第二話 世界は再び昼夜の別を思い出した

 老人は赤子を背負って旅をつづけた。


 世界は再び昼夜を思い出したようだった。老人たちは日が昇るとともに歩き出し、日が高くなる前に身を隠す場所を見つけて潜り込んだ。砂だらけだった台地は潤いを取り戻し、固い土に歩みははかどった。夕方、余力があれば残照を背にもう少しだけ歩みをすすめ、夜は瞬く星を仰ぎながら眠った。


 初めの夜に感じたおそれは次第に和らいでいった。恐らく一緒にいる子供のお陰だろう。子供は女の子だった。柔らかな銀色の髪に漆黒しっこくの瞳を持った女の子の成長は早く、旅を始めて数週間後には言葉を話し初めて老人を飽きさせなかった。


 もっぱら、女の子が口にするのは老人が目にしたこともない不思議な生き物の話だった。深い水の底に潜んで息継ぎを必要としないものたちや、風にのって大空をかけるものたち、4本の足で大地を踏みしめ誰よりも優雅に駆け回るものたちなど、「ねえ、じいじ、知ってる?」から始まる話はいつまで聞いていても飽きなかった。

 老人がニコニコと頷くばかりで言葉を返さないでいると少女は頬を膨らませて怒ったが、やがて我慢ができなくなったかのようにまた話し始めるのが常だった。


 やがて老人が背負って歩くには少女は大きく重くなりすぎた。また少女自身も自らの足で歩くのを好むようになった。

 その頃には大地の様子もかなり変わってきた。殆ど見られなかった植物が遠慮がちに地面を覆う様になっていた。また、地面から不意に固く鋭い金属の欠片が飛び出している事もあり、老人は少女が足を切らないよう、マントをちぎって草履ぞうりを作ってやらなければならなかった。陽光は柔らかく、マントを被らなくても苦痛ではなかった。

 もう産着うぶぎは少女の全身を包むには小さくなり過ぎたので、い目をほどいて腰布のように巻き付けることにした。腰布の長い端がはためくのを嬉しがって、少女はむやみに走り回っては老人を心配させた。


 ある朝、老人は顔をたたく水滴に目を覚ました。

 空は手を伸ばせば届くほどに低く灰色に塗りつぶされており、そこから無数の水滴が細い糸となって降ってきては地面に吸い込まれていった。

「雨だ!」 

 少女は地面に横たわり大きく口を開けて降ってくる雨を飲もうとしていた。

 老人も少女にならって地面に大の字に横たわってみたが、目を打つ水滴がこそばゆく、すぐに目を閉じた。目を閉じるとどこか懐かしい土の香りが際立った。

 その日、二人は旅を中断し、岩の割れ目から一日中雨を眺めて過ごした。


 雨の日を境に、周りの景色は大きく変わり始めた。そこかしこに川が流れ、時には地面がぬかるんで迂回を余儀なくされた。

 植生は明らかに大型化し、二人の背丈をはるかに超える植物も見られるようになった。


 何より、日によって暑かったり寒かったりが目まぐるしく入れ替わるようになった。暑いとは言え、男性が一人で旅をしていた頃と比べれば身体にこたえる事はないが、寒さには困った。

 寒い夜は男性のローブをくつろがせ、少女が中に潜り込んで暖を取った。男性の体温は高く、寒い夜でも良く眠れるようだった。少女の肌も滑らかでしっとりとしており、男性もぬくもりの中でぐっすりと眠る事ができた。


 男性はいつしか体力を取り戻した自分に気が付いていた。

 頭髪は白いままだが張りを取り戻し、失いかけていた視力も遠くまで見渡せるまでに回復した。曲がっていた腰も伸び、崖を越える時には男性が少女を肩車し、または先に登って少女を引っ張り上げた。


 少女の胸がわずかなふくらみを見せかける頃、男性は明らかに自分が若返っている事を意識した。

 しかし、身体は若返っても記憶は戻らなかった。

 男性は愚直に太陽が昇る方向を目指して歩き続けた。少女もまた旅の目的を聞く事はせず、男性と共に旅をつづけた。

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