trash
「……きろ。おい、起きろよ。息はあるだろ?」
「…………ッ!?」
周囲に感じる熱と漂うヘドロの匂いが鼻腔を刺激し、僕の意識を覚醒させる。およそ普段の日常生活で感じることのない雰囲気だ。僕は咳をひとつすると、まだ朦朧とする意識で周囲の状況を伺う。
野外でボロボロのゴザに寝かされ、体に巻かれた包帯には血が滲んでいる。決して衛生的ではない、乱雑な処置だ。周囲を見渡せば、漂流物の木材や金属片、PVCを組み合わせて立てたようなバラック小屋の中、火柱を上げるドラム缶で暖を取る貧民じみた男が笑っている。
「生きてるか、ガキ。海で漂ってるところを俺が引き上げてやったんだ。感謝してくれよ?」
察しがついた。ここは下級市民が不法滞在するスラムの一角だ。外の景色から考えるに、湾岸エリア外れの埋め立て島のひとつを占拠した場所だろう。噂には聞いていたが、本当に存在するとは。
僕は内から出る嫌悪感を心の奥底に閉じ込め、ぎこちなく会釈する。よりによって、この僕がこんな場所で命を助けられるなんて。僕が住む中央居住区の管理された景色とは程遠い無秩序に困惑しながら、手は無意識に自分の頬を撫でていた。
「…………ッ!?」
指に当たるのは滑らかな金属の手触りではない。熱を持った柔らかい肌は、自分の素顔だ。
「……どうした、顔色悪ぃぞ?」
「そう、ですかね。大丈夫ですよ……ありがとうございます……」
僕は動揺を顔に出さないように努めた。フルフェイス・ヘルムがなければ、PHALANXに連絡することもままならない。それどころか、自分の所属を証明することもできないのだ。ここにいるのはなんの権力も能力もない、剥き出しの弱い人間だ。
「お前、名前は……?」
「S3……いや、“スラッシュ”です」
咄嗟に偽名を使った。僕を助けた男もそれ以上は聞かず、無言の時間が続く。その間も、僕はアイデンティティを無くした不安に囚われていた。
「……その、ありがとうございました。もう大丈夫なので、帰らせてください」
「おい、メシ食わなくていいのか!? 今日は大きい魚が釣れたんだ。やるよ……」
男の呼びかけを無視し、僕はなんとか立ち上がって周囲を注意深く観察する。ヘルムとバイクは海に落としたのだろうか。浮かんでいればいいが、回収されるのも厄介だ。命を助けられたとはいえ、対立する団体の居住地だ。正体が割れれば、無事ではいられないだろう。
錆びた送電塔、潮風を浴びて汚れた無数のコンテナ群。遠くに見える海は重油によって汚れ、所々に点在する廃棄物の山は無数のガラクタが集まっている。居住区というよりは、ゴミ捨て場だ。
僕は目を凝らし、さらに深く観察する。ヘルムに内蔵された電子視界ではなく、自らの頼りない物理視界で。漂う錆びた鉄の匂いに呼吸を止めて、集中する。
「……あった」
数百メートル先、廃工場付近の堆く積み上げられたガラクタの山の中。朽ちかけた建物の残骸やバラバラになったトレーラーに紛れているが、僕の誇りの源泉であるエンブレムの輝きは見逃さない。イレギュラーのせいで少し形は崩れてしまったが、それも名誉だろう。
僕は逸る気持ちを抑え、ゆっくりと目的地に近づく。他の住民に悟られてはいけない。あくまでも自然に……。そう考えていた僕は、そのガラクタ群に潜む違和感に勘づくのが数秒遅れてしまった。
地鳴りのような轟音に気付いたのは、数十歩ほど足を進めた時だ。金属同士の衝突音と歯車が軋むような音が周囲に広がり、僕は怪訝な表情で音の出処を探る。
目的のガラクタ山が、動いた。十数メートルほどの高さの大山が鳴動し、周囲の廃棄物を取り込みながら地を這うように移動しているのだ。それは、まるで巨大な生物だった。
「…………ッ!?」
奇妙な光景だった。その山の頂点には、顔全体を覆うガスマスクを被った小さな人影が鎮座している。襤褸めいたローブを纏った、痩せた少年だ。
現実離れした、異常な光景だった。こんな芸当が出来るとすれば、それは普通の人間ではない。
ガスマスクが動く。眼を示す穴が、静かに僕の方を向く。僕の体は、なぜか硬直していた。
「……おれに、何か用?」
恐怖を感じていた。あの日交戦したイレギュラーの威圧感が、死んでいく仲間たちの様子が、幻覚めいてフラッシュバックする。
僕が生き残ったのは、強かったからではない。運が良かったからだ。僕は本当に生き残るべきだったのか? 刺し違えてでも、あのイレギュラーを討伐すべきだったんじゃないのか?
散漫な思考がぐるぐると脳内を巡り、僕はその場に蹲って嘔吐する。胃が収縮し、悲鳴をあげていた。内容物を全て吐き、僕はよろよろと来た道を引き返した。
ガラクタ山の主たるイレギュラーをなんとかしなければ、僕の誇りは取り戻せない。それまで、僕はこの居住区から出られないのだ。
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