閑話:テレンシオ視点 可愛くて可愛くない妹 1

 ある時、一年のうち冬の間しかおうとにいない母様が、僕に言った。

 貴方はもうすぐ『お兄様』になるのだから、良い兄になりなさい、と。

 

 「兄になる」と言われても、意味の解らなかった僕は、乳母ナニーのマーサに母様の言葉の意味を聞く。

 『兄になる』とは、どういうことか、と。

 

「テレンシオ坊ちゃまに、弟君か、妹君が生まれる、ということですよ」


「おとうと、ぎみ? いもうと……?」


「兄弟ができる、ということです」


 正直なところ『兄弟』という言葉もよく解らなかったのだが、乳母が優しい顔をして微笑んでいたので、なんとなく嬉しいことなのだろう、と思った。

 母様も「二人目も男の子なら、ひとまず安心だこと」と微笑んでいた。

 だから、『兄弟』ができるということは、なんだかとても良いことなのだろう――そう思った。

 

 実際に妹が生まれるまでは。

 

 春になって兄妹いもうとが生まれると、僕の世界は一変した。

 冬しか一緒にいられない母様が、春になってもいえに居てくれることは嬉しかったが、それ以外は全然嬉しくない。

 同じ館にいるのに母様は妹にべったりで、僕とはほとんど顔を合わせてくれなかったのだ。

 

 『兄弟ができる』ということは、まったく良いことでもなんでもなかった。

 むしろ、最悪の事件だ。

 

 妹に取られたのは母様だけではない。

 乳母のマーサまで妹につきっきりで、僕の傍にいないことが増えた。


「妹なんてきらいだ。いなくなっちゃえばいいのに」


「そんなこと言ったらダメですよー」


 クッションを小さな妹に見立てて壁に投げつけると、床に落ちたクッションを拾った子守ナースメイドのミーサが困った顔をして笑う。

 ミーサは、母親に続き、乳母まで奪われた僕に、父様が新しく付けた子守メイドだ。

 

「レティはズルイ。僕の母様を取った」


「そんなの、兄弟のいる家ではあたり前のことですよー」

 

 どうぞ、とミーサがクッションを差し出してきたので、奪い取って再び壁へと投げる。

 ミーサは「クッションは投げるものじゃありませんよ」と腰に手を当てて怒った顔をしたあと、もう一度床に落ちたクッションを拾った。

 

「私の家は今のところ五人兄弟なんですが……」


 ミーサは二番目の娘で、一番目の姉もミーサが生まれた時に今の僕と同じことを言っていたらしい。

 この話を、ミーサは三番目いもうとが生まれた時にマーサと姉から聞かされたようだ。

 そして、三番目の娘も、四番目いもうとが生まれた時にやはり同じことを言ったのだとか。

 

「あとから生まれた子にお母さんを取られちゃうのは、しかたがないですよ」


 生まれたばかりの赤ん坊は、一人では寝返りすらうてない。

 つねに傍で誰かが見守って手を貸していかなければ、まともに生きることすらできない弱い生き物なのだ。

 

「……ミーサはマーサを取られて、さびしくなかったの?」


「ちょっと寂しくて、面白くもなかったですけど……」


 それ以上に『姉』になったことが嬉しかった、とミーサは笑う。

 自分の姉のように、妹にとって良い姉になろう、と。

 

「それに、妹はすっごく可愛いですよ!」


 間違っても壁に投げつけたりなんてしないように、とミーサがクッションを差し出してきたので、今度はクッションをお尻の下に敷く。

 クッションは投げる物ではなく、尻の下に敷くものだから、この扱いは間違いではない。

 

「……クッションはいいですけど、妹をお尻の下に敷いたら潰れちゃいますからね」


「……」


 ミーサの言いたいことが解ったので、プイッと顔を背ける。

 解ってはいるが、わかりたくない。

 

