第2話 ルーナティ王国のレティシア

 今生うまれた世界を元の世界、ソル・イージス国の存在した世界だと私が考えたのは、赤子の私周辺で交わされる言葉からだ。

 少し発音が変わっていたりするものはあるが、おおむね最初から言葉を理解することができた。

 これまで生まれた世界では一から言葉を覚える必要があったのだが、今生はその点で楽ができそうである。

 

 そして、記憶にある一番古い言葉を忘れていないことにも少しだけ安堵した。

 

 転生を繰り返した弊害としか言いようがないのだが、私には記憶がありすぎる。

 そのせいで、逆になにか大切なことを忘れてしまっているのではないか、と時折不安になるのだ。

 

 ……アレス様のことは、顔も、声も、ちゃんと覚えてる。

 

 赤子の視界ゆえ、まだはっきりと物を見ることはできなかったので、瞼を閉じてアレス王子の姿を思い描く。

 

 初めて出会った日のアレス王子は、まだ少年だった。

 黒髪に、王族の血筋であることを示す金色の目をしていた。

 当時の私に王族=金色の目という知識はなかったが、王族というもの自体よく解っていなかったので、目の色について知っていたとしても、アレス王子に対する態度は変わらなかっただろう。

 ただ普通に、少し年上の男の子が目の前に現れた、ぐらいにしか思わなかったはずだ。

 

 アレス王子は、そんな私が面白かったらしい。

 どこを気に入ってくれたのか、毎日のように大亀の住む泉へと遊びに来てくれるようになった。

 

 泉を離れて人里へおりるようになると、アレス王子は自分の衣を私にくれた。

 用途としては、王子の顔を隠すフード付きの外套ローブだったと思う。

 今にして思えば、王子様のお忍び用の外套だったのだろう。

 生贄として死んだはずの私が人里におりるのはまずい、と考えたのかもしれない。

 

 成人を迎えたアレス王子は、とにかく雄雄しく、美しい顔立ちの偉丈夫へと成長した。

 これには名をいただいたという軍神ヘルケイレスも喜び、軍馬を一頭贈っている。

 空すら翔る神の軍馬は、残念ながら魔王に首を刎ねられてしまったが。

 

 ……うん。アレス様のことはちゃんと覚えてる。

 

 いつもリディに向けてくれたアレス王子の静かで穏やかな微笑みを思いだし、安堵する。

 ほかのすべてを忘れてしまっても、アレス王子のことだけは忘れたくない。

 これだけは絶対に、だ。







 やりたいことも、成したいことも沢山あるが。

 赤ん坊の身では何ひとつ自由にできない。

 それはこれまで繰り返してきた転生で学んでいるので、今は素直に乳児として周囲の世話を受ける。

 

 少し視界が明瞭になってくると、最初の人生では見えなかったモノが見えた。

 神が地上に暮らしていた時代には、精霊も妖精も実在していたが、視界はこれほど明るくはなかった。

 日本での視界と、ほとんど変わらないものだったのだ。


 けれど、今見えている世界はその次の転生先、ネクベデーヴァと似ている。

 人間が魔法を操る世界ネクベデーヴァでは、魔力の流れがある場所が、今のように少し明るく見えていた。

 

 ……もしかして、ここでも魔法って使えるの?

 

 以前は神が起こす奇跡としか思えなかったが。

 さまざまな世界へと転生してきた今の私からは、魔法は人間にも操れる現象の一つだ。

 

 ……えっと、試しに……?

 

 危険のない魔法を試してみよう、と数ある前世で学んだことを試してみる。

 魔力を集めたり、体へ取り込んだり、練ったりは簡単にできた。

 では次の段階を試してみよう、と室内に光を灯し――力加減を間違えた。

 

 カッと室内を白く染めた光は、照明を目的として灯したため目を焼くようなことはなかった。

 ただ、強すぎる光であったことも確かなようで、乳児のいる部屋の異変に家人がすぐに集まってきた。

 

「お嬢様! 大丈夫ですか? いったいなにが……?」


 最初に乳児わたしを抱きあげたのは乳母ナニーだ。

 乳母と聞くとなんとなく老女を想像してしまうのだが、この乳母は母乳を与える役割も担っているので、実際には若い女性だ。

 乳児わたしの世話を仕事としているため、同じ部屋にいたのだろう。

 必要な時以外は話しかけられないし、ベビーベッドには私が落ちないよう柵がついているため、近くにいるとは思わなかった。

 

 乳母は私の小さな体を抱きしめると、室内を警戒するように壁際へと後ずさる。

 赤ん坊を預かる乳母としては満点を付けたい仕事っぷりだが、少々申し訳ない。

 驚かすつもりはなかったのだが、乳母を驚かせてしまったのは腕の中の赤ん坊こと私だ。

 

 ……ここまで強い光にする予定はなかったんだけどなぁ?

 

 力みすぎただろうか、と光量を調整してみる。

 光へと手をかざし、小さな手のひらをにぎにぎと動かしたら、室内を白く染めた光は瞬くように光量を下げ始めた。

 私の手の動きと光量の変化に気がついてくれれば、乳母も落ち着くだろうか――と思っていたのだが、私の動きに気が付いた乳母はポカンっと口を開き、その場で腰を抜かしてしまう。

 落ち着かせたかったのだが、どうやら逆効果だったようだ。

 

「どうした、なにがあった!?」


 大きな音を立てて扉が開き、三人の若い男性が部屋の中へと飛び込んでくる。

 三人のうち一人は、今生の私の父親ピーテルだ。

 

「だ、旦那様! お嬢様が……」


「レティシアがどうした? 無事なんだろうな!?」


「お嬢様、お嬢様は……」


 言葉にならない乳母の説明が待てず、父の視線が私へと落とされるのが判った。

 判ったので、大丈夫ですよ、と返事をしたかったのだが、私の口から漏れたのは「きゃう」という、言葉以前の音だけだ。

 まだ乳児なので、しゃべれないのは仕方がない。

 

「レティシアがどうした? あの白い光はなんだったのだ?」


「あの光……ええ、ええ! あの光です! あの白い光っ!」


 要領を得ない乳母の言葉に、ようやく意思のような芯が戻ってくる。

 乳母は私を抱きしめ直して立ち上がると、だいぶ光量の小さくなった白い光と私を父親へと示した。

 

「突然室内にあの白い光が現れたかと思ったら、どうもあの光をお嬢様が操られているようで……」


「なんだって? ……あの光か?」


 父と乳母の視線が室内に残された光へと注がれて、また私へと戻ってくる。

 なんとも微妙な沈黙が続いたので、とりあえず笑って誤魔化しておく。

 ここまで強い光を灯す予定ではなかったのだ。

 完全に、私の失敗である。

 

 ……今の時代、人間でも魔法使えるみたいだけど、それが普通かどうかは、まだ判らないしね?

 

 これは本当に失敗したかもしれない。

 こっそり試してみるつもりが、大騒ぎになってしまった。

 

「ほーら、お嬢様。もう一度あの光を操るところを、お父さまに見ていただきましょう?」


 小さく私の体を揺らし、乳母が私に白い光を示す。

 まだ乳児の私に乳母の言葉など判るはずがないのだが、どうしたものだろうか。

 

 光を操ることはできる。

 簡単だ。

 

 ただ、それが今生で普通のことなのかどうか、その判断をするための情報が圧倒的に不足していた。

 

「本当なんです、旦那様。本当にお嬢様があの光を……」


「私とて自分の娘が魔法を使えるとなれば嬉しいし、信じたい。しかし……判断を誤るわけには……」


 父の言葉に、おや? と引っ掛かりを覚える。

 どうやら魔法が使えることに驚きはするが、嬉しいことでもあるらしい。

 ならば、と手を振り、手の動きに合わせて白い光を動かす。

 このままでは乳母が嘘つき扱いされてしまいそうな危険もあったので、このあたりが落としどころだろう。

 

「これは……っ!」


「ほら! ほら! これです! いかがですか!? 本当にお嬢様が光を操っておられるでしょう!?」


「ああ、本当だ……、本当にっ!」


 すごいぞ、と歓声をあげながら父は乳母の腕から私の体を奪い取る。

 視界が急に回転し、ついでに高くもなって、ちょっと酔いそうだ。

 

「旦那様! お嬢様を乱暴に扱わないでくださいましっ!」


 まだ首もすわっていないのだ、と乳母が父から私を奪い返す。

 首のすわっていない赤ん坊を乱暴に抱き上げるのは危険だ、と乳母はお怒りである。

 ありがたいので、もっと言ってやってほしい。

 

「そうは言うけどな、マーサ! これは本当に素晴らしいことなのだぞ? すぐにフェリシテと領地の義父上ちちうえにも報せないと……」


「お願いですから、本当に落ち着いてくださいませ! お嬢様はまだ生まれたばかりなのですから、無事にお育ちになるとも限りません」


「むっ、そうだったな。そうだ、赤ん坊は無事に育つとは……いや、この子は必ず無事に育てなければダメだ。魔法を使える子だぞ? 将来必ず我が家の、それどころか国の役に立つ子だぞ? 死なせるわけにはいかんだろう」


 こうしてはいられない。

 乳母だけでは不安だ、と父は部屋の中をグルグルと歩きはじめる。

 どうやら私を無事に育てるため、全力で環境を整えるつもりでいるようだ。

 

 ……ソル・イージスの時代よりは文明が進んでいるみたいだけど。

 

 やはり、まだ子どもは無事に育ち難い世界らしい。

 というよりも、医療が充実した日本以外の世界に生まれると、どこもだいたい似た感じだった。

 まず最初の一年を無事に育つことが難しく、その次は三歳まで、三歳の次は五歳まで、と年齢を目標として区切られる。

 日本の七五三のようなものだ。

 生まれた子どもが、かならず大人になるまで生きられるとは限らない。

 そんな世界で確実に生かして育てたい子どもが生まれたら、親は大変だろう。

 

 ……そういえば。

 

 私を無事に育てる方法についてを模索し始めた父と乳母の会話を聞き流しながら、アレス王子について気が付いたことがある。

 この世界の魔法は神にしか扱えない奇跡だと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。

 そうなってくると、ソル・イージス最強の勇者と呼ばれていたアレス王子も、魔法を使っていた可能性が出てくる。

 本人が意識して使っていたとは思えないが、アレス王子はリディの育ての親でもある大亀を片手で持ち上げたりと、なかなか人間離れした腕力をしていた。

 というよりも、人並みはずれた強さを持っていたからこそ、魔王を討伐しろ、だなんて無茶な試練を課されてしまったのだ。

 

 ……アレス様、今の世なら普通に生きられるんじゃない?

 

 もしかしたら、アレス王子の強さの秘密は、無意識にでも使っていた魔法が原因だったのだろう。

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