「オレの獲物はビンラディン 」(コメディ)

 この映画は実話を基にした作品である……。


「オレの獲物はビンラディン 」(2016 アメリカ 93分)

監督 ラリー・チャールズ

脚本 ラジーヴ・ジョセフ、スコット・ロスマン

原作 クリス・ヒース

出演 ニコラス・ケイジ、ウェンディ・マクレンドン=コーヴィ


 2010年。あの「オサマ・ビンラディン(1957- 2011)」を捕獲しようとして、パキスタンで拘束されたアメリカ人男性が居た。

 男の名は、ゲイリー・フォークナー。ただの一般人。

 彼がアメリカに帰国する実際の映像が、この映画本編に流れてくる。


 彼、ゲイリーには、使命があった。

 それは「ビンラディンをこの手で捕獲する」という、とんでもないものだった。

 この映画は、ビンラディンに対して異常なまでの執念を持った男を実話に基づいて描いた作品である。

 本作を監督したラリー・チャールズは「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 」(2006)という、アメリカに蔓延する差別や偏見を逆手にとってネタにしたブラックコメディ映画を作った監督だ。



 ゲイリー・フォークナーという男は、愛国心が強すぎる以外は普通の中年男性。友人も恋人も居る常識人である。

 だが、何故かビンラディンを耳にしたり、目にすると、急に××××と化す。

 ビンラディンのことを考えると冷静でなくなり、一刻も早くビンラディンを捕獲しようと行動してしまうのだ。

 このゲイリーの姿が、ニコラス・ケイジの熱演もあって面白かった(面白がっていいのか、わからないが……)。


 なお、ゲイリーは自分でもビンラディンを追うより、平凡で何気ない日常の方が幸せであることはわかっている。

 わかっているのだが、謎の妄執と強迫観念によって、ビンラディンを追い続けなければならないのだ。

 まるで普通の人間で居たいのに、人間の領域を超えた力を手に入れてしまったが故に、悪と戦い続けなければならないスーパーヒーローのような哀しさだ。


 2011年にビンラディンは死亡。だが、ゲイリーはすぐには信じなかった。

 そして、2021年の現在。ゲイリー・フォークナーは今現在どうしているのかは不明。

 まさか、映画化で得た資金を使い、今もビンラディンを追っているのではないだろうか……?




 余談だが、以前、私は心療系の本を読んだことがある。

 そこにこんな一文があった。


「人には、他人にとっては理解しがたい儀式のような行動をとってしまうことがある。だが、それは本人にとっては、とても大事なことであり、無意味だ、穢らわしいなどと、自分や他者の価値観で図って侮辱したり、やめさせたりするのは良くないことである」


 自分や他人の目から見たら理解しがたいことであっても、その人にとっては大事なルールや美学があったりする。

 だから、一丸に否定せず、理解してやることも必要なんだと私は思った(もちろん、犯罪行為などはダメだが)。

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