第29話 とっさの事態こそ経験が生きる
叫び声の主は、なんとなく予想がついた。恐らく、山崎も瀬戸も同様だろう。
こうなると、迷っている時間すら惜しい。すぐさま探知の魔法を使い、対象の詳細な位置を確認する。やっぱり、彼女だ。
「先行くぞ」
急な事態で固まっている二人へ声をかける。こうなっては、付き添いだの同伴だのと言っている場合ではない。
魔法による認識阻害を周囲に展開するのとほぼ同時に、身体強化の魔術を使い跳躍する。淡い水色の日傘を投げ捨てる様子が見えた。
依頼者の要望通りに、人気の多いところで待ち合わせたのが災いした。かなりの大勢が、その姿を見てしまっている。
空中で再び探知魔法を使い、黒影に取り憑かれた香園さんを見てしまった人を割り出した。
「うわぁ」
その数、二十四人。思わず声が出てしまう。しかし、これは俺がやらなければならないことだ。
二秒ほどの滞空時間で、香園さんのすぐ近くに着地した。認識阻害が効いているため、誰も俺の方を見ない。
まだギリギリ筋肉痛にはならない程度の身体強化だ。なんとかここまでで終わると有難い。
間髪入れずに、二十四人の記憶を操作する。幸いにも、一人一人の印象は薄い。操作自体は簡単なものだ。
ただし、この人数は、魔法でなければ対処できない。魔法使用の報告書を作成する義務が発生する。つまり、せっかく終わったばかりなのに、またあれを作らなければならないということだ。
しかも、今回は元々瀬戸の案件だ。非常にめんどくさい未来が目に浮かぶ。
「さて」
とりあえず、大至急必要なお膳立てはできた。黒影を祓うこと自体は、瀬戸にやらせるべきだと思う。
ただし、被害者の監視は必要だ。自分や他人に危害を加えるかもしれない。人に予想外の行動をさせるのが、黒影というものだから。
「けーんーじーおーじーさーんー!」
香園さんへ振り向こうとした際、山崎の絶叫が聞こえてきた。認識阻害をしているとはいえ、目立つのは控えた方がいいというのに、何を考えてるのやら。
注意をしてやろうと視線を移した瞬間、山崎が俺の胸に飛び込んできた。具体的に表現するなら、タックルだ。
「ぐはぁ」
身体強化を解除した俺は、平均点な成人男性よりも筋力が弱い。小柄な女の子とはいえ、全力で突撃されたら吹っ飛んでしまう。
そのままの勢いで倒れ込んだ俺の胸に、山崎が乗っかっている。鳩尾のあたりに、なんかふっくらとした感触が当たっていた。
「おい、やまざ」
「見たらだめです!」
「は?」
山崎の手により、俺の目が塞がれる。うわ、柔らかい。いやいや、そういうことではない。
「なにがあった?」
意味もなくこんなことをする子ではない。何か理由があるはずなのだが、それがさっぱりわからない。
「とにかく、目を閉じててください!」
「どういうことだよ」
「瀬戸さん、どうですか!」
「うん、任せて!」
少しだけ状況が理解できてきた。何か見せたくないものがあって、山崎は俺に突撃してきた。そして、黒影の対処は瀬戸が行っているようだ。
ということは、そういうことだ。何らかの理由で、俺が見てはいけない光景が広がっているのだろう。
「山崎、わかったから、とりあえずどいでくれ」
「健司おじさん、目を開けたらダメですからね」
「ああ」
ゆっくりと俺にのしかかっていた体重が離れていく。ちょっと惜しい気もしてしまうのは、黙っておこう。
目を閉じたまま、耳を澄ました。せめて瀬戸がちゃんと祓えているのかは把握しておきたい。
「香園さん、あなたの望みはそれじゃないですよ!」
「だーめ、皆に見てもらうの」
「いやいや、それはダメですって!」
「ほら、こうしたら、ね?」
「だーめーでーすー!」
あー、なんとなくわかった。たぶん、脱いでる。注目されたい欲求が歪めば、そうなるのにも納得がいく。そりゃ、俺は見たらだめなやつだ。
「健司おじさん、聞くのもだめです」
山崎の温かな手が、俺の耳を塞いだ。瀬戸が香園さんに喚いているのはわかるが、内容までは聞き取れない。
瀬戸で手に負えないようであれば、俺に頼るはすだ。いくら瀬戸とはいえ、それくらいの分別はあると信じてる。
だからそれまでは、邪だけども山崎の感触を楽しんでいよう。もちろん、魔力の動きだけはしっかり把握した上で。
五分ほど経っただろうか。祓いの魔術を感じた後、黒影が放つ魔力の揺らぎが消えた。
それに合わせるように、山崎の手から耳が解放される。若干火照った耳が外気に晒され、少しひんやりとした。
「終わったか?」
「はい、もう目を開けてもいいですよ」
ゆっくりと瞼を開くと、目前には山崎の姿。眩しく感じるのは、たぶん急に光が目に入ったからだ。
「どうなった?」
「大丈夫です。瀬戸さんが祓ったと思います」
「そうか、見てもいい?」
「はい」
山崎の許可を得て、瀬戸と香園さんの方へ振り向く。
「初仕事、やりました!」
俺の視線に気付いた瀬戸は、強気な笑顔を浮かべ、ピースサインをこちらに向けた。香園さんはちゃんと服を着て、その場に座り込んでいる。
なんとか祓ってくれたようだ。残念ながら、付き添いというかお目付け役の俺は、それを見てはいない。
「俺は見てないから、評価できないけどな」
「いいですよ。山崎さんは見ててくれたので」
「私、魔力全然見えないので、さっぱりですよ」
「えぇー」
落胆した様子を見せるものの、やり遂げた瀬戸は良い笑顔をしていた。これまでの肩肘ばった硬さも、少しだけ和らいで見えた。
「香園さんは?」
「記憶操作も終わっています。確認してもらえますか?」
「ああ」
ちゃんと確認を求めてくるあたり、成長しているみたいだ。実際に取り憑かれた人を見て、俺達が魔法使いである意味を感じてくれたのだろう。
気を失っている香園さんの額に掌をかざし、記憶を確認する。黒影に取り憑かれた部分は残し、やってしまったことと魔法使いの正体に関しては綺麗に消えている。
魔術の使い方は、満点といってもいい。
「うん、オーケー」
「ありがとうございます」
「じゃあ、帰るか。山崎、行こう」
「はーい」
二人を連れ、帰路につく。認識阻害の魔法もそろそろ効果が切れる頃だ。
「里中さん、今日はありがとうございました」
「おう、いいよ」
素直にお礼を言うなんて、ずいぶんしおらしくなったものだ。
「とっさにあれだけの魔法をほぼ同時に使うなんて、あの方の弟子である意味も理解できました」
「そうか」
「健司おじさんの凄さがわかってもらえてよかったです」
山崎が自慢げに大きく胸を張る。嬉しいやら、恥ずかしやら。
「ですので、これまでの態度もお詫びします」
「いいよ、気にするな」
「そして、そんな里中さんにお願いがあるのですが」
「ん? なんだ?」
なんか、やけに素直で逆に怖い。やたらと疑うのは良くないのはわかっている。しかし、どうしても、この後に何かがある気がしてしまうのだ。
「山崎さん、いえ、明莉ちゃんを私にください」
「……」
「……」
瀬戸の発言に、俺も山崎も言葉を失う。めんどくさいことになるのは薄々感じていたが、これは予想外だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます