第7話 兄 VS 妹 1

 ようやく兄テレンシオの勉強部屋を発見したので、と勉強時間を狙って突撃した。

 

「おー」


 まだ意味のある単語は難しいが、気分としては「たのもー」と気合を入れた道場破り的な挨拶だ。

 この突然の乱入者に、テレンシオと家庭教師は目を丸くして驚いた。

 

「ああ! ダメですよ、お嬢さま! テレンシオさまはおべんきょう中なんですからっ!」


 すみません、と私の肩を掴まえて、子守ナースメイドのミーサが兄と家庭教師に頭を下げる。

 これも考えるまでも無く当然のことだったが、私が兄の勉強部屋に突撃すれば、子守メイドのミーサが責任を問われる可能性があった。

 業務内容の子どもの制御を怠った、と。

 

 ……ありゃ? また失敗?

 

 さて、どうしようか? とテレンシオを見上げたまま考えていると、テレンシオの翡翠色の瞳は私とミーサの間を上下する。

 私を見て固まっていたテレンシオは、ミーサには反応らしい反応を見せた。

 

「ミーサ……」


「申しわけございません、テレンシオさま! お嬢さまは、ほんんんんんんんんんとうに、お元気がすぎまして……」


 ちょっと『ん』に力が込められ過ぎているところが気になるが。

 頭上で始まったミーサの謝罪と、なんだか微妙な反応を返しているテレンシオをジッと観察する。

 

 兄のテレンシオは、六つ年上の美少年だ。

 髪の色は母と同じ黒に近い紺色をしている。

 瞳の色は私と同じ緑色なので、もしかしなくても兄にも花の女神メンヒリヤの加護があるのかもしれない。

 それぐらいに、現時点ですでに兄は美少年だった。

 

 そんな兄が、ミーサを見てわずかに頬を赤らめている。

 どうやらミーサは、テレンシオの『初恋のきみ』だったらしい。

 ほう? と俄然興味が湧いたところで、テレンシオの視線が私へと下りてきた。

 

 キッと、あまりよろしくない感情を含ませて。







 勉強の邪魔だ、と兄に部屋から追い出されてしまえば、今の私にはどうすることもできない。

 赤ん坊のふりをして「なにを言われているか理解できません」と居座ることもできた気はするが、そんなことをすればミーサの立場が悪くなる。

 子守として私に付けられているだけのミーサが、だ。

 

 それはさすがに私も嫌だったので、素直に引いておく。

 ただ、兄と一緒にいたかったのだ、と演出するために、がっくりと肩を落として俯いて自室へと戻った。

 

「テレンシオさま、ごきげんななめでしたね。いつもはお優しい方ですよ」


「おべんきょう中に行ったのが悪かったんですね。今度はお休みしている時に会いに行かれますか?」


「えっと……」


 落ち込む私を励まそうと、ミーサが一人でテレンシオについてのフォローを続ける。

 これらを聞いて察することができたのだが、テレンシオがほとんど交流のない私に対して悪感情を持っていたのは、ミーサが原因だ。

 

 より正確に言うのなら、父が悪い。

 

 ミーサはもともと、兄テレンシオの子守メイドだったらしい。

 テレンシオより二歳年上のミーサは、遊び相手を兼ねる子守メイドとしては、私に付けられるよりも兄の方が年齢が合う。

 それなのに、父の思いつきによりミーサは妹の私付きの子守メイドとして移動させられた。

 自分のおやつを分けるとか、花壇の花を摘んで捧げるだとか、ミーサに対してわかりやすい好意を発露していた六歳の少年が、これを快く受け入れるわけがない。

 

 ……私、馬に蹴られて死にたくないよ?







「……また来たのか」


「すみません、すみません、すみません」


 なんとかテレンシオを懐柔できないだろうか、と連日兄の勉強部屋へと押しかけてみる。

 普通に考えて、幼児のすることとはいえ迷惑行為だ。

 私も、三回目まではそう思っていたのだが。

 

 ……よく考えたら、肉親でも滅多に顔を合わせない家だもん。私が来れば、自動的にミーサも付いて来るって、解るよね。

 

 テレンシオは迷惑そうな顔を作ってはいるが、頬は緩みそうになるのか、時折引きつっている。

 私のおまけとはいえ、ミーサに連日会えるのが嬉しいのだろう。

 

 ……この兄、攻略チョロすぎでは?

 

 そうは思うのだが、頭上で交わされる会話はいい感じだ。

 ミーサがテレンシオの子守メイドとして雇われた時、ミーサの読み書きの勉強も兄と一緒に、という話があったらしい。

 それが突然ミーサが私付きとなって、話が立ち消えていた。

 これではミーサの勉強が遅くなってしまう、というような話を、もっともらしい顔を作ってテレンシオが言っているが、兄の背後に立つ家庭教師は苦笑いを浮かべている。

 この家庭教師も、兄の初恋からくる行動に気が付いているのだろう。

 

 ……まあ、どうでもいいや。ミーサのおまけで部屋に入れてくれたら。

 

 部屋へと入れてもらえれば、あとはこちらのものだ。

 授業妨害などする気はないので、おとなしく家庭教師の授業を拝聴させていただくだけである。

 

 ……さあ、勉強部屋の扉よ! 開け、ゴマ!

 

 私にも読み書きを教えてくれるがいい、と勝利を確信して得意満面で部屋の前に立つ。

 テレンシオはミーサに「一緒に勉強をしよう」と誘い、ミーサも嬉しそうにしている。

 ミーサは私が気になるのかチラチラと視線を下ろしてくるが、私のことなど気にせず部屋に入るがいい。

 むしろ私はミーサにくっついていくという体裁をとって、勉強部屋に侵入を果たすつもりだ。

 

 さあ、早く。

 早く勉強部屋へ入るが良い。

 

 そう期待を込めてミーサを見上げると、ミーサも決心がついたようだ。

 差し出されているテレンシオの手に自分の手を重ね、勉強部屋へと足を踏み入れ――無情にも私の目の前で扉は閉められた。

 

 ……なぜにっ!?

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