第10話 兄の魔法の家庭教師

「ミーサ、おべんきょうのじかん」


 三歳ともなると、多少響きは頼りないが、言葉を話せるようにもなる。

 そろそろテレンシオと勉強をする時間だろう、と指摘すると、ミーサは少しだけ残念そうに微笑んだ。

 

「テレンシオ様は今日から魔法を学ばれるのですよ。ですから、私がご一緒できたのは昨日までです」


「まほう……?」


「はい、魔法です」


 魔法はまだ極一部の人間しか使えない特別な力なので、教えることができる教師の数も限られている。

 そのため、魔法を教えられる家庭教師は人気で、テレンシオに魔法を教える家庭教師も、昨日までの女性ではないようだ。

 

 ……それはお兄ちゃんもガッカリだね。

 

 兄テレンシオの初恋は、私が一歳の誕生日を迎える頃には、家庭教師の女性へと心変わりして終った。

 どうもテレンシオは、年上好みの性癖をしているらしい。

 当時七歳――六歳か?――にして妙齢の女性家庭教師に恋心を抱くのだから、彼の将来が不安だ。

 

「ミーサはまほう、べんきょうしないの?」


「もともと私の勉強はおまけでしたから。魔法までは旦那様もお許しになりません」


 ……あ、なるほど。

 

 察するに、貴重な魔法を教えることができる家庭教師に支払う授業料は、やはりお高いのだろう。

 それを子守ナースメイドとはいえ、使用人にタダで学ばせてやるのは面白くない、ということだ。

 

 ……それにしても魔法の授業か。

 

 どんなことを教えてくれるのだろうか。

 少し興味がわいたので、監視カメラ的魔法改め【障子の目】をテレンシオの勉強部屋へと放つ。

 勝手知ったる我が家だ。

 家の中なら、遠隔で魔法を操れるようになった。

 

「……それで、お嬢様はこれからの時間をどう過ごされますか? やはり、いつものようにお昼寝をなさいますか?」


「ごほん、よんで」


 勉強をする時間がなくなったのなら、子守メイドとして私と遊ぶのがミーサの仕事だ。

 ミーサの正式な仕事なのだから、私が読み聞かせを求めることにはなんの問題もない。

 

「では、図書室から本を……」


「しんわのほん! アレスさまのおはなし、よんで!」


「アレス様、ですか? お嬢様は本当にアレス様がお好きですね」


 ミーサは『アレス様』と普通に呼んでいるが、これは私の影響であり、ミーサが神話の勇者の名前を知っているわけではない。

 というよりも、神話の勇者や英雄に名前がある、というあたり前の感覚が少し欠けていた。

 神話に出てくる登場人物など、ミーサにとっては『物語の登場人物』でしかないから当然のことだろう。

 

 もちろん、神話には名前付きで登場してくる勇者や英雄もいる。

 しかし、アレス王子の場合は当時から軍神ヘルケイレスと混同されていたことから、軍神ヘルケイレスの神話と統合されて、アレス王子の名前は残っていなかった。

 

 ミーサの言う『アレス様』も、私が『神話の勇者に勝手につけた名前』というぐらいの認識だ。







 図書室から本を取ってきます、というミーサを見送って、テレンシオの勉強部屋の様子を瞼の裏に映す。

 今日のテレンシオは、年相応の少年といった様子だ。

 初めてらしい魔法の授業が、楽しみで仕方がないのだろう。

 

 ……お?

 

 ピコン、と小さな音をたて、新しい家庭教師の頭上に赤いびっくりマークが浮かび上がる。

 【人物鑑定】を運命の神スーリディンがアップデートしてくれた時に追加された、おまけ要素だ。

 運命の神スーリディンが私に知らせたいことがある時に、このびっくりマークが表示される。

 

 ……この家庭教師せんせいを調べろってこと?

 

 あまり他者を断りなく鑑定するのはどうなのだろうか。

 そう考えて、普段はそれほど積極的には使わない【人物鑑定】だったが、神が調べろと言うのだ。

 なにかあるのだろう。

 

 ……あー。

 

 鑑定結果を見て、合掌する。

 目を閉じておとなしくミーサを待つ私が突然動き、乳母ナニーが少し驚いていた。

 

【名前】ドム・マッケンジー

【レベル】12

 HP 75/78

 MP 12/12

【職業】家庭教師

【称号】高名な魔法学者

【プロフィール】ピーテルの雇ったテレンシオの家庭教師。その授業内容は魔法を教えることだが、当人は魔法を使えない。

 つまりは詐欺師である。

 

 ……わぁ、お父さんよりレベル高ーい。

 

 あまりにもがっかりな鑑定結果に、他所事を考えてみる。

 運命の神スーリディンが私に伝えたかったのは、この「つまりは詐欺師」の部分であろう。

 ご丁寧に、ここだけ太字だ。

 

 ……魔法の使えない魔法の先生って、なんなんだろうね?

 

 これは誰かに報告をしておいた方がいいのだろうか。

 そうは思うが、とりあえずは棚に置いておく。

 魔法が使えなくとも『高名な魔法学者』だなんて称号が付いているのだ。

 それなりの知名度や信頼はあるのだろう。

 

 ――先生、上手くできません。僕には才能がないのでしょうか。

 

 ――まだ感覚が掴めていないだけですよ。テレンシオ様は、本日から魔法を学び始めたばかりではございませんか。

 

 ――ですが……。

 

 ――そういえば、テレンシオ様の妹君は、生まれてすぐに魔法を使った天才児だとか。

 

 ――……父がそう言っているだけです。

 

 ……お?

 

 テレンシオの授業風景を覗いていると、なにやら会話がおかしな方向へ進みはじめた。

 最初は瞑想かなにかをして集中しているようだったのだが、今は私の話題にかわって、テレンシオが不愉快そうに眉間に皺を作る。

 

 この二年と少しで判ったのだが、初めて勉強部屋へと突撃した時にテレンシオが私に対して塩対応だったのは、ミーサを取られたということを別にしても、私のことが嫌いだったからだ。

 というのも、例の失敗して強く光らせすぎてしまった魔法のせいで、父は私に魔法の才能がある、と大喜びでしばらく私の部屋へと入り浸っていた。

 これはまずいか、と父の前で魔法を使ったのは最初の一回だけだったが、貴族というものは、親子であってもそうは顔を合わせないものらしい。

 

 にもかかわらず、生まれたばかりの妹のもとへと父親が頻繁に顔を出していると聞けば、六歳の少年が不快に思うのは仕方がないことだっただろう。

 

 ……父のせいで今生のお兄ちゃんに嫌われてるって、微妙。まあ、いいけどねー。

 

 テレンシオは私を嫌っているが、だからといって排除しようとはしてこない。

 暴力を振るってくるわけでも、意地悪をしてくるわけでもないので、嫌われていても問題がないのだ。

 

 というよりも、テレンシオはおそらく本心ではわたしのことが好きだと思う。

 少なくとも、ほとんど顔を合わせない貴族の兄妹間にしては、私を気にかけていることは確かだ。

 

 時々顔を合わせるとツンっと顔を逸らすのだが、すぐにばつの悪そうな顔をして後悔していることを知っている。

 おそらくは、妹は気になるが、父の関心を奪った妹の存在が面白くない、という感情と板ばさみになっているのだろう。

 こればかりは、テレンシオの中で折り合いが付くまで待つしかない。

 

 ――僕はレティが魔法を使っているところなんて、一度も見たことがありません。

 

 ……あれ? お兄ちゃん、私がいないところでは、私のこと愛称で呼んでるの?

 

 あと、魔法はわりと頻繁に使っている。

 例えば、今まさにテレンシオの勉強部屋を魔法で覗き見していた。

 

 ―― 一度、見てみたいものですね。

 

 ……おい、家庭教師。魔法が使えない詐欺師だってばれるぞ!?

 

 少し拗ねた様子のテレンシオに気付かないのか、家庭教師は私の話題をまだ続けるつもりらしい。

 言うにことかいて、私の魔法が見たいとか言い始めた。

 

 ――そうだ! 本当にレティが魔法を使えるのか、レティに魔法を使わせてみよう!

 

 ……うえぇえええぇ!?

 

 なんでそうなるのか、と頭を抱えて悶絶する。

 乳母が心配そうにしているが、構っていられるか。

 テレンシオの考えていることが、私にはまるで理解できなかった。

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