第11話 兄<<<(越えられない壁)<<<神話の本

 何気なさを装って部屋で待っていると、本当にテレンシオがやって来た。

 家庭教師のおまけ付きで。

 

「おにいちゃん、れっどかーど!」


「れっどかーど?」


 レッドカードとはなんだ、と首を傾げるテレンシオに向かい、腕を胸の前で組んで迎え撃つ。

 テレンシオはノックはしたが、返事を待たずに扉を開け、私の部屋へと入ってきた。

 一応、男性教師は判っているのか、部屋の外に立っている。

 

「かぞくいがいのおとこのひとを、しゅくじょのへやにいれたらだめなんですよ」


 他人である男性教師を私の部屋まで案内してきた時点でイエローカードだ。

 これに入室の許可を得ずに扉を開けたことで二枚目のイエローカードである。

 家族とはいえ、勝手に部屋に足を踏み入れたところにもイエローカードを発行し、見事イエローカード三枚で退場だ。

 

 ……たしかね。

 

 イエローカード三枚で退場、というのは、日本でのうろ覚え知識だ。

 日本での人生は、初めての転生ということで、知識を貪欲に取り込むことに夢中で、スポーツ観戦の趣味なんてもたなかった。

 そのため、スポーツのルールといった興味の外にある知識は曖昧だ。

 

 ……あと、普通に防犯面の理由でもアウトです。

 

 神話の時代ほどではないが、現代のルーナティ王国も女性の地位は高くない。

 家畜と同じとまでは言わないが、それでも家長の財産もちものとして扱われる。

 つまり、テレンシオのおこないは、外の人間に対して、我が家の財産はこの部屋に置かれている、と教えてしまっているようなものなのだ。

 

 ……私が日光浴以外で外に出してもらえないのも、防犯的な話らしいんだけどね。

 

 私が『それ』におとなしく従っているかどうかは別として、貴族家の女児は屋敷から一歩も出さずに育てられることも珍しくないらしい。

 ミーサが我が家で働いているのは、あくまで母親であるマーサのおまけだ。

 マーサが乳母として働いていなければ、ミーサも生家の屋敷を出ることは、もう数年あとだっただろう。

 

「テレンシオ様、レティシアお嬢様のおっしゃるとおりですよ」


 家族であっても、許可を得ずに部屋へ入ってはいけない。

 むしろ、扉を開けることすら許されない。

 それが男女の差だ、と乳母ナニーのマーサが私を男性教師の視界から隠すように立ち塞がる。

 

「ましてや、家族どころか、一族の者ですらない男性教師を連れてくるだなんて、もってのほかです」


「……ごめんなさい」

 

 しゅんっと肩を落として乳母に怒られるテレンシオは素直だ。

 もしかしたら、マーサはテレンシオの乳母でもあったのかもしれない。

 マーサは子沢山なので、可能性としてはありえる話だ。

 

「それでだな! レティシアが使ったという魔法を――」


「おこられて、ちゃんとはんせいしないわるいこには、みせません」


 うな垂れたのは一瞬だけで、テレンシオはすぐにパッと顔をあげた。

 部屋に来た目的を思いだし、そのまま思考まで切り替わってしまったのだろう。

 魔法を見せろ、と言いはじめたテレンシオに、間をおかずに返答する。

 反省しない子には見せない、と。

 

「……見せない、ということは、見せられる、ということでしょうか?」


「まほうをつかえないのに、まほうのせんせいをしてる、あやしいひとにもみせません」

 

 うかつな行動を繰り返すテレンシオへと反省を促しているというのに、男性教師が横から割り込んできた。

 言葉尻を取られてしまったので、こちらも少しやり返させてもらう。

 魔法を使えない魔法の教師とはなんだ、と。

 

「なにを言っているんだ? レティシア。魔法が使えないのに、魔法を教えられるわけがないだろう」


「だったら、わたしよりさきに、せんせいにまほうをみせてもらったらいいとおもいます」


「それもそうか……?」


 あれ? とテレンシオも気が付いたようだ。

 魔法の教師だというのに、彼自身からはまだ魔法を見せてもらっていない、と。

 

「先生?」


 魔法を見せてください、と不信感と少しの期待を込めて、テレンシオが男性教師を見上げる。

 見上げられた男性教師はというと、魔法が使えないと指摘されれば慌てるかと思っていたのだが、意外に冷静だ。

 

「たしかに私はお嬢様のおっしゃるように魔法の使えない魔法教師です。ですが、私がお教えするのは『魔法が使えるようになる方法』です。私自身が魔法を使えるというわけではございません」


 あくまで、魔法を使うためのきっかけを教える教師であって、自分自身が魔法を使えると言ってはいない。

 このことは雇用主である父ピーテルも承知だ、と。

 

「私の教えた方法で魔法が使えるようになった子どもはすでに何人もいらっしゃいますが、こちらは守秘義務がございますので、お名前を出すことはご容赦ください」


「何人も……」

 

 ……あ、お兄ちゃんがコロッといった。

 

 テレンシオは少し素直が過ぎるのではないだろうか。

 男性教師の言葉を、そのまま信じたようだ。

 私としては、何人に教えて、何人が使えるようになったのか、が気になる。

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、なんて言葉も日本にはあった。

 たまたま男性教師の教え方が合った子どもがいた、というだけの話だ。

 

 ……ま、突っこまないけどね。

 

 運命の神スーリディンが『詐欺師』と称した男性教師だが、父はその成績を承知で彼を雇っているらしい。

 雇用主が納得していて、私に害がないのなら、これ以上突っこむのも野暮というものだろう。

 

 ……どうしようかな?

 

 まだ三歳なので、なにを言っているのか解りません、ととぼけることは可能だ。

 年齢的に幼児よりも赤ん坊にまだ近い。

 気まぐれや頓珍漢な言動をしても、天邪鬼を発揮しても、そこは許されてしかるべきである。

 

 ……今のルーナティ王国って、跡継ぎは当主の息子って決まってないみたいなんだよね?

 

 決まっていない、は正しくはない。

 跡継ぎは男子、と性別はほぼ決まっている。

 が、これぞ、という息子が当主にいなかった、あるいは息子が生まれなかった時は、当主の娘の産んだ孫息子が、息子の頭を飛び越えて次期当主となることがある。

 

 この例が、今生の我が家だ。

 

 当主である祖父のフィリップには息子が生まれなかった。

 そのため、暫定的に母のフェリシテが領政を祖父から学んでおり、ゆくゆくは母に支えられて孫のテレンシオが跡継ぎとなる。

 

 あくまで現在の予定だ。

 

 魔法を使えるという私の存在に、祖父が気まぐれを起こさないという保証はない。

 自分の子どもの代を飛び越せるのなら、孫の代を飛び越し、孫娘わたしの産んだ男児に跡を継がせてもいいだろう、と。

 

 ……跡継ぎが生まれるまで家に縛り付けられそう。

 

 それは嫌だ。困ってしまう。

 私はアレス王子の解呪を成すため、いつかは出奔して旅立つのだ。

 

 ……そう考えると、お兄ちゃんには是非、魔法を使えるようになってもらわないと?

 

 魔法を使うためには才能が必要となる。

 現在のルーナティ王国ではこう考えられているようだが、実際のところは違う。

 黒髪の人間が一般的であることからも判るが、才能という点でいうのなら、この国には魔法を扱う才能のある人間がゴロゴロとしていた。

 ただ、魔法というものが近代になって認識されるようになった、ということで、技術・学問として十分な研究がされていない。

 そのせいで、たまたま発動のきっかけを掴めただけの人物が『魔法を扱う才能がある』と受け取られているだけの状態だ。

 

 ……魔力だけなら、お父さんにもあるしね。

 

 【人物鑑定】で父のピーテルを覗いた時、彼にもしっかりとMPの項目があった。

 この数字に大小はあるが、今のところ0の人間は見たことがない。

 ということは、この世界で魔法はやはり誰にでも使えるものなのだろう。

 

