第9話 真夜中の個人勉強

「いいか、さわぐなよ? 絶対に僕たちの勉きょうのジャマをするなよ?」


「テレンシオさま、レティシアさまにはまだなにも解りませんよ」


 ……けっこう解ってるつもりだけどねー。

 

 けれど、そんな複雑な言葉はまだ話せないので、「はい」と元気のいい返事をかえす。

 

「あい!」


 「はい」と応えたつもりなのだ。

 一応は。

 

「むふー」


 喜びが興奮となって、口から妙な溜息が漏れる。

 

 テレンシオの中でどんな心境の変化があったのか、今日の勉強部屋の中には子ども用の椅子が三脚用意されていた。

 一つはもちろんテレンシオのもので、二つ目はミーサのために用意されていたものだ。

 

 そして、最後の三つ目は――私のために用意された椅子だった。

 ご丁寧に、高さを調節するためのクッションが三つも積まれている。

 

 ……お兄ちゃん、いい子! 大好きっ!

 

 現金なやつめ、と笑いたければ笑うがいい。

 テレンシオが私に対する態度を改めたのだから、私もテレンシオに対する態度を改めただけである。

 兄妹なのだから、仲違いしていても良いことはない。

 

「……では、ミーサも加わるということで、本日の授業はテレンシオ様の復習といたしましょうか」


 家庭教師のこんな仕切りで始まった授業は、私にとって都合がいいことに、読み書きの授業だった。

 それも、現在のルーナティ王国で使われている文字を覚えるところからだ。

 

 ……ミーサを乗り込ませて正解だった!

 

 これで現代いまの本が読めるようになる、と集中して授業を受ける。

 少し大きめの塗板こくばん白墨チョークを使っての授業は、とても解りやすかった。







 ある程度文字が読めるようになると、テレンシオの勉強時間にはミーサだけを送り出し、私はその時間を昼寝にあてた。

 勉強部屋へと一人で向かうミーサをぐずりもせずに見送ると、ミーサは不思議そうにしていたが、乳母ナニーは「勉強『ごっこ』に飽きたのだろう」と笑っていた。

 普通、本気で乳幼児が文字を覚えるために勉強をしていた、だなんて考えはしない。

 

 昼間これでもかと惰眠を貪り、深夜になるとこっそりと図書室へと忍び込む。

 文字が読めるようになると、図書室は宝の山も同然だ。

 

 ルーナティ王国は、やはり千年前にもあったルーナティを起源とする国だったらしい。

 昔はソル・イージスにちゃっかりとくっ付いた小さな国だったと記憶しているが、上手くやったようだ。

 

 ……アレス様がいなくなったあとのソル・イージスは、散々だったしね?

 

 当時アレス王子は軍神ヘルケイレスの寵児と持て囃されて、勇者として有名な王子だった。

 そのアレス王子が魔王討伐に出され、帰らぬ人となっている。

 その一報をソル・イージスへと持ち帰ったのはリディだが、アレス王子なきソル・イージスなど敵ではない、と隣のソル・ノマル国、逆隣のソル・ハド国から侵略を受けたのだ。

 

 ……アレス様のお父さん、いばりんぼで嫌われてたからね。

 

 アレス王子という最強の武力をかさに着て、アレス王子の父王は周辺国に対する態度がよろしくはなかった。

 ソル・イージスを含む、名に『ソル』と太陽神の名をいただいた四つの国は、互いに対等な立場である、とほかならぬ太陽神ソルヴァーユから定められていたというのに、だ。

 

 ……このあたりまでは、まだソル・イージスの近くにいたから知ってる。

 

 ただし、これ以降の話はあまりよく知らない。

 それというのも、アレス王子の解呪方法を求めて世界中を旅しはじめ、祖国のことなど構っていられなかったのだ。

 

 ソル・イージスを攻めるソル・ハド国の背後から、ソル・トーメア国が侵攻し、四国は泥沼の戦国時代に突入した。

 その後、各国が疲弊しきったところへとルーナティ国が攻め込んで、現在のルーナティ王国が誕生したようだ。

 ルーナティ王国はおよそ千年続いていることから、周辺国からは『千年王国』とも呼ばれているらしい。

 

 ……ルーナティの祖がルーナティ王国を作った、って言うんなら……やっぱり私の顔がメリヤ様に似てるのって、血かな?

 

 杖爵というものは、どのぐらい王族と近いのだろうか、と大まかな歴史の次にルーナティ王国の爵位についてを調べてみる。

 乳母とミーサ、そのほかたまに見かける使用人の会話からある程度察してはいるが、まだなんとなくしか理解していない。

 

 ……ええっと……今生の私レティシアは杖爵家の二番目、だったよね。

 

 改めて調べてみると、やはり杖爵というものは日本で知った公爵や侯爵に近い。

 ルーナティ王国の爵位は大雑把に三つあり、杖爵はその一番上だ。

 王族の次に偉い。

 杖爵の下が忠爵で、その下は華爵というものがある。

 上・中・下、と実にわかりやすい。

 

 ……私、今生は貴族でもかなり高位な家に生まれたんだ。杖爵の娘って、つまり公爵令嬢みたいなもの……?

 

 これは将来、旅に出たいと言い出した時に問題が起こりそうだ。

 そういえば、父が魔法を使える私に対し、将来的に国の役に立つとかなんとか言っていた気もする。

 

 ……お貴族さまの政略結婚に使われて、国から出られない未来とか、のーさんきゅーすぎるよ。

 

 これはなにか対策を考えた方がいいかもしれない。

 

 読み終わった本を本棚に戻していると、ふと視界の端で何かが動いた気がし、そちらへと顔を向ける。

 何かが動いた気がしたのは気のせいではなく、そこには壁にはめ込まれた鏡があった。

 鏡に映った自分自身が、『なにか動くもの』の正体だ。

 

 ……見た目だけでも、政略結婚に使われそうだよね、この顔。

 

 改めて見る今生の私の顔は、本当に可愛い。

 まだ乳幼児だというのに、将来美人になることが疑いようもない顔つきだ。

 この顔でなら、『杖爵の娘』という看板がなくても政略の駒になりえるだろう。

 

 ……前世リディは地味な感じだったんだけどなぁ?

 

 リディは茶色の髪と茶色の瞳をした、実に地味な容姿をしていた。

 自分のことなので、と少し評価を甘めにしても、中の下といった容姿だ。

 美しすぎるアレス王子の視界に自分の見苦しい顔が入ることが嫌で、よくアレス王子に貰った外套ローブを目深く被っていた。

 そうすると、アレス王子は決まってリディの外套を捲り――

 

 ……目が見えないだろう、ってちょっと拗ねるんですよね、アレス様。

 

 地味で、少しずれた性格をした、面倒なリディのどこをアレス王子は気に入ってくれたのか。

 そう、ずっと疑問に思っていたが、さまざまな世界に転生し、いろいろな視点を得た今なら、なんとなく判る。

 

 軍神ヘルケイレスの寵児と謳われたアレス王子は、その武力を実の父親からも恐れられていた。

 同じ王族、同じ家族であっても、彼らはアレス王子と正面から向き合い、顔を見て会話をするようなこともなかったはずだ。

 だからこそ、常識知らずのリディをアレス王子は傍に置いたのだろう。

 自分と目を合わせて話せる、数少ない人間を。

 

 ……あれ? でも、アレス様って、私の外套を捲るのと同じぐらいの頻度で、外套を被せもしたよね? なんで?

 

 目を合わせて話したいのなら、外套を被せるのは少しおかしい。

 生贄として捧げられた大亀の泉周辺の村でなら顔を隠す必要もあったかもしれないが、アレス王子について人里へとおりたあとはほとんど王都周辺にいた。

 生贄の顔を知っている人間など、王都には一人もいなかったはずなのだ。

 

 おそらく、千年前の世界で私の顔を知っているものなど、アレス王子を除けば大亀とメリヤ王女ぐらいであろう。

 メリヤ王女には、一度強引に外套を捲くられたことがある。

 いつもアレス王子の傍にいる私が、婚約者として気になったのかもしれない。

 

 ……久しぶりに、アレス様の夢を見たいな。

 

 もう千年以上見ていない主人アレスの顔を思い浮かべ、図書室をあとにする。

 

 何度生まれかわっても。

 どれだけ時が流れても。

 私はアレス王子の小間使いだ。

 

 アレス王子は運命スーリディンを嫌っていたが、運命リディはアレス王子の味方でいたい。

 私だけは、最期まで、絶対に。

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