第4部『組織からの刺客(新卒)』
第21話 めんどくさい事を一緒にやってくれる相手は大切にした方がいい
部長が休暇を取った一週間は、混乱を極めていた。これまでどれだけ彼女に頼っていたか、今になって部の全員が身に染みてわかったというような有り様だ。
例えばちょっとした決済の判断だったり、他部署からの依頼やクレームの処理だったり。我が企画部は「部長、助けてください」が言えないだけで成り立たなくなる、あまりにも脆弱な組織だったということが露呈してしまったわけだ。
ただし、俺自身ははそこまで混乱はしていなかった。こんなこともあろうかと、自分のことは自分で処理できるようにしていたからだ。
どいつもこいつも、麻衣子に押し付けすぎだ。常々言っていたのだが、誰も聞く耳を持たなかった。それに応えてしまう彼女の優秀さにも困ったものだと思う。
というわけで、そこそこの古株たる俺は、うろたえる若手をそっと手伝う立場になっていた。
一時的な混乱はあるものの、仕事は辛うじて回っていく。本業の会社は大きな組織だから、個人の穴が埋められないなんてことはない。
俺にとっての問題は、副業の方だ。
「健司おじさん、ここはどうすれば?」
「あー、貸してくれ」
帰宅後の狭い我が家は、昼間の会社よりも大惨事だった。麻衣子が黒影に取り憑かれていた件で、俺は魔法を使いすぎたのだ。
魔法は周囲の人間に影響があるため、使用の際は様々な規則がある。そのひとつが、使用後の報告書提出だ。
自分の体を魔法で動かす程度のものは免除されるのだが、今回の場合はそうはいかない。我ながらやり過ぎたと思う。
魔力の多量吸収による、人間関係や経済活動への悪影響。
広域の認識阻害による頭痛や軽度の記憶障害。
特に問題視されるのが、このふたつだ。魔法使いには魔法の使用に対して、正当性があることを説明できる報告書を提出する義務が発生する。一週間という期限内に提出しなければ、即刻免許停止になってしまうくらい重要視されているものだ。
しかも、提出の相手である《NPO法人 全日本魔法使い協会》は、ほとんどお役所のような組織だ。体裁に少しのミスがあっただけで再提出になりかねない。
簡単に言うと、めんどくさいのだ。
「もー、何でこんなにあるんですか?」
「そりゃ、魔法使ったからだよ」
「何でこんなに使ったんですか?」
「そりゃ、慌ててたからだよ」
「何でそんなに慌ててたんですか?」
「そりゃ、山崎が心配でな……あ……」
しまった、余計なことを言ってしまった。俺と少し離れて横に座る山崎の顔が、どんどん緩んでいく。
「あー、そういうやつですか」
「いいから、書いてくれ」
山崎は上機嫌で「へー」とか「ふふー」とか、意味のない声を出し始めた。手は全く動いていない。
おかげでしばらくの間、俺一人で黙々と作業を続けることになってしまった。この時代に手書きでないと受け付けないなんて、イカれてるとしか思えない。
ようやく山崎が再起動するが、ニヤついたままだ。手は動いているだけまだよかった。
「じゃあ、じゃあですよ。この報告書にも『大切な人を守るため』とか書かないといけませんね」
「頼むからやめてくれ」
略図と予測影響範囲を書き込みながら、心から懇願した。
「えーじゃあ、他の人でもそうしましたか」
「うん、したよ」
「そう、ですか」
山崎の求める言葉はわかっていても、俺は正直に答えた。ここは偽ってはいけないことだ。
魔法使いは人々のために存在する。特定の一人のために、特別な力を使ってはいけない。
そんな俺のこだわりなど、山崎は知らない。がっかりさせてしまっただろうか。髪をひとつに括った少女の横顔を盗み見た。
同時に、大きな瞳も俺を見つめていた。
「あ、もしかして、気にしてくれました?」
「は?」
目が合った山崎は、嬉しそうに笑っていた。それは予想外の表情だった。
「健司おじさんは、魔法使いさんです」
「ああ」
「魔法使いさんは、私だけじゃなくて、色んな人を助ける人なんです」
「おう」
「だから、今の回答を期待していました。あ、でも大丈夫です。私のためにっていうのだったとしても嬉しいですよ」
「そうか」
なんか、いろいろ見透かされているみたいだ。俺にはもったいないくらいの助手だと思う。
そして、麻衣子に言われたことが頭をよぎる。
『あの子は健くんをしっかり見てるよ。だから、嫌じゃないなら健くんも見てあげて』
嫌じゃないんだよ。むしろ嬉しいとすら思う。俺なんかをこんな真っ直ぐに好いてくれている。
でも、今以上に踏み込めない。たぶん、怖いんだ。
どこかで俺に幻滅しないか、やっぱり違ったなんて言われないか。年齢だけじゃなくて、自分への自信のなさからくる躊躇だって自覚がある。
そんな事は言われないってわかっていても、怖いものは怖いのだ。
「健司おじさん?」
「おお」
「どうしました? ぼーっとして」
「いや、何でもないよ」
「疲れちゃいましたよね。私も疲れました」
時計を見ると、夜九時を過ぎていた。若い女の子を引き留めていい時間じゃない。
「今日は終わろう。お疲れ様」
「はい、また明日。正当な理由で会えるので嬉しいですよ」
「いつも待ち伏せしてるからな」
「いえ、あれは料理を作りすぎる体ですよ」
「体って言ったぞ」
そして、翌々日の夜八時。
計四十二枚の報告書は、なんとか期限前に完成した。
「終わったー、終わりましたね」
「おー、助かったよ」
「助手なので!」
「ありがとうな……っと電話だ」
着信音が鳴ったのは、副業の方の折り畳み式携帯電話だ。こういう所にも、悪い意味でのお役所的な古臭さを感じる。
「はい」
『協会の者です』
「はぁ」
若い女性と思われる声が聞こえた。明らかにうさん臭い名乗りだが、これは本物だと断定できる。支給された携帯電話の番号を知っているのは関係者のみだからだ。
それに、本物は迂闊に『魔法使い』とは言わない。
『今、お宅に到着しました。開けて頂けないでしょうか』
「え、今?」
『はい。報告書のお手伝いにと、派遣されて来ました。感謝して頂ければと思います』
さすが協会の人間だ。実に偉そうな物言いをする。
「あ、ちょうど今終わったところですよ」
『えー! 終わっちゃったんですか?』
電話の向こうの女性が大声をあげた。玄関ドアの向こうからも、同様の声が聞こえる。どうやら来ているのは本当のようだ。
近所迷惑だから勘弁してほしい。
「とりあえず開けますね」
俺は電話を持ったまま、玄関のドアを開ける。そこには、ビジネススーツをきっちりと着た若い女性が立っていた。
しかし、全く似合わない。なんというか、着ていると言うより着せられているというか、そんな違和感があった。
職業柄わかる。この人は、多分新卒だ。
「こんばんは。協会から来ました、
「はぁ、里中です」
「よろしくお願いします!」
ほぼ確実に新卒の女性は、必死に胸を張り瀬戸と名乗った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます