第8話 兄 VS 妹 2
勉強部屋の扉は開かれたが、
扉の前で締め出された私は、見事に破れた目論見に、その場でギャンギャンと泣いてやった。
赤ん坊だから、意地悪をされたら泣いてもいいのだ。
勉強部屋の前での
まだ正確に発音できなかったが、「ミーちゃ」とミーサの名前を呼んだら、勉強部屋の中からミーサが飛び出して来た。
父母の名前よりも先に自分の名前を呼んだ、と驚きながら。
すぐにテレンシオがミーサを連れ戻しに飛び出して来たので、その脛へと蹴りを食らわしたら、私の方が転んでしまう。
幼児の頭は大きいので、足を高く上げようとしたらバランスを崩してしまったのだ。
「お、お、あおーっ!」
お兄ちゃんのアホ、と叫びたいのだが、言葉になってくれない。
赤ん坊とは、どうしてこうも言葉が不自由なのだろうか。
ギャンギャンと絨毯の上で泣き喚いてると、乳母に抱き上げられて回収された。
マーサの肩越しに、ミーサまで一緒に回収されているのが見える。
さらに後ろにいるテレンシオは、せっかくのミーサとの逢瀬がふいになり、呆然としていた。
……いい気味だよ! 私から餌だけ取り上げようとか、千年早い。
自室のベビーベッドに戻されると、むしゃくしゃとしたので布団の中へと潜り込む。
まさか、私とセットのはずのミーサだけを取られるとは思わなかった。
これはまた別の手を考える必要が出てきたようだ。
……ってか、もう勉強部屋の場所は判ったし、監視カメラ的な魔法を設置して、授業を傍受するとか?
おむつで丸々としたお尻だけ出して、布団の中で思考する。
いい感じの暗闇と温もりに、泣いて暴れたこともあってかすぐに睡魔がやってきた。
「あの、お嬢さま……?」
翌日、近頃は毎日のように兄の勉強部屋を訪ねていた時間になると、ミーサがもじもじと体を動かしていた。
今日は部屋の外へ散歩にいかないのか、と私を促しに来たのだろう。
散歩自体は体力づくりとして続けていくつもりなので、ミーサの誘いにのって部屋を出る。
ただし、向かう先は兄の勉強部屋とは別の方向だ。
「あ、あれ? お嬢さま? そっちは、テレンシオさまのお部屋じゃあ……」
「ちゃい」
兄はもういい。兄は嫌いだ。
そう言いたいのだが、私の口から出る言葉は単純なものだけだ。
ただ、否定的な響きだけはミーサにも通じた。
ミーサは私の声を聞くと。小さく溜息をもらす。
……あれ?
そういえば、とふと足を止めてミーサを見上げる。
ミーサは私と目が合うと、慌てて表情を繕った。
悲しげな顔を、微妙な苦笑いへと。
とてもではないが、八歳の女児が浮かべる笑みではない。
……あ、そうか。そうだ!
ミーサは私付きの
ミーサは八歳で、本来雇われた理由であるテレンシオは二つ年下だ。
そのテレンシオのために最近になって家庭教師が付けられた、ということは、ミーサの読み書きも一緒に教えることになっていた可能性がある。
テレンシオの子守メイドということは、遊び相手も兼ねていたはずだ。
そうなると、勉強仲間を兼ねていても不思議はない。
昨日はミーサが兄の勉強へと誘われていて、そのまま勉強部屋へ入る流れになっていた。
テレンシオに誘われて勉強部屋へと入るミーサを、乳母が止める様子もなかった。
ということは、乳母の中でもミーサがテレンシオとともに学ぶ、ということは織り込み済みだったのだろう。
テレンシオの家庭教師が、子守メイドの入室を拒む気配もなかった。
あの場でミーサが勉強部屋へと入っていくのを止めたのは、私だけだ。
乳児で、赤ん坊で、この家で一番の新入りの私だけ。
……ダメじゃん、私! 父のせいでミーサが勉強できなくなったのに、今度は私のせいでミーサが勉強できなくなってる!
