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 僕が育った兵士養成所では、まず最初に統一チャネルめいた名前を与えられる。ヘルムを用いて周囲と思考を同調させ、行動を共有することで作戦を円滑に進めるための措置だ。元の名を捨て、統一された装備による一糸乱れぬ連携攻撃を行う。そこに思考は介在せず、故に僕は兵士であることができた。

 それに適応できなかった無数の失敗例と違い、僕は正規軍に選ばれたのだ。討伐対象に恐怖を感じている場合ではない。そんな場合ではないのに。選ばれた義務を果たさねばならないのに。


「どうだ、美味いだろ?」

「……そう、ですね。ありがとうございます……」


 目が覚めて3日が経った。聞いたことのない種類の魚を焼いただけの物をなんとか飲み下そうとしながら、僕は自らが今置かれている状況に内心辟易している。

 僕は選ばれた側の人間なのに、何故こんなことをしている? 本来なら表社会の治安を守るべき存在である僕が、美味くもない魚をなんとか胃に運ばねばならないなんて。


「なぁ、スラッシュ。お前の寝る場所は用意してるんだよ。お前が望むなら、いつだって俺たちの仲間にしてやることだって出来るんだぜ?」

「そうだそうだ。お前はまだ若いんだから、表の世界で苦労する必要なんてないんだよ!!」


 僕を取り囲む浮浪者めいた男たちの視線から顔を背けながら、胸の内で溜め息を吐く。彼らは下級市民だ。中央居住区に比べると衛生面は劣悪で、生活も決して豊かだとは言えない。福祉サービスも充実していないこんな街に住み続けるメリットはあるのか?


「……皆さんは、ここに骨を埋めるつもりなんですか? 中央居住区に住むとか、そういうことは考えてないんですか?」

「……違うんだよ、スラッシュ。俺らはなァ、自分からあそこでの暮らしを捨てたんだ。窮屈で敵わねぇからな……」


 強がりだ。彼らは元の場所を追われ、ここに行き着いたはずなのだ。僕は怪訝な表情を隠そうと努めながら、彼らの言葉を流し聞く。


「いつ死んでもいいんだよ、俺たちは。あんな窮屈な居住区で孤独に暮らすくらいなら、地位とか財産を捨ててでもこの場所でこうやって暮らす方が楽だ。そうだろ、お前ら?」

「そうだそうだ!! 俺たちは社会に捨てられたんじゃなく、社会を捨てたんだ!! 憐れむ奴がいたらブッ飛ばしてやるよ!」


 これ以上の質問は時間の無駄だろう。僕は苦笑しながら、遠くで鎮座するガラクタの山を一瞥する。例のイレギュラーは、相変わらず頂で微動だにしない。


「……マグナが気になるのか?」

「マグナ? 彼の名前ですか?」

「ああ、磁石みたいにガラクタを引き付けるから“マグナ”。何考えてるのかわかんねぇ、愛想の悪い奴だよ。何年か前にここに現れた時から、ああやって海の底からガラクタを引き上げ続けてるんだ。何が楽しいのかねぇ……」


 マグナと周囲から呼ばれている少年は、この一帯でも孤立しているようだ。イレギュラーは“個”の生物なのだから当然なのかもしれないが、僕はそこに何らかの突破口を見る。

 彼の様子を伺いつつ、なんとかヘルムとバイクを回収しなければ。そうすれば、こんな場所からさっさと出て行くことができるのだ。


 マグナは、相も変わらずに淀んだ水平線を眺めていた。巨大なガラクタの山に囲まれ、他者を寄せ付けない雰囲気を纏っているかのようだ。僕は胃の底に潜む緊張を必死に取り繕いながら、一歩ずつ近づいていく。


「今日も来たの? きみも暇だね」

「……あー、その、友達に……友達になりに来たんだ!」


 咄嗟に嘘を吐いた。この間に必要なものを回収せねばならないがための時間稼ぎだ。僕は巨大な影に近づきながら、なんとか相手の注意を引こうと言葉を継ごうとする。それを遮ったのは、マグナの冷ややかな声だった。


「いい加減、楽にしなよ。おれの前でいつまで取り繕うつもり?」

「………は?」


 反射的に頂を見遣る。相変わらず表情の掴めないガスマスクが、僕を凝視していた。

 僕は逡巡の後に手を引っ込め、その視線を交錯させるように睨みつけた。感情を隠さないでいいとなると、イレギュラーに対する恐怖は一時的に鳴りを潜める。今存在するのは、この3日間に感じていた無数の理不尽に対する怒りだ。


「きみ、そういう顔もするんだ。もっと優等生なやつかと思ってたよ」

「……うるさいな。生きるためには、仕方ないんだよ」


 マグナは小さく肩を竦めると、視線を再び水面に戻す。廃棄された鉄屑が浮き上がり、陸に引き上げられた。彼はそれを満足げに見つめ、己のテリトリーに引き上げる。やけに手慣れた、ルーティンめいた行動だった。


「それ、なんの目的があってやってるんだ? 捨てられたものをもう一度拾って、何になるんだよ?」

「別に誰かに理解されたくてやってるわけじゃないんだけど。そうだな……なんで物が捨てられると思う?」

「必要とされなくなったから……古くなったから……とか?」

「そう。古くなったものは、必要とされなくなったものは、選ばれなかったものは、弱いんだ。弱いものは忘れられて、集めて捨てられる。ここにいる奴らも、おれも同じだよ。だから、囲まれてると安心するんだ」


 自嘲じみた彼の声色が、妙に苛立った。ここにあるものが皆捨てられたわけがない。ヘルムも、バイクも、何よりこの僕も、事故で落下しただけだ。


「ここにあるものが全部必要ない? そんなわけないだろ。このバイクだって、コンテナだって、その人にとっては捨てたつもりがないかもしれない。遺失物かもしれないし、誰かが喉から手が出るほど欲しがってるのかもしれない。現に、僕だって……」


 言葉に熱を込めそうになった瞬間、マグナはくすくすと笑う。そうして一頻り笑った後、積み上がった無数の廃棄物を無数の段差めいて展開させ、彼はゆっくりと地上に降り立った。僕と目線を合わせるつもりなのだろう。


「……ガラクタの肩を持つ奴とか、初めて見たよ。きみ、いい奴だね」

「違う!! そういうつもりじゃ……!!」

「現に、おれを見てもこの前みたいにビビらなくなってる。イレギュラーにも慣れた?」

「ふざけるな、イレギュラーは社会を乱す存在だ。ヒトの理を逸脱した奴らなんだろ!?」

「おれをここに捨てた親も同じこと言ってたよ。だから、ここから出ないようにしてるんだ……」


 その言葉が、僕を困惑させる。目の前にいるのは本来なら討伐すべきイレギュラーだ。人智を超えた異能で秩序を破壊し、己のエゴで戯れのように社会平和を乱す。PHALANXでは、そう教わったはずなのに。

 僕は念のため警戒姿勢を取り、マグナの様子を伺う。彼は既に僕の方ではなく、どこか遠くを眺めている。攻撃の意思はないようだ。


「きみが何のつもりでここに来たのかについて、聞くつもりはないよ。ただ、おれにあまり近づかない方がいい。この能力は細かい制御ができないし、それに……」

「脅しのつもりか!? そんなのに従うわけが」

「おれを狙うやつから攻撃の巻き添えを食らうのは、悲しいから」


 雨が降り出した。ガラクタの山に穴を穿つように降り頻る強酸性の雨を視認し、僕は奇妙な胸騒ぎを覚える。酸性の、雨。

 風に乗って聞こえる叫びは、あの日命を助けられた男の声だ。それを聴くが早いか、マグナは脱兎の如く声のする方へ向かって駆ける。遅れてガラクタ山も移動するのを眺め、僕は慌ててヘルムとバイクを回収した。慌てたようなマグナの様子も気にかかるが、今は僕の存在証明が正常に機能するかが優先事項だ。

 まずはバイクの電源ユニットを起動する。まだ活きているが、バッテリーの残量は残り少ない。これでは中央区まで帰れなさそうだ。組織に連絡し、交換してもらう必要があるだろう。

 フルフェイス・ヘルムも、バイザー部分にヒビが入ったこととエンブレムが砕けたこと以外外見的な異常はない。周囲の影を気にしながら、静かに装着する。電子視界は、問題なく機能した。


「…………ッ!?」


 数百メートル先をも鮮明に捉える電子視界に映り込んだのは、よく見知った存在の背中だ。討伐対象イレギュラー、アシッド。忘れていたはずの恐怖が、蘇る。

 降り続く酸性雨の正体を、住人の悲鳴の理由を、理解する。何人かは戯れのように胴体を切断され、僕を助けた男は酸で顔を焼かれて濡れたアスファルトの上をのたうち回っている。ハイウェイの記憶が重なりそうになり、僕は反射的に唾を飲んだ。苦い味が口の中に広がり、惨劇の瞬間が恐怖心として襲いかかる。僕はただ、再び起きる殺戮を電子視界上で見つめることしかできなかった。

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