生命の起源を巡る旅 〜 始まりの図書館

Zhou

第一話 全てが太陽の監視のもとで静止していた

 第一話


 乾いた世界を老人はさまよっていた。


 太陽は天空の最も高い場所から刺すような光を大地に送り、耐えかねた岩がれきとなり、砂利となり砂となってもまだ、その頂きから動こうとはしなかった。

 乾いた大地には陽炎かげろうすらたたず、老人が足を引きずる他には全てが太陽の監視のもとで静止していた。


 ようやくの想いでたどり着いた岩山に割れ目をみつけ、老人は倒れ込むように転がり込んだ。焼けた岩肌に内部の空気も灼熱していたが、今は陽の光を避けられるだけでありがたかった。老人は這うようにして奥へと進んだ。割れ目はわずかに下りながら奥へと続いていた。

 陽光に傷ついた老人の目は暗闇では殆ど役に立たない。ふと体が浮くのを覚えたのを最後に、急な斜面を転がり落ちながら老人は意識を失っていた。


 意識を取り戻した老人は大きなほらに仰向けに倒れ、天井に空いた小さな裂け目をぼんやりと眺めていた。裂け目はそれ程大きくないようだが、その僅かな隙間からもやいばの様な光が差し込んでいた。やがて陽光ののみが割れ目をこじ開け、このほらからも影が失われるのだろう。


 ため息と共に顔をそむけた老人の視線の先で、何かが光った。目を凝らすと洞の反対側、10メートルほどの崖を伝って糸のような滝が流れ落ちているのが見えた。

 老人は転がる様に駆け寄ると、手ですくうのも待ちきれずに口を付けて貪った。塩辛い水はひび割れた唇にみたが、それに構う余裕は老人には無かった。


 何度もむせ込みながら喉を潤し、ようやく顔を上げた老人は意を決して崖を登り始めた。転倒した時に打ち付けた背中が痛んだが、ひょっとすれば上流にはもっと綺麗な水があるかもしれない。崖は急峻だったが手がかりは多く、時間を掛けて慎重に身体を運べば登れない高さではなかった。

 それに老人は我慢強い性質たちだった。でなければ、灼熱の大地を永年旅しては来なかっただろう。

 老人は気の遠くなる年月を費やして旅をしてきた。どこを目指しているのか、たどり着いた先に何があるのかはとうに忘れてしまっていた。


 やがて崖の上に立った老人は、そこで思いもよらない光景を見た。


 崖の上に久しく目にする事のなかった植物がひっそりと生えていた。老人の肩ほどの低木が複雑に絡み合い、清流がその根元から湧き出ていた。しかし立木のほとんどは茶色くたち枯れており、緑は中央にわずかに残るばかりだった。流れに足を浸し、その感触を楽しみながら近づくと、しげみの中央、深緑の枝が何かを抱くようにくぼみを作っていた。老人がのぞき込むと生き残った緑をしとねに銀色の髪をした赤子が静かに眠っていた。


 それから長い事、老人は赤子を眺めて過ごした。どれだけ時間が経っても赤子は目を覚まそうとはしなかった。濃紺の布にくるまれた赤子は時折夢の中で微笑みながら、いつまでも滾々こんこんと眠り続けた。老人も落ち葉を集めて寝床を作り流れに寄り添うように眠りについたが、寝ても覚めても赤子の様子に変化は訪れなかった。


 そうするうちに、いよいよ最後まで残った立木が枯れ始めた。それに伴い、清流はみるまに細り、やがて完全に干上がってしまった。

 枯れ枝が折れて怪我をしてはいけないと、老人は恐る恐る赤子を抱き上げた。老人のひび割れた手が頬に触れると、赤子はわずかにむずがった。


 老人は途方にくれたが、緑が枯れ水が枯れたこの場所に留まる事が正しい事とも思えなかった。

 暫く迷ったあと、赤子を背中に結えて老人は崖を降り、洞窟の出口へと歩きだした。

 この柔らかい肌で太陽の強い光に耐えきれるだろうか。マントの中に背負っても良いが、息が詰まりはしないだろうか。

 そんな事を考えていたためだろう。老人はいつのまにか岩山の外に出ている事に気が付かなかった。


 慌てて頭を上げた老人は息をのんだ。

 そこには頭上を圧する太陽の姿は無かった。代わりに無数の小さなきらめきが見渡す限りの空を埋め尽くしていた。

『夜』。記憶の底から浮かんできた単語に老人は驚いた。もう随分のあいだ、太陽が地平に姿を隠す事はなく、空が黒く染まる時などとうに忘れてしまっていた。

 すべてを焼き尽くす太陽も恐ろしかったが、何億というまたたきも老人には別の意味で怖かった。果てしない広がりの中で自らが消えてしまいそうなおそれに打たれて動けないでいると、老人の胸元で小さな声がした。


「ほち」


 気が付けば赤子が目を覚まし、夜空に向かってせいいっぱい手を伸ばしていた。

 老人は何かを言おうと口を開いたが、いうべき言葉を見つける事は出来なかった。

 もう随分のあいだ、老人も言葉を口にする事なく過ごしてきたのだった。

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