これではダメだ、と体の向きを変える。
目的地は、昨日までと同じテレンシオの勉強部屋だ。
……私を締め出そうとしたお兄ちゃんはムカつくけど、それとミーサは別だもん。
ここは私が大人になって、と乳幼児として実に間違ったことを考えながらミーサの手を引っ張って兄の勉強部屋へと向かう。
私を締め出すことは許せないが、ミーサの学ぶ機会を奪うのは話が別だ。
さまざまな世界へと転生したおかげで、私は教育の大切さを知っている。
その大切な教育から、女の子が遠ざけられがちであることも知っている。
だからこそ、私の内心はどうあれ、ミーサの学ぶ機会を私が奪うわけにはいかなかった。
……とはいえ。
なにか面白くないことに違いはない。
テレンシオの勉強部屋の前に陣取って、ムスッと唇をへの字に結ぶ。
ミーサには学ばせてあげたいが、私を締め出したテレンシオが喜ぶのはなんとなく面白くないのだ。
……くぅううぅぅぅううぅぅぅうううっ!
ノックをするのは癪だったので、ゴツッと扉を蹴ることにした。
ら、見事にバランスを崩してひっくり返って転んだ。
天罰覿面である。
「お、お嬢さま!」
「う~」
……泣きませんよ!? ちょっぴりしか痛くありませんからね!?
幼児の体は柔らかいので、転んでも意外に痛くない。
ついでに、今生の家はどこもかしこも――すくなくとも私の行動範囲は――ふかふかの絨毯が敷いてあるので、そちらの意味でも衝撃は吸収してくれていた。
「あ……」
ミーサに助け起こされていると、小さくドアが開かれる。
ドアとドアの隙間から、テレンシオの緑色の瞳が見えた。
「……けっ」
なぜか、舌打ちだけは正確に口から出てくれた。
が、誰も幼児が舌打ちをするだなんて思わないらしく、私の微妙な気分には気付いてくれない。
……まあ、いいけどね。
ムスッとテレンシオと睨み合ってから、ドスっともう一度扉を蹴ったらコロリと後ろにひっくり返った。
この体は、足技にむかない。
ミーサが慌てて助け起こそうとしてくれたが、ミーサに起こされる前に自分でムクリと――コロリとではない――起き上がる。
「お、お嬢さま……?」
「んー」
テレンシオを無視して、ミーサの背後へと回り込む。
そのまま足に抱きつくようにして、ミーサを勉強部屋へと押し込んだ。
これで私の気持ちは判るだろう。
非常におもしろくはないが、ミーサの学ぶ機会は大事だ。
プクッと頬を膨らませ、勉強部屋と廊下の境界線へと座り込む。
ミーサをテレンシオに返すつもりも、独り占めさせるつもりもないが、ミーサの勉強の邪魔をするつもりもないのだ。
……や、待てよ? 扉の前で魔法使って、聴覚強化したら授業内容が判るんじゃない?
視覚については、監視カメラ的な魔法を勉強部屋へと使えばいい。
テレンシオの授業時間は扉の前に張り付いているためにわかる。
玄関の監視とは違い、四六時中魔法の存在を意識していなくてもいいのだ。
……これでいいじゃん! 問題解決?
テレンシオの態度には腹が立つが。
父の気まぐれのせいで、もともとテレンシオ付きだったミーサを私が取りあげる形になってしまっていることを考えれば、譲歩すべきなのは私の方だろう。
「お?」
問題解決、と気持ちが持ち直したところで、寄りかかっていた扉が大きく開く。
コロリと体が後ろに転がって、私まで勉強部屋へと転がり込んでしまった。
見上げた先で、こちらも微妙な顔をしたテレンシオの緑色の瞳と目が合う。
しばし無言で見つめ合うと、テレンシオはツンっと顔を逸らした。
睨み合いは私の勝ちらしい。
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