第3話 記憶の海に溺れて

 「嘘をついてはいけない」と子どもの頃、母親から教育された。学校で教育された。

 なぜ人は嘘をついてはいけないのか学ばなかった。好物を食べるときのように、言葉を鵜呑みにするだけできちんと咀嚼はしなかったように思う。

 なぜ人は噓をついてはいけないのか。嘘をひとつつけば、辻褄を合わせるために他にも他にも嘘をつかなければいけなくなってしまうから。嘘をつかれていい気持ちになる人はいないから。人を傷つけるから。「あの人は嘘つきだよ」とレッテルを貼られたら、もう何を言っても誰からも信じてもらえなくなるから。

 ただ、この世の中には「嘘」を許そうとしている言葉がいくつもあることを大人になってから知った。嘘はバレなければいい。嘘を本当にすることができるなら、それは嘘とは言わない。大人は一日三回嘘をつく。また、優しい嘘という美徳があることも学んだ。

 しかし、優しい嘘ならついてもいいのだろうか。嘘には必ずと言っていいほど綻びがいくつも見え隠れしている。そのシグナルに気づけるかどうかは、アウシュビッツでシャワー室へ連れていかれる子どものように、疑うことを知らない人間にとっては非常に難しいことだ。

 ただ、ひとつ言えることは、嘘がバレる、バレないに関わらず、嘘をつく人も、つかれる人も、必ずどちらかは苦しむということである。

 母親は血がつながっていて、大方子どもにとって一番の味方であるから、「あなたはなんでそんな嘘をついたの」と叱り、許してくれるこもしれないが、他人はすべてをなかったことにして許してはくれない。自分勝手で利己的な嘘なら殊更だろう。

 

 信頼というものはひどく脆い。階段を踏み外すときのように、気づいたときには手遅れで一瞬で崩れ去る。だからこそ、人との関係は互いが誠実であり、真摯に向き合い、共に丁寧に関係を構築していかなければならないのに、彼は私とはじめて出会ったときに嘘をついた。

 「30歳独身でーす!未婚、子どもなし、お酒も煙草も女遊びもいっっっさいしません。よろしくお願いしまぁぁぁぁぁぁぁす!」ガヤガヤとした夏の匂いがするどこかの一室で、人差し指と中指と親指を過剰に天井へ突き上げ映画の主人公の真似をしている男がいた。私たちはその匂いに惑わされて阿保みたいに笑っていた。

 嘘からはじまった恋だった。

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