「ふむ」


 書類に目を向けつつ相づちを打つ。多少は雑談もしないと、単純作業は続けられない。


「うちの若い子たちが話題にしてたから、一人で行ってみたの」

「うん」

「思ったよりもいいお店だったよ。気取ってないし、リーズナブルだし、なにより美味しかった」

「そうか」


 一人というのが気にかかるが、俺が指摘していいことではない。美味い店に出会ったのは、とてもいい事だ。


「私はランチで行ったけど、ディナーで行ったら雰囲気いいんだろうなぁ。若い子にも、私みたいな歳にも合うと思うのよ」

「あー」


 すっかり見透かされていた。どこまで鋭いんだこの部長は。


「参考にするよ」

「ふふ、是非どうぞ」


 顔を上げ、麻衣子を見る。気の強い笑顔は、これまでより少し柔らかくなっている気がした。


 何事もなく仕事は終わり、定時で帰路につく。その前に、携帯電話にメッセージを打ち込んだ。


『終わった。帰る』


 作りすぎたことになっている夕飯を持って待たせるのも悪いと思い、俺から始めたことだ。よくよく考えると、この時点でアレではないだろうか。

 たぶん、気にしたら負けなやつだ。既に負けているかもしれないが、気にしたら負けだ。


 約一時間後、アパートに到着する。予想通りというかなんというか、ドアの前には今や見慣れた姿があった。


「あ、おかえりなさい」

「おう」

「今日も作りすぎたので、手伝ってください」

「おう」

「今日はですね、鶏の唐揚げですよ。でも揚げずに少しの油で焼いたのです。胃もたれするかなぁと。だから、唐焼き?」


 可愛らしく首を傾げる。緩く三つ編みにした髪が揺れた。


「待ってなくてもいいのに」

「作りすぎた体にするには、待ってないといけないので」

「こだわりが凄いな」

「でも、健司おじさんが落ちてくれたら、この手間はなくなるんですよ」

「なんでだよ」


 鍵を開け部屋に入ると、自然に山崎も続いてくる。そのまま(いつの間にか持ち込んだ)スリッパをパタパタさせて、通路と一体になっているキッチンに立った。

 この一ヶ月弱で、まるで当たり前のようになってしまった光景だ。


「なぁ山崎」

「はーい」

「明後日の夜、空いてるか?」

「大丈夫です! 空いてます!」


 山崎の反応は早かった。首から上はこちらを向いているが、茶碗にご飯を盛る手は止まらない。


「会社の近くにな、イタリアンの店があるらしくて、美味しいらしいんだよ」

「わかりました! 行きましょう!」

「返事が早いな」

「だって、待ってたんですよー」


 基本的に楽しそうにしている山崎だが、いつも以上の反応を見せてくれた。それだけで誘って良かったと思える。


「健司おじさん、誘ってくれたのはいいんですが、その後何も無くて、あれは私の妄想なのかもって思いもしたんですよ」

「ああ、悪い。行くところ決まらなくて」


 テーブルに並ばれた食事を見ながら言い訳をする。照れくさくて顔など見られない。


「大丈夫。健司おじさんとなら、私はどこでも嬉しいですよ」

「うわ」


 びっくりするほど予想通りだった。


「なんです?」

「いや、美味そうだなって」

「ふふふー、冷めないうちにどうぞ」

「うん、いただきます」


 生姜とにんにくの香りが程よい唐焼きは、大変美味しかった。

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