 重要になってくるのは、最初のきっかけだ。

 これさえ掴めれば、魔法は誰にでも操れるようになる。

 

 ……きっかけを与えることぐらいはできる。私も前世でそうやって教えてもらったし。

 

 テレンシオにきっかけを与え、子どものうちから魔法の扱いに慣れさせておくのは、いいことかもしれない。

 将来的に、私が家に縛り付けられないためにも。

 

 ……でもなぁ。

 

 テレンシオが魔法を使えた方が、将来的に都合がいいとは思うが。

 勉強部屋から閉め出された時の恨み――とまでは言わないが――意趣返しはまだしていない。

 テレンシオの学びを私が助けることは、なんとなく都合が良すぎる気がするのだ。

 

 ……せめて一日ぐらいは焦らしてやりたい。

 

 ぷくっと頬を膨らませたところで、タイミングよくミーサが図書室から戻って来た。

 

「お嬢様、神話のご本をお持ちいたしました」


「……っ!」


 神話の本、という単語を聞いて、私の中ですべてが頭の片隅へと追いやられてしまう。

 テレンシオへと意趣返しをしてやりたい気持ちも、逆に魔法のきっかけを与えた方がいいという気持ちも、はるか彼方だ。

 

「はやく、はやく! ミーサ、はやく、ごほんよんで!」


「え? ええっと……」


 部屋の入り口に立ち、ミーサは本来部屋にいるはずのないテレンシオと男性教師の姿に動きを止めている。

 空気を読まずに登場してしまったか、とミーサが内心で焦っているのはわかるが、無視だ。無視。

 ミーサは私の子守として行動しているので、むしろ空気を読まない闖入者はテレンシオと男性教師の方である。

 

 ミーサの手をとり、日当たりの良い窓辺へと移動する。

 アレス王子のお話を読んでもらう以上に、幼児の私に大切な用事はない。

 テレンシオについてなど、考えることは全部後回しだ。

 

「おにいちゃん、おかえりはあちらです」

 

 これはサービスだ、とでも言うように、光で蝶の姿を象り、テレンシオの目の前へと浮かび上がらせる。

 ひらひらと舞う光の蝶は、テレンシオの頭上を三周まわると、帰り道を案内するように部屋から廊下へと移動した。

 

「わ、あ……」


「これは……っ! こんなに繊細な魔法は見たことがない」


 光の蝶を追って、男性教師の視線が動く。

 兄も光の蝶に気を取られていたが、すぐに当初の目的を思いだしたようだ。

 

「なんで魔法が使えるんだ? どうして? どうやって?」


「そうです! このように繊細な魔法、幼児がどうやって……っ」

 

 早く部屋から出て行け。

 最初の目的を果たしてやれば、用はないだろう。

 そう思って魔法を披露してやったのだが、逆効果だったようだ。

 テレンシオと男性教師に食いつかれ、余計に周囲が騒がしくなってしまった。

 

「ミーサにごほんをよんでもらうじゃまです!」

 

 私が文字を覚えたくて勉強部屋を訪ねた時は追い出したくせに、と舌を出す。

 少し虫が良すぎる、と。

 

「部屋から追い出したって……レティがまだ赤ちゃんだった頃の話じゃないか。……覚えてるのか?」


「されたいじわるは、ぜんぶおぼえてますよ!」


 意地悪をした側は忘れているようだが、と嫌味も追加する。

 あの時のギャン泣きは、なんだったら産声よりも大きかった自信がある。

 

「……部屋から追い出したのは最初だけだろ」


「3かいおいかえされました。そのあと、ミーサだけへやにいれたりもしました」


「赤ん坊が勉強をしたがってるだなんて、思わなかったんだ」


「しりませんよ。3かいはおいかえしてあげます」


 ツンっと顔を逸らすと、テレンシオは食い下がってきたが、男性教師の方が兄を押し止めはじめた。

 嫌がる幼児に無理強いはできない、と。

 さすがは家庭教師を職としている者。

 子どもの扱いは解っているらしい。

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