第15話 服装の趣味は人それぞれ

 結論から言うと、黒影だった。魔力の揺らぎから、そう断言できた。

 精神的な異常ではないことに安心しつつも、彼の苦悩を思うと胸が痛くなる。

 目の前にいる男性は、真面目で大人しそうな雰囲気だが目だけが異様に血走っている。相談者の名は、小林こばやし 和也かずや。年齢は俺と同じで三十六歳とのことだ。


「女の人を見ると触りたくなってしまうんです」


 古いベンチに座り、小林さんはぽつぽつと語り出した。声には怯えと焦りが多量に混じっている。

 人目につかないようにと、住宅地から少し外れた公園で待ち合わせてよかった。彼はもう、目に入る人が全て恐ろしいだろう。

 小林さんに電車を使わせるわけにもいかないので、俺と山崎はいくつか電車を乗り継いでここまでやってきた。微妙に見覚えのある景色なのは、既視感というやつだと思う。


 山崎への指示も正解だったと思う。体型を隠す大きめのTシャツにジーンズ。長い黒髪はキャップの中にまとめさせている。

 ここまでくると、認識阻害の魔術だけでは山崎の性別を隠しきれなかったかもしれない。服装と合わせてなんとか、というレベルだ。凄くいい匂いするしな、この子。


「電話でもお話した通り、祓うには小林さんの本音が必要になります。いくつかお伺いしますが、よろしいでしょうか」

「はい、お願いします」


 その後、小林さんの本音を聞き出すのはとても簡単だった。十年ちょっとやっている魔法使い歴でも一二を争うくらいな気がする。

 ただし、事の単純さと深刻さは比例しない。小林さんにとっては人生を左右する大問題だったのだ。それを助けることができて良かったと心から思える。

 だが、これからが気まずい。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 祓った後の説明を終えると、小林さんは大袈裟に頭を下げた。俺と山崎が会釈を返したのを確認してすぐに、勢いよく走っていった。


「行っちゃいましたね」

「そりゃ、早く帰りたいだろうな」

「ですよねー」


 彼の本音は『妻と手を繋ぎたい』だった。結婚して長い上に子供もいると、なかなかそういう機会もなくなるみたいだ。

 それだけ奥さんを愛しているんだろう。それなら一刻も早く帰るべきだ。

 そして、俺にとっての問題はこの続きだ。


「健司おじさんも興味あります?」

「……」


 ほらやっぱりこうなる。


 正確に表現すると、小林さんは『高校時代の制服を着た』奥さんと手を繋ぎたいそうだ。あの頃のトキメキを取り戻したいらしい。

 そして、この流れであれば、必ずこの質問がくると予想していた。


「私、ちょっと前まで制服着てましたから、たぶんまだいけますよ」

「なんのアピールだよ」

「制服がまだなんとか似合うと思うので、それで健司おじさんを誘惑しようと」

「相変わらず正直だな」

「よく言われます」


 まぁ、興味がないわけではないのだが。でも、それを言ったら大人として終わってしまう。


「見たかったらいつでも言ってくださいね。実家から送ってもらうので」

「なんて言って送ってもらうんだよ」

「狙ってる男性に見せる、と」

「頼むからやめてくれ」


 山崎は頬を膨らまして、無言の抗議をしている。意図的に無視をして、ベンチから立ち上がった。


「さぁ、帰る……おっと」


 さっそく反動の頭痛だ。一瞬クラっときて足元がふらついてしまった。


「あっ」


 筋肉痛の時のように、素早く体を支えられた。柔らかさと匂いを感じ、違う意味でクラっとしてしまう。


「おっと、悪いな」

「いえいえ、役得です」

「女の子が言うセリフじゃないな」

「女の子扱いされてしまいました」


 強い意思で山崎からそっと離れる。頭痛はガンガン響いてくるが、歩けないほどではない。


「支えなくて大丈夫ですか?」

「ああ、帰って寝るよ」

「まだ昼間ですよ」

「反動で頭痛くてな」


 魔術の反動による頭痛は、薬では抑えられないからやっかいだ。さっさと帰って寝るのが一番だ。


「あ、もしかして、私のせいですか?」


 勘が鋭いというのも考えものだ。気付かないでいいことにも気付いてしまう。


「違うよ。その格好させたのは、反動が来ない程度の魔術にするためだからね。それでも反動が来るってことは、俺もまだまだ未熟ってこと」


 なぜか俺は、山崎を傷付けないための嘘をついていた。


「健司おじさん、それ、嘘ですね」

「え?」

「なんとなくわかります。そういう嘘は逆に辛いですよ」

「ああ……すまん」


 俺の稚拙な嘘は、すぐにバレてしまった。

 そういえば、麻衣子にもよく嘘を見破られていたな。


「あ、でもでも、それが健司おじさんの優しさなのも知ってます。だから怒りませんよ」

「そうか」

「この前、嘘も方便って言ってた私が言うのもアレですが」

「たしかに、言ってたな」

「えへへ」


 こいつには勝てないと思った。でも、俺の本音の本音は隠し通さなければならない。


「わかってくれたらいいのです。なので、私は私の責任をとって健司おじさんを送り届けます」

「ただ普通に帰るだけじゃないか?」

「一緒に帰る口実としては悪くないかと」


 そう言って、キャップの下で片目を閉じてみせた。些細な仕草がおじさんを攻撃する。そっと背中に回った手も凄い破壊力だ。

 とにかく、今日の副業は終わりだ。頭も痛いし早く帰りたい。


「あれ、健くん?」


 俺が山崎に支えられたまま公園を出た時、見知った相手の見慣れぬ姿が目に入った。


「麻衣子?」


 会社で見るきっちりとしたスーツ姿ではなかったので、気付くのが遅れた。ゆったりとした薄手のニットにロングスカート。髪も整えておらず自然に流れている。

 そうだ、これが麻衣子の本当の姿だ。何年も見ていなかったから、思い出すのに時間がかかってしまった。


 そして俺はもう一つ思い出す。

 この住宅地は、麻衣子の実家があった。


「どうしたの? こんなところで」

「あー」


 認識阻害の魔術は、既に反動が来ているため使える状態ではない。俺がここにいる理由を説明するのも難しい。

 これは困った。


「そちらは?」


 麻衣子は、俺にぴったり寄り添った山崎に視線を移す。なんとなく、なんとなくだが、女の子だとバレるのはマズいと思う。しかもお隣さんの女子大生。

 幸いにも、隠れていれば男に見えなくもない服装だ。上手く誤魔化そうとしたが、頭痛で思考が回らない。


「えーと」


 俺が言い淀んでいると、不意に風が吹いた。あまりにもタイミングが悪い。


「あっ」


 山崎の被っていたキャップが飛ばされ、長い髪がなびく。


「えっ、山崎……さん?」


 麻衣子の切れ長の目が丸くなった。

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