 拗ねた僕に、ミーサは少しだけ悪そうな顔をして、こう言った。

 『お母さんを取られた』という意味でなら、自分ミーサの兄弟たちはみんなテレンシオマーサを取られている、と。

 

「しってるぞ。マーサは乳母で、乳母はしごとだ」


 乳母の仕事として僕の傍にいるので、僕はマーサを『取って』はいない。

 そう、両手をわきわきと動かして近づいてくるミーサに答えると、ミーサは同じことだ、と僕の意見を切り捨てた。

 自分たち兄弟からしてみれば、仕事であれ、なんであれ、マーサは僕に取られたのだ、と。

 

「フェリシテ様は、今はお母さんとして代わりのいないお仕事をされているんです。私の母はそんなフェリシテ様を支える乳母のお仕事をしています」

 

 そして母親を妹に取られたと寂しがる兄の遊び相手をするのが子守メイドじぶんの仕事である、と言って、ミーサは僕のお腹をくすぐり始める。

 

 あとは息が続かなくなるまで、二人で笑い転げた。







 春も終りに近づいてくると、母様が領地へと帰還する日も近づいてきた。

 今年の母様は妹を産むために例年より長くおうとに居たが、やはり一年中傍にはいてくれないらしい。

 妹のおかげでいつもより長く母様と過ごせたはずなのが、ほとんどその妹に母様を独占されていたので、あまりいつもと変わらなかった気がする。

 

「――それでは、テレンシオ。ヴィレット家跡取りとして良く学び、健やかに過ごすのですよ」


「はい。母さま」


 次の冬までお元気で、とミーサと練習したとおりに挨拶をすると、母様は微笑みながら僕の額へとキスをしてくれた。

 褒められた、と嬉しくなって母様を見上げる。

 と、母様はすでに僕ではなく、乳母に抱かれた妹を見つめていた。

 

「レティシアも元気で。次の冬には母様にもあなたの魔法を見せてね」


「あー」


 母様の言葉がわかるはずはないのだが、乳母に抱かれたおくるみの中から小さな手が動くのが見える。

 まるで返事をしているかのような妹の手の動きが気になって見上げると、僕に気がついた乳母が少し腰を屈め、腕の中の妹を見せてくれた。

 

 ……かわっ……いいだなんて、思わないんだからなっ!

 

 白いレースのお包みの中にいるのは、輝く銀色の髪をした赤ん坊だ。

 銀の睫毛に彩られた翡翠色の瞳を、眩しげに細く開いている。

 ふっくらとした白い頬が果実のようで、思わず突こうと指を差し出したら噛み付かれてしまった。

 

 ……ぜんぜん痛くない。

 

 まだ歯がないのか、妹に噛み付かれた指はまったく痛くない。

 それどころか、はむはむと指を噛んでくる感触がくすぐったかった。

 

 ……かわ……っ、……いい、だなんて、思わないぞっ!

 

「あらあら、お嬢様。お兄様の指は、食べ物ではありませんよ」


「食いしん坊なところは安心なのだけど……」

 

 はむはむと指を噛む妹の好きにさせていると、頭上で母様と乳母の言葉が交わされる。

 

 妹の髪の色は、両親のどちらとも違う。

 もちろん、母様と同じ僕とも違う。

 

 銀色の髪をした子どもは、たまに生まれることがあるらしい。

 この髪の色をした子どもは神様に愛されているようで、大人になる前に神様が自分の手元に呼びよせてしまうことがあるのだとか。

 そのため、銀髪の子どもは無事に育つことが少ないらしい。

 妹は食いしん坊で、体が弱いということはなさそうだが、よく気をつけるように、と。

 

 ……レティはズルイ。

 

 母様を僕から取って、乳母を取って、父様まで取って、さらに神様からも愛されているらしい。

 こんなに何もかもから愛される妹なら、せめて僕ぐらいは嫌いでいなければ、不公平というものだ。

 

 ……かわいいだなんて、ぜったいに思うもんか。

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