第6話 突撃、同居のお兄ちゃん

 さて、現代の文字を学ぶためにはどうしたらいいだろうか。

 さすがに幼児のあうあうトークを駆使して『勉強がしたい』と訴えたところで、聞き入れられはしないだろう。

 そもそも、本人がどう言ったところで、オムツも取れていない幼児が勉強を理解するとは考えられないはずだ。

 

 ならば、と私が目を付けたのは、六歳年上の兄テレンシオである。

 母同様に没交流の兄だが、文字を学ぶために家庭教師が付けられたと乳母ナニーとミーサが話していた。

 

 ……突撃、同居の肉親おにいちゃん

 

 子守ナースメイドのミーサをお供に、今日もトテトテと廊下を走る。

 テレンシオの部屋の位置は知らなかったので、運動を兼ねて家中を探し回った。

 途中で力尽きて昼寝を開始してしまうと、自動的にスタート地点である自室へと乳母の手によって抱き戻されてしまうところも少し楽しい。

 楽しい。

 

「……あうっ!?」


 はっと覚醒すると、いつの間にか自室のベビーベッドの中にいた。

 どうやら今日もテレンシオの部屋を探しているうちに力尽きて眠ってしまったらしい。

 

 ……これは、そもそもの作戦を見直す必要がありそうだ。

 

 幼児の自由時間はほぼ無限にあるが、体力は有限である。

 テレンシオの部屋を見つけ出す前に力尽きて寝こけていては、首尾よく部屋を見つけた時にもまた眠ってしまうことだろう。

 それでは私の目的は果たせない。

 

 ……えっと、そもそもお兄ちゃんはこの部屋に近づいて来ないから……?

 

 むむっと真剣に考え始め、腕を組もうとしたらバランスを崩して背後へと倒れた。

 ゴチンっといい音がしたが、柔らかな布団が敷かれたベビーベッドの中なので痛くはない。

 痛くはないのだが――

 

「ああ! お嬢さま、だいじょうぶですか!?」


 大きな音を立てて頭をぶつけた私に、ミーサが慌てて駆け寄ってくる。

 心配してくれているミーサには申し訳ないが、ここは泣き出すのが普通の赤ん坊かと考えて、少々派手に泣いてみた。

 

「ふえぇええ! えぇぇえええええっ!」


「あ、ああ……っ! えっと、だいじょうぶですよー? おけがはしてませんね? 痛かったですかー?」


 よしよし、とミーサがあやし始めたところで、乳母が私を抱き上げる。

 安定感のある抱き心地に、ゆらゆらと体を小さく揺らされると――

 

 ……って! また寝かかったよっ! お昼寝から起きたばっかなのにっ!

 

 恐るべきは、乳母マーサのあやしテクニックである。

 昼寝から覚めたばかりだというのに、また寝落ちするところだった。

 

 というか、寝落ちした。







 ……そんなわけで、リベンジです。

 

 闇雲に家の中を走り回ってもテレンシオの部屋へはたどり着けない。

 ならば、と私は作戦を変えた。

 せっかく魔法だなんてものが使えるのだから、使わない手はないと気付いたのだ。

 

 テレンシオの部屋の位置は知らないが、玄関の位置は知っている。

 母が領地へ戻る際に、お見送りとして乳母が私を抱いて行ってくれたのだ。

 

 その玄関に、監視カメラ的な魔法を仕掛けた。

 この魔法で外から来る人物を見張れば、そのうちの誰かはテレンシオの家庭教師のはずだ。

 家庭教師の行く先を調べれば、そこがテレンシオの部屋のはずである。

 

 ……貴族の家って、意外に来客が多いんだね。

 

 赤ん坊の私の部屋へは、乳母と子守メイドぐらいしか訪れないが。

 あと、たまに思いだしたように父が顔を出すぐらいだろうか。

 

 私の部屋はこんな感じだが、ヴィレット家自体へは毎日のように来客があった。

 身なりの良い男性は貴族で、身なりは良いが腰の低い男性は商人だろう。

 ただ、貴族も商人も向かう先は父のいる応接室であることが多いので、テレンシオの家庭教師ではなさそうだ。

 

 ……というよりも、父のお客様と、家の使用人って、もしかして違う玄関使ってる?

 

 その可能性に気が付いたのは、商人の持ち込む商品に気が付いたからだ。

 料理人が食材を、洗濯ランドリーメイドが石鹸などを購入しているはずなのだが、父のところへと来る商人の商品は、宝石や絵画といった、生活必需品とはかけ離れたものばかりだった。

 

 ……玄関を見張る作戦は失敗かなぁ?

 

 作戦を見直す必要があるだろうか。

 そう考え始めたところで、家庭教師ではなく、テレンシオその人を見つけることに成功してしまった。

 よく考えなくとも、テレンシオは家の主人側の人間なのだから、母と同じ玄関を使うはずである。

 

 ……家庭教師は見つけられなかったけど、お兄ちゃんは見つけられたっぽいので、よし。

 

 終り良ければなんとやら、だ。

 テレンシオの動向を魔法で見守り、兄の部屋を見つけるついでに勉強部屋を発見した。

 兄の部屋さえ見つければ勉強中に訪ねていけるかと思っていたのだが、勉強は勉強で、違う部屋で行われていたようだ。

 さすがは貴族、といったところか。

 

 ……事前に調べるって、大事だね。

 

 兄の部屋に突撃しようとして、その場所が判らず。

 兄の部屋を見つけたら、今度は勉強は勉強用の部屋ですると知った。

 事前の調査というものは、本当に大切だ。

 

 事前調査の大切さといえば、もうひとつ痛感したことがある。

 家庭教師という職業は、使用人に分類される。

 が、家庭教師の実家の力や、当人の能力、世間からの評判、ついでに性別などでも扱いが変わり、結果として使う玄関も来客用か、使用人用かがかわってくる。

 これらにプラスして、兄テレンシオの家庭教師は使用人として、すでに我が家に住んでいた。

 これではいくら来客用の玄関を見張ったところで、見つけられるはずもない。

 

 ……貴族の家庭事情、わけがわからないよっ!

 

 兄の家庭教師は、地味な化粧を施した妙齢の女性だった。

 故意に地味な化粧をしている理由は、自分を目立たせないためだろう。

 華爵という貴族家出身のようだが、使用人は使用人だった。

 雇用主に目を付けられて手篭めになどされないよう、自衛のための化粧だと思われる。

 

 千年前と比べたら、女性の地位は向上している。

 が、日本と比べれば戦前よりも酷いと思う。

 

 子どもに読み書きを教える『程度』の仕事は女教師で十分、という考え方があるらしく、兄の家庭教師が使用人として、使用人用の棟に部屋を用意されているのはそのためだ。

 これが少し専門的な分野を教える男の教師になると、主人の住む館の方へと部屋が用意される。

 女性であっても、礼儀作法を教える高い教養をもった高位貴族家出身の女教師であれば、同様に館へと部屋が用意されるらしい。

 

 ……お貴族様、メンドクサイっ!

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