第10話 結局は胃袋を掴んだ者が勝つ(第2部 完)

 山崎さんが惚れ直したという、二人での初仕事の帰り道。俺のかっこよさは長くは続かなかった。


「いたたたたたたた」

「もうちょっとですよ、頑張って」


 アパートを目前にして、体を動かす魔法の効果が切れてしまった。そうなると、全身の筋肉痛で立つこともままならない。

 助手は優秀なので、それにいち早く気付き俺を支えてくれた。昼間とは逆で、右の背中に凄いものが当たる体勢だ。

 もちろん、そんなことに喜んでいる余裕はない。


「さぁ階段です。いっちに、いっちに」

「うおおおお」


 まるで黒影を吐き出すような声を上げる。そんなカッコ悪い俺にも付き合ってくれる山崎さんは、天使か何かのようだ。


「よく頑張りました。お部屋はもうすぐですよ」

「おう、すまないね」

「大丈夫です。将来は介護するつもりですし」


 あー、そこまで考えてるのね。


 何とか自室にたどり着き、マットレスに横たえてもらう。本当に介護されているみたいで、自分で自分に引いてしまう。


「最後の最後で悪かったね」

「そこも含めての助手です」

「そうかー、それは助かるよ」

「では、夕食にしましょうか。何が食べたいですか? 簡単なものなら大抵作れますよ」

「いや、待て」


 危ないところだった。自然な流れで全く違和感がなかった。


「なんでしょう?」

「夕食って、作るつもり?」

「ええ、点数稼ぎのために。もちろんご一緒させてもらいますけど」

「正直だな」

「よく言われます」


 ここまで露骨に露骨だと、拒否する気もなくなってしまう。それが狙いだとしたら、大したものだ。

 それに、今日は疲れた。体力だけでなく、多少気分が落ちている。山崎さんの明るさが救いになるなどと、都合のいいことを考えてしまっていた。

 気持ちに応えるつもりはないのに、勝手なものだ。


「じゃあ、和食っぽい食べやすいやつ」

「おまかせあれー。ただし、材料はありものですよ。冷蔵庫見せてくださいね」

「りょーかーい」

「人参使いますねー。あとは、私の部屋からも持ってきます」


 俺の葛藤を知らない彼女は、上機嫌でバタバタと部屋を出ていった。

 いい子が過ぎるだろう。やっぱり俺にはもったいない。もっと若くていい男がどこかにいるだろうに。


 数分後、山崎さんが部屋に戻ってきた。薄い黄色のエプロンを着け、髪型はポニーテールに変わっていた。

 悪魔的な可愛さだ。


「じゃーん、エプロンですよ。萌えますか?」

「ノーコメント」

「ひどーい」


 頬を膨らませ文句を言った後、キッチンで何やら作っている。包丁がまな板を叩くリズミカルな音が聞こえてきた。

 そういえば、女の子の手料理なんて何年ぶりだろう。不謹慎とは感じつつも、昔の恋人のことを少しだけ思い出してしまった。


「里中おじさん、聞いてもいいですか?」

「いーよー」

「依頼のお金ってどうなってるんですか? 依頼者の方からは受け取ってないですよね」

「ああ、あれは魔法使い協会経由で振り込まれるんだよ。俺らは直接金銭のやり取りしちゃいけないから」

「なるほどー」


 包丁の音は終わり、鍋がくつくついってる音に変わった。昼に食べた味噌汁かけご飯に似た、出汁の香りも漂ってくる。


「もうひとつ、なんで帰り道に魔法を使わなかったんですか?」


 その質問は予想していなかった。本当の理由は照れくさくて言えない。何となくごまかしてしまおうか。


「あー、山崎さんが不機嫌になるのが嫌だから」

「真面目に答えてください」


 バレた。

 仕方ない。ちゃんと答えよう。


「自分のために魔法とか魔術使うのって、なんかズルいと思ってさ」

「あぁ……ふふっ、里中おじさんらしいですね。好きです」

「そうかぁ」


 やっぱり照れくさかった。


「はーい、できましたよ。お昼と似ててすみませんが、食べやすさと有り合わせの材料を優先ということで。次はちゃんと準備して作りますので」


 山崎さんがお椀に入れて持ってきたのは、鶏肉と人参の入った雑炊だった。

 すみませんも何も、大変好みの料理だ。体調にも気分にも、最適だと思う。この子は俺の心が読めるのだろうか。


「はい、起こしますね」

「いたたたたた」


 昼間と同じように、上体を起こしてくれた。痛いけど、まぁなんとか我慢する。


「はい、あーん」

「しないって」

「ちぇー」


 卵とじにされた雑炊は、彩りもいい。


「いただきます」

「はいどうぞ」


 スプーンですくい、口に入れる。想像通りに優しい味で美味い。

 普段から料理していることがよくわかる。


「うん、美味い。山崎さん料理上手いね」

「嬉しい。花嫁修業と思って実家でいつも作ってましたから」

「なるほど……」


 熱い視線を感じ、思わず口ごもってしまう。なんというか、中学生の時に戻った気分だ。

 恥ずかしくなって、俺は雑炊を食べ続けた。何口目でも美味いものは美味かった。


「あの、里中おじさん」

「んー?」


 食事も終わりに近付いた頃、普段とは違う神妙な顔付きで話しかけてくる。


「私、ちゃんと助手できてましたか?」

「ああ、初仕事だったもんね」

「はい、迷惑じゃなかったか心配で心配で。聞くのが今になってしまいました」


 不安になるのも仕方ない。今日の仕事は、たぶん精神的にキツいパターンだった。身の危険はなかったが、苦しい思いをしたはずだ。


「正直、思ってた以上だったよ。とても助かった。できれば、これからも助手を頼みたい……って」


 俺の言葉でなのか、山崎さんは大粒の涙を流していた。

 え、何かまずいこと言ったか?


「よかったです。よかったー。あー」


 そのまま声を上げて、山崎さんはしばらく泣き続けた。

 不覚にも、俺はそんな山崎さんの頭を撫でてしまった。この場でのそれは、そういう意味になってしまいかねない。


「里中おじさんー」

「はいはい、頑張ってくれてありがとうな」

「はいー」


 泣き止んだのを見計らい、頭から手を離す。

 俺の手があった所に自分の手を置いて、山崎さんは笑った。


「じゃあ、特別手当ください」

「いいよ、いくらにしようか」

「お金じゃなくて」

「ん?」

「明莉って呼んでください。私は健司おじさんって呼びますから」


 そうきたか。

 いや、無理だろう。名前で呼ぶなんて、そんな恋人みたいなことできるか。

 それと、おじさんは付けるんだね。


「さすがに無理だ。特別手当にはまだ遠い」

「えーいいって言ったくせにー」

「じゃあ、間をとって山崎」

「間じゃなさすぎですよー」


 俺と助手の初仕事は、なんとか無事に終わった。

 ただし、無理やり動かしたせいで筋肉痛はなかなか治らず、月曜日は突発で有給休暇をとることになってしまった。

 まぁ、そんなことは言うほどでもない話だ。



 第2部『2人の初仕事は筋肉痛と共に』 